おくのほそ道ウォーク 高田→名立 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

19.11.02(土)
この日は天気良好。糸魚川駅からえちごトキめき鉄道。直江津で乗り継ぎ、高田へ。
↓この日歩いたルートと写真リンク

 

8:55 高田駅から歩き始め、昨日午後とほぼ同じ道を通り、9:55 木田の追分を通過。木田追分のお地蔵さんを見るのも3回目になる。
上杉の居城があった春日山の麓のあたりを通り、居多神社へ。越後の一宮だそうだ。9月23日に彌彦神社を見学したが、どちらも越後一宮。一宮が一国に複数ある例は意外に多いらしい。この先、越中には一宮が4つもあるとか。社殿の大きさや敷地は、居多より彌彦のほうがはるかに大きい。彌彦のほうが一宮にふさわしいように見えるなあ。
11:00 隣の五智国分寺へ。このお寺は越後の国分寺で、上杉謙信が他の場所からここに移設したそうだが、謙信の造らせた本堂は元禄2年、まさにおくのほそ道の年に、火災で消失とのこと。曾良日記には「五智 居多ヲ拝」とある。焼け跡を見て「拝」とは書かないだろうから、そのすぐ後に火災があったのだろう。昭和63年にも消失したとかで、今の建物は新しい。

なんか今回のウォークは火事に縁があるな。出発の日に首里城全焼,3年前の糸魚川大火の跡,ここ五智国分寺。自分は火災に遭いませんように~!


五智居多ヲ拝んだ後、すぐに海岸に出た。鉢崎からおおむね平坦な道が続いたが、このあたりから再び海岸沿いの道となる。信越本線の鯨波~鉢崎~米山と同様、有間川から先の旧北陸本線も旧トンネルが多い。有間川駅付近から浦本駅付近までの旧線は、大部分が「久比岐自転車道」に転用されている。正式には、県道542号上越糸魚川自転車道線というそうだ。11:50 その久比岐自転車道に入った。
昔の線路跡は海沿いに曲がりくねっていて、ところどころ短い単線トンネルで通っている。山側を通る現在の長い複線トンネルに比べると短いが、明治の建設当時は「長い」トンネルだったろう。久比岐自転車道を西へ進んだ。芭蕉と曾良がどこを通ったかは、正確にはわからないが、そんなに離れていないだろう。
15:00 名立の集落に差し掛かった。おくのほそ道から4半世紀ほど後、大地震で裏山が崩れて80戸以上が埋まったそうだ。「名立崩れ」と呼ばれていて、その慰霊碑があった。糸魚川静岡構造線のすぐ東のこのあたりは、1600万年前にできた土地で、地滑り多発地帯らしい。
旧名立駅付近から山側へ数百mほど入り、15:20 えちごトキめき鉄道「日本海ひすいライン」の名立駅着。ここでウォーク終了。メータでは高田からここまで 27.89km,35884歩。実際は25kmほどだろう。15:44 の気動車で糸魚川に戻った。