おくのほそ道ウォーク 吹浦→象潟 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

18.09.23(日)

この日の降水確率予報は午前0%,午後10% 前日と違って天候の心配なし。
雨具もホテルの部屋に置いて行った。朝食後、酒田から電車で吹浦へ。
8:25 吹浦駅からウォーク開始。まず、駅近くの鳥海山大物忌神社を見学。
出羽の一宮であるが、奥の院は鳥海山の山頂にあるそうだ。
おくのほそ道ウォークでは塩竈の陸奥一宮に次いで、2番目の一宮となる。

出羽一宮を後にして羽越線の下をくぐり、国道345号に出た。
前日の吹浦までの海岸は庄内砂丘だったが、吹浦の先は磯や砂浜で変化に富んでいる。

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十六羅漢岩(一部分)

9:05 十六羅漢岩に着き、立ち寄った。海難者の慰霊に彫られたものだという。

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女鹿の神泉の水

10:00 国道345号と国道7号の合流地点。この合流地点を横切って旧道へ入り、女鹿の集落へ。
神泉の水という水場があった。近くにいた人に飲めるか聞いたら、飲めるとのこと。
ちょうど飲み物が欲しくなったところで、持っていたPETボトルを開けようか。と思い始めて
いたところだったので、ちょうどいいところで天然の飲み水にありつけた。

ところでこの女鹿の集落には駅がなく、1km以上南に女鹿という駅がある。この女鹿駅だが、
停車する列車は、上り酒田方面行は朝の2本だけ、下りは午後の4本だけで、他はすべて通過。
おそらく、駅近くの高校生が酒田へ通学するだけのダイヤ設定だね。
これではウォークの行き帰りには使えない。事前調査は必要だね。

女鹿の先で三崎に差しかかった。
鳥海山の溶岩流が海に流れ込んでできた断崖絶壁が3つ続くので三崎というそうだ。
観音崎,大師崎,不動崎という3つの岬で、曾良も「是ゟ難所 馬足不通」と記している。
現在は国道で楽に通れるが、昔は大変だっただろう。

10:40 駐車場脇から山道に入った。ときどき遊歩道と交差するが「奥の細道」と書かれた標識に従って
山道を進んだ。クモの巣が多く、何度も顔にくっ付いたのには閉口した。
途中で羽前から羽後に入ったはずであるが、山形・秋田県境の標識はなく、いつ越えたかはわからない。
11:15 山道は終わり、国道7号に出た。

11:25 左側の旧道へ。小砂川駅の前後は旧道となる。12:05 国道7号に出た。
12:30 左側の旧道へ。上浜地区の旧道を通って小学校前を通った。
ここはバイパス沿いにコンビニがあるが、立ち寄らなかった。12:50 国道7号に出た。

13:25 左側の旧道へ。奈曽川を渡るあたりが関という集落で、曾良日記には
「半途関云村有 ウヤムヤノ関成云 此間 雨強甚濡 船小ヤ入テ休 昼及テ塩越着」
とあり、ここで雨宿りをした後、昼ごろに象潟に面した塩越の町に着いたらしい。
13:55 再び国道7号に出た。このあたりからが現在の象潟の町になるのかな。

14:20 向屋跡前を通過。芭蕉と曾良が象潟で初日に泊まった宿だそうだ。
その斜め向かいには、二日目に泊まったという能登屋跡があった。
14:30 船つなぎ石。14:35 少し戻って熊野神社。この神社でお祭りがあったため、
初日は能登屋でなく向屋に泊まったという事情が曾良日記に書かれているそうだ。

14:45 蚶満寺に着いた。メータでは吹浦駅から蚶満寺まで 28.34km,36463歩。
8月13日に車で下見した時は、蚶満寺の中に入るのはやめておいた。
歩いて着いた時に見る方が感慨深いもんね。今回は蚶満寺の中を見学した。

蚶満寺周辺がかつての象潟跡だそうだ。昔は多数の島々が点在する潟だったのが、
地震で隆起して陸地になってしまったのは有名である。
芭蕉と曾良が訪れた当時は潟だったことになる。

初日の曾良日記「先 象潟橋迄行而 雨暮気色ヲミル」
2日目「朝飯後 皇宮山蚶彌寺へ行 道々眺望 帰テ所ノ祭渡」「夕飯過テ 潟へ船テ出」
3日目「早朝 橋迄行 鳥海山ノ晴嵐ヲ見」
だそうで、風光明媚を楽しんだようだ。

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伊能図の象潟

1世紀以上後、1804年の地震で隆起する2年前に、あの伊能忠敬隊が測量をしており、
潟だった頃の記録が残っているそうだ。検索したら、
Yahoo ブログ rinko_helios 氏のところにありました。↑
これは江戸時代の地図の写真なので著作権はなく、コピーして構わないと考えていいんでしょうね。

その頃の象潟は土砂などで既に埋まりつつあり、そこを地震がダメ押ししたようだ。
だけど一瞬で陸地になったのだから、かなり激しい地震だったろうな。

また、ここはおくのほそ道の最北端でもある。折り返し中間地点のような感じがする。
私もよくここまで歩いてきたなあ。これから先のルートはひたすら南西方向。

おくのほそ道にも
「酒田の余波日を重て 北陸道の雲に望 遙々のおもひ胸をいたましめて 加賀の府まで百丗里と聞」
と書かれている。加賀の府、つまり金沢まで130里。
虚構ではなく、実際に130里ほどあるだろう。旧東海道より長いな。

蚶満寺と象潟跡を見た後、象潟駅へ。蚶満寺から象潟駅までは3.38km,4385歩。
16:29 の電車で酒田へ戻った。