夏季休暇旅行 -3 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

18.08.15(水)

新発田のビジホを出て高速に入り、弥彦山(標高634m)へ。
標高はそれほどでもないが、日本海に面しており、ほぼ海抜ゼロから登る。
芭蕉と曾良も、この越後一宮、彌彦神社を訪れている。
頂上近くの駐車場に車を停め、頂上の奥の院まで登ってみた。

弥彦を後に、糸魚川へ。大火があったのは一昨年の年末だったかな。
糸魚川のフォッサマグナ資料館へ行ってみた。糸魚川はヒスイの産地とかで、
フォッサマグナより石に関する展示の方が多かった。

資料館には、ロシア語を話す子供達とその引率らしき教師数人、総勢20人ほどの団体客が来ていた。
夏休みで日本に来たのだろう。日本海の向かい側、沿海州あたりから来たのかな。
シベリア鉄道に乗りに、私がウラジオストクへ行ったのはもう5年前になる。

冷戦時代、旧ソ連は自国民の国外旅行を原則禁じていた。当時はソ連人の団体など見たこともなかった。
冷戦終結・連邦崩壊の後は自由になり、こうしてロシアから日本にも旅行にやって来るようになった。

そのあと天下の嶮、親不知を通った。このあたりを海岸沿いに歩くのは困難なようである。
親不知の後は富山へ。富山のビジホにチェックイン。新発田→富山 317.0km

18.08.16(木)

富山のビジホを出てまず向かった先は、越中・加賀国境の倶利伽羅峠。
標高277mでたいしたことはないが、木曾義仲の倶利伽羅峠の合戦で有名である。

資料館があったので行ってみたら、旧道は石畳で車は通れないとのこと。
車道を進んだところ、峠の東側(越中富山側)は、土砂災害通行止めで通れなかった。
国道8号へ迂回して峠へ。峠を西側(加賀石川側)へ下っている途中から激しい雨。
金沢付近は豪雨だった。豪雨の中を高速で福井方面へ。福井を過ぎたあたりから雨は止んできた。

次に木ノ芽峠へ。わりと海に近い峠だが、標高628mと意外に高い。
新田義貞が敦賀へ逃げる途中、軍勢に多くの凍死者を出したのはこの峠らしい。
車で峠を越えられるか確信なかったが越えられた。
ウォークに備え、距離も車のメータで測定。ただ、現国道から峠へ入る入口を間違えた。

峠を越えて敦賀に出た。いままで敦賀は若狭だと思っていたが、越前だそうだ。
越前一宮は、敦賀の氣比神社とのこと。ウォークの下調べで初めて知った。
この木ノ芽峠も、越前と若狭の国境ではないということになる。

敦賀の後、柳ヶ瀬峠へ。このあたりは地形が複雑で、木ノ芽峠,柳ヶ瀬峠と交通の難所が続く。
この柳ヶ瀬峠も、JR北陸本線旧ルートの難所で有名。
峠部分は北陸本線の旧柳ヶ瀬トンネルが車道に転用されているが、
単線トンネルなので、信号による交互通行。峠を越えて近江に入り、長浜のビジホにチェックイン。
富山→長浜 296.4km

18.08.17(金)

この日は帰宅。長浜で北陸道に乗り、東名,新東名を通って横浜の自宅へ。391.4km
6日間の走行距離は2161.5kmだった。

今年の夏季休暇、国内を車で回り、おくの細道ウォークの下見のようになったが、
細道を順番に歩いていると、今年はあと少しがんばってもまだ庄内。
来年は出羽街道・山北地区を通り、村上より少し先くらいかな。がんばっても新潟市あたりが限界か。
新潟市より西は、再来年以降、定年後だろうな。