この日は移動日 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

18.05.03(木)

天気予報が雨のため、この日は移動日と決め、ビジホも3日前に昨晩の1泊延長を頼んでいた。
チェックアウト後、10:15発の列車に乗った。
昨日歩いたルートを車窓から見ながら、酒田11:19着。コインロッカーに荷物を預けた。

雨はたいしたことはなく、駅前近くを歩いて回ることは可能だった。
本間美術館(旧別邸),本間家旧本邸,その向いの本間家の店,旧鐙屋を見て回った。

戦前は日本最大の地主で、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に。」
と言われた酒田の本間家。邸宅は予想よりはやや小ぶりだったが、さすが、なかなかのものだった。
昔の写真が掲示されていて、大勢の小作人が大量の米俵を運び入れている写真もあった。

解説によると終戦翌年、所有農地1750町歩のほとんどを没収され、4町歩しか残らなかったそうだ。

終戦後の農地改革、地主から買収して小作人に売り渡す形式を取ったが、
戦後の猛インフレもあり、買収価格は二束三文で、事実上は没収だったらしい。

旧本邸の向いにある本間家の店で、近くにある旧鐙屋を見るよう勧められた。
鐙屋のほうが老舗で、本間は後から来た新参者だったそうだ。
鐙屋を凌駕した本間が終戦で・・ 栄枯盛衰ですね。

本間家旧本邸から駅へ向かう途中には、古い家屋は少なかった。
私が高校生の頃、酒田で大火があったが、そのためだろう。
消防長が行方不明となり、指揮系統が混乱したため被害が拡大した。
とか新聞に出ていたのを覚えている。

酒田市内は、5.45km,7382歩。酒田14:33発の列車で鶴岡へ。鶴岡のビジホにチェックイン。