17.06.17(土)
朝風呂からあがったら、更衣室で宿の主人に会った。
主:お風呂はどうでしたか?
私:昨夜は熱めでしたが、今朝はぬるめでした。
主:外気が寒かったからでしょうか。
62℃の源泉を沢水で温度調整しているそうだから、ななかな上手くは調整できないだろう。
朝食の後、9:00前に赤倉温泉の宿を出発。緩い上り坂の県道を3キロほど歩き、
9:40、山刀伐のトンネル前に到着。トンネルの左側に山刀伐峠への旧県道があり、その間に山道がある。
昨日、堺田封人の家でもらった山刀伐峠の地図をもとに上り始めた。
おくの細道でも険しい山道のように書かれているから、辛い峠道を覚悟していたのだが、
30分もかからずに峠に着いてしまった。なんだこんなもんか。
それなりの峠道ではあったが、東海道箱根峠,中山道碓氷峠・和田峠よりはだいぶ楽だろう。
トンネル入口との標高差は150メートルで、急な坂はそこだけ。トンネルまではそんなに急ではない。
旧県道の峠には駐車場とトイレがあった。そこで用を足した後、
少し離れたところにある、山道の峠へ。おくの細道のルートの峠である。

写真.山刀伐(なたぎり)峠にて
峠を後に山道を下った。すぐに旧県道を横切り、1キロほど山道を下って、旧県道に合流。
さらに1キロほど進むとちょっとだけ山道になり、11:20 駐車場に出た。
この駐車場で旧県道は終わり、現在の県道に合流。ここからは新県道。浄水場の横を通り、
12:10 岩谷沢の集落へ到着。1日数本ながら、市中心からここまでは市営バスがある。
12:30 県道から右に分かれて橋を渡り旧道へ。12:35 関谷番所跡を通過。芭蕉の頃はここから
天領(幕府直轄地)で、堺田・封人の家から先導してもらった用心棒の若者とここで別れたそうだ。
関谷番所跡のすぐ先、旧県道は左へカーブし、橋を渡って県道に合流している。
事前に用意した地図でもそのルートだが、どうも不自然に見えた。橋の手前で右に分かれ、
川沿いに進む道がある。今朝、赤倉温泉の宿でもらった地図でも、どちらか判然としない。
右の川沿いの方が、おくの細道だろう。と歩いて行ったら、庚申塚とかがあった。
感は当たり。県道に合流した地点に「奥の細道旧道」と書かれた木の杭があった。
旧街道歩きでは、しばしばこういうことがある。もちろん感が外れたことも多いが、今回は当たり。
その先、反対側の山裾に、変わった形の枯れ木が見えた。
こういうのを月明りで見たら気持ち悪そうだね。怪談でも聞いたら、背筋がぞくっとしそうだな。

写真.変わった形の枯木
さらに進んで、御所神社というところで休憩。承久の変を起こして鎌倉幕府に敗れ、
佐渡に流された順徳上皇が、密かに佐渡を脱出して出羽に入り、そこで生涯を終えたという
伝説があり、それを祀った神社と書いてあった。真偽のほどは疑わしいが・・
15:25 直前に電話で予約した尾花沢市内のビジホに到着。
チェックイン後、部屋に荷物を置いて、道の反対側の芭蕉清風資料館へ行った。
展示を見ていたら、60代くらいの見学の女性が話かけてきた。
見学の女性::山刀伐峠を歩いて来たのでは?
私(意表を突かれ):はい。そうですが、どうしてわかったのですか?
見学の女性:山刀伐峠からここへ来る途中、見かけました。
聞けばこの女性のご主人もおくの細道を歩いていて、二人で車でやってきて、昼過ぎ、
山刀伐トンネル前に到着して、ご主人は峠を歩き始めたとのこと。
この女性は関節の病気で人工骨を入れており、長くは歩けないため、ご主人が
歩いて来るのを待っているそうだ。泊まる予定の宿は、私のチェックインしたビジホとは別。
ああ。残念。同じ宿ならこのご主人と話ができたのに・・
資料館を出て、芭蕉と曾良が7泊もしたという養泉寺へ行ってみた。
明治の火災の後に再建された建物だそうで、しかも修築中。な~んだ。と思っていたら、
先ほどの女性がやって来たので、しばし会話。
寺の脇の斜面の下は田んぼで、月山が見えた。右の方の雲の上にも山が。鳥海山のようだ。
雲の上に頂上の方だけ見えていた。あの向うがおくの細道最北の地、象潟かあ。
養泉寺から念通寺までその女性と一緒に歩いたが、念通寺そばのコンビニの向いで分かれた。
他人の奥さんと二人だけで長時間いっしょに歩いているのはよろしくない。
実際、過去にこのようなことで不倫を疑われたことがある。
李下に冠を正さず。である。
コンビニでビールと夜食を買って、ビジホに戻った。