17.06.16(金)
鳴子の温泉ホテルで朝風呂を浴び、朝食をとった後、9:30過ぎ、ウォーク開始。
まず川向うのコンビニでおにぎりと飲み物を買った。
この日は国道47号沿いのルートだが、峠越えの区間なので、外食できる所があるとは限らないだろう。
10:00前、国道旧道の橋を渡って新道の橋の下をくぐった先に、尿前の関跡があった。
着いたちょうどその時、上の山道(というより遊歩道)から女性二人が降りてきた。
ほとんど共通語っぽかったが、「来られはった」と言っていたから関西人だろう。
「尿前の関跡」の案内板を見て、この山道を降りてきたそうだ。
「熊は出ないでしょうか。」「国道のすぐ脇で、車も多く通ってるから大丈夫でしょう。」
二人が降りてきた遊歩道の階段を上った。これがおくの細道のルートらしい。
数十メートルで国道の路側帯に出た。これで熊なんぞ出るはずもない。
路側帯に庄内[わ]ナンバのレンタカーが停めてあった。さっきの関西女性二人連れの車かな。
遊歩道は国道の反対側から続いているが、便意を催したのでトイレを借りに、
近くの日本こけし館へ向かったら、雨が少し降ってきた。
降水確率30%の予報で、晴れ間も見えていたから、すぐに止むだろう。
トイレの後、こけし館を見ようかとも思ったがパスした。おくの細道ルートへ戻り、遊歩道を上った。
1キロ弱で国道に出てすぐまた山道。鳴子峡を迂回する大深沢の遊歩道を1キロほど歩いて再び国道へ出た。
そこから中山平温泉駅までの国道沿いには外食できそうなところが何か所かあった。
おにぎりを準備して来なくてもよかったかな。
その先、12:00 ちょうどに再び国道から分かれた。地図によると4キロほどは国道と違うルートで、
最初の1キロ余りは農道だった。その後、農道から左に分かれる遊歩道へ。
時々ちょっと降っていた小雨は、このあたりで最後になった。途中のあずまやで昼食。
遊歩道はよく整備されていたが、終わり近い「後沢」という沢だけは橋がなく、石を伝って沢渡り。
水量は大したことはなく、つま先が少し濡れる程度だった。
旧街道歩きで、橋のない沢を渡ったのはいつ以来だろうな。
13:25 再び国道に出た。国道に出る直前が県境だが、分水嶺よりはかなり手前。
山形県が太平洋側にはみ出ている。ついに陸奥から出羽に入った。

写真.封人の家
13:40 封人の家に着いた。江戸時代初期に建てられた建物だそうで、
芭蕉と曾良は大雨のため足止めを食い、ここに2泊したそうだ。
「のみしらみ 馬の尿する 枕元」で有名なあの場所である。入場料\250を払って中へ入った。
係:歩いて来たんですか?
私:そうです。今日は鳴子からです。
係:歩いて来たのは今日二人目です。
私:やはり、いるんですね。
ほどなく3人連れが車でやってきて、しばし5人で会話。
3人:おくの細道?この間、雲巌寺へ行ったね。
M3V:あ~。黒羽の雲巌寺ですね。あのあたり、おくの細道ではなく、
奥州街道を歩いたので、雲巌寺へは行っていません。
正直にいうと最初は五街道ウォークとその延長だった。
2010年:日光・奥州街道:日本橋→白河
2014年:奥州街道の続き:白河→名取
2015~:名取からおくの細道
というわけで、小山→白河と福島市周辺は、おくの細道のルートから外れている。
ただ、日本橋から途中をとばさずに連続して歩いているから、
日本橋からここまで歩いて来たのは、うそではない。
1時間ほど話した後、近くの中央分水嶺へ行った。太平洋側と日本海側を分ける本州の分水嶺、
たいていは峠になっているが、ここはなだらかで、水の流れが二手に分かれているとのこと。

写真.堺田中央分水嶺
14:50 分水嶺を後にし、峠の西側を緩やかに下った。
16:10 下りの道から分かれ、山刀伐峠へ向かう道へ。
16:40 赤倉温泉に到着。予約してあった温泉旅館にチェックイン。宿泊客は私一人とのこと。
持っていたiPodミニのウォーキングメータでは、鳴子から37,680歩で29.50km。
やはりどうも距離は多めに出るようだ。地図を見ると22kmくらい。寄り道を入れても、29.5はないだろう。
この温泉は「カルシウム・ナトリウム・硫酸塩泉」で、pH7.9だそうだ。
それより印象深かったのは浴室の造り。
源泉の湧いている天然の岩場を削って浴場と浴槽にし、それを屋根と壁で囲ってある。
一見の価値ある、風変わりな造りの温泉である。

写真.赤倉温泉_三之亟_岩風呂
宿泊客は私一人。盗撮などはしていません。
山間の温泉で、外食場所はなさそうだから夕食も予約していたが、
やはり温泉宿の夕食。必要以上に量が多かった。こんなに要らないのにね。