おくのほそ道ウォーク - 羽越越え芭蕉ルート | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

前々日,前日は曾良のルートだったので、この日は芭蕉のルート。
19.05.03(金)
鶴岡 7:40発の気動車に乗り、あつみ温泉駅へ。8:23 あつみ温泉駅からウォーク開始。8:27 前々日の曾良ルートと分れ、海岸沿いに国道7号を南下。芭蕉は馬で行ったらしい。
 

写真.時計

 

8:53 大岩川の手前に、上の写真の時計があった。これはいったい何だろ? 前々日、下槇代でも似たような時計塔を見た。

9:06 小国川の橋を渡った。前々日歩いた曾良ルートの小国川の河口である。このあたりの地名は大岩川とのこと。9:30 小岩川駅付近を通過。国道7号は漁港の海の上を橋で渡っている。もちろん私は旧道を歩いた。9:35 小岩川の旧道から国道に合流した後、前日乗ったバスが通り過ぎて行った。9:50 道の駅「あつみ」でトイレを借りた。

 

写真.鼠ヶ関跡
 

10:30 鼠ヶ関跡に着いた。白河,勿来と並ぶ奥羽三関の一つである。解説板によると、ここの関は江戸時代以降のもので、それ以前の関は少し南にあったらしい。そのすぐ先で、鼠ヶ関川の橋を渡った。曾良ルートで通った小名部の下流である。
鼠ヶ関の町に入り、10:50 山形と新潟の県境を越えた。この県境、鼠ヶ関の町の中を通っている。隣接した家屋で県が違っていることになる。何か変だな。その前では堤防が海に突き出ているが、掲示板によると、堤防の左右で県や漁協が異なっているらしい。越県合併等で見直したほうがいいような気もするな。

私は、おととし2017年6月16日に堺田で奥州から出羽に入り、18日間歩いて出羽から越後に入った。芭蕉と曾良は、元禄2年5月17日に堺田を出て、6月27日に越後に入っているが、一か所に数日間滞在していることが多く、長距離移動は15日のようである。
芭蕉はここで出羽から越後へ入ったことになる。おくのほそ道には、越後についてほんの少ししか書かれていない。「鼠の関をこゆれば 越後の地に歩行を改て 越中の国一ぶりの関に到る 此間九日 暑湿の労に神をなやまし 病おこりて事をしるさず」たったこれだけで、この後に続けて2句詠んでいるだけ。
「鼠ヶ関から市振の関まで9日で越後を縦断したが、蒸し暑くて病気になり、 この間のことを記録していない。」ということだが、そんなに越後の印象が悪かったのかな。越後にもそれなりに名所旧跡があると思うのだが..
鼠ヶ関から市振の関までの越後路300km以上を、病気なのに9日で縦断した。というのもこれまた驚異的だな。とも思ったが、曾良日記によると15日かかっている。連泊した分を除いて、宿泊地を移動した日だけ数えてみると11日。何をもって9日と言っているのかわからない。芭蕉の虚構か。でも11日でもかなり速いペースだろう。私は延べ3週間ほどかけて歩くつもりである。
国道に合流して 3km ほど海沿いに南下し、11:35 しらはま食堂というところで昼食。あつみ温泉駅からここまで、15.52km,19,971歩。
昼食後、12:10 ウォークを再開。そのまま海岸沿いの国道7号を南下。時々その旧道も通った。
12:19 左の旧道へ入り、府屋の町へ向かった。12:25 中継川の橋を渡った。曾良ルートで通った小俣,中継,荒川の下流である。橋を渡ったところが府屋の中心部で、村上市と合併する前の山北町の中心でもあった。村上市役所山北支所(つまり、旧山北町役場)の隣に何か工事中の場所があり、仮設トイレがあった。施錠されていなかったので、仮設トイレを使わせてもらった。用を足している最中、昼食後にウォークメータを開始していないことに気づき、ここから測定開始。
前々日と前日、曾良ルートの行き帰りにバスで通った JR府屋駅付近を通過。13:00 国道7号と交叉して海沿いの旧道へ。旧道もトンネルで、更にそれて海沿いの集落へ。

写真.ここを這い上がった。
 

道が繋がっているだろうと思っていたが、漁港の堤防で途絶えていた。テトラポットから護岸に上れそうだったので、150cmくらいの段差を這い上ったが、こういうことは年々辛くなってきている。若い頃なら2メートルくらいの段差でも上がれたが、今はこれくらいが限界だな。
その先、国道の旧道を進んだらトンネルが2つあり、2つ目のトンネルは通行止め。通れそうだったので、バリアを越えて中に入った。このあたりの岩場を大崎山というらしい。国道は新道だけでなく旧道もトンネルで抜けているが、そのまた昔の旧道はどこだかわからなかった。通行止めのトンネルを通った直後、斜面の道を下り、JR羽越線の第4種踏切を越えた。
 

写真.碁石の第4種踏切
 

第4種踏切とは遮断機も警報機もない踏切だが、地方へ行くとよくあるね。おくのほそ道ウォークでは、最上川沿い、古口の少し下流付近以来となる。
踏切のない所で線路を横切るのを「第5種踏切」などと呼ぶこともあるが、これは俗語。たしか違法だったかな。中山道を歩いた時にやったことがある。
海岸沿いの碁石の集落を通り、13:52 勝木駅に着いた。ウォークメータによると、山北支所隣の仮設トイレからここまで、4.43km,5,618歩。ウォークメータを動かしていない区間が2kmほどあったので、この日の歩行距離は22kmほどかな。
この勝木駅は、5年前の2014年7月に仕事で来たことがある。小さな無人駅で、目の前の徳洲会病院の建物との大きさの対比が印象的だった。14:28 の列車で鶴岡に戻った。

 

↓この日のウォークの地図(6月19日追加)