おくのほそ道ウォーク - 羽越越え芭蕉ルート2日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

19.05.04(土)
この日は芭蕉ルートの続き。鶴岡 7:40発の気動車に乗り、勝木へ。8:55 ウォーク開始。前日までの海岸ルートではなく、ここから山側に入り、勝木川沿いに遡る。1桁国道7号線沿いなので交通量は多く、熊除けの鈴なぞもちろん不要。
9:25 旧道から右側の国道越しに、プラスチックの配管,チューブ,コネクタ等を作っている工場が見えた。5年前に仕事で訪れたことのある工場だ。その時は、まさかこの道を歩くとは思わなかったな。5年前のことを思い出していたら、軽自動車がやってきて停まり、助手席側の窓が開き、「おくのほそ道かい?」と、聞かれた。70歳くらいの女性だった。「そうです」「これから山へ入って蒲萄峠だよ」「ええ。知ってます。ありがとうございます。」
勝木川は急流ではないが、川が曲がっているあたりでは、国道はトンネルとなっている。下大鳥,上大鳥,笠取という名の3つのトンネルの部分は、旧道を通った。旧道も舗装されている。
 

写真.北中の手前、旧道の橋
 

11:20 旧中村宿の北中に着いた。前々日歩いた曾良ルートとの合流地点である。ウォークメータによると、勝木駅→北中は 11.71km,15,092歩。
曾良日記によると、芭蕉と曾良は温海で分れて別ルートを辿ったらしいのだが、その後、どこで合流したか記述がない。現在の地図を見る限り、この出羽街道の宿場中村で再会したと考えるのが妥当に見える。
とは言えど、芭蕉のルートが本当に勝木川沿いかは推測の域を出ないらしい。現在の地図を見ると、鼠ヶ関から出羽側の鼠ヶ関川沿いに上って、出羽街道の小名部で曾良ルートと合流するルートや、いっそのこと中村は通らず、海沿いの景勝地、笹川流れを通って翌日、村上で曾良と合流するルートもある。前々日歩いた県境の堀切峠の説明板には、芭蕉は鼠ヶ関から出羽街道の堀切峠を通ったようなことが書かれていた。ただ、研究者でもない私が根拠もなしに素人考えで勝手な推測をしても始まらない。旧中村宿の先で国道7号と分かれ、旧国道に入った。芭蕉公園があり、句碑があった。
 

写真.北中の芭蕉句碑
 

大毎(おおごと)の集落を過ぎ、12:08 旧国道との分岐点から左に入った。旧大沢宿の集落に到着。畑仕事をしていた70歳くらいの女性から「山では気をつけたほうがいいよ。」と声をかけられた。「はい。ありがとうございます。」
 

写真.大沢峠案内板
 

写真.大沢峠入口。右の道です。
 

12:15 大沢の集落の端で舗装は終わり砂利道になった。熊除けの鈴を付けた。12:20 石畳の区間が始まったが、長方形のコンクリートの段が敷かれていた。角は擦り減っていなかったので、近年補修したものだろう。ただ、落ち葉が多かった。途中は土の山道がほとんどだったが、昔の石畳もところどころあった。12:35 大沢峠を越えた。
 

写真.大沢峠の後、沢を渡る橋
 

写真.峠の山道から車道へ
 

13:05 山道から未舗装の車道に出た。13:15 矢茸(やぶき)明神・漆山神社に着いた。北中から矢葺明神まで、8.04km,10,257歩。明神岩という奇岩があり、その前に建てられている神社で、アニミズムの典型。近くに淡水魚の養殖場らしき施設がある。ここでおにぎりの昼食。もちろんこの日の朝に買って携行したものである。
 

写真.トカゲ? たぶんトカゲじゃないね。
 

昼食中、ふと後ろを見たら、トカゲのような茶色い動物のつがいがいた。ただ、これはトカゲではなさそうだな。砂を投げつけたりウォーク用のストックを近づけるといったんコンクリートの隙間に逃げて隠れるが、一匹がすぐにまた出てくる。出てくるのはオスだろうな。
13:30 ウォーク再開。ここからは舗装。蒲萄(ぶどう)峠方面へ。13:45 蒲萄峠(266m)を越えた。矢葺明神から蒲萄峠は、1.05km,1,364歩。
蒲萄峠については曾良も「到蒲萄 名立程ノ無難所」と、日記の行間に追記しているそうだ。事前に調べて聞いていたほどではない。という意味か。ほそ道の頃は山道だったはずだが、現在では細いながらも舗装された車道で、難所というほどではなかった。ただ、道は急な斜面を通ることが多かった。北の勝木川水系から、南の三面川水系の支流大須戸川へ抜けるのだが、直接この境を越えるのではなく、間の蒲萄川水系の源流部近くを通るので、その斜面上部を這うように横に通って、谷には下らないこのようなルートになるのだろう。急な斜面を見ると、確かに難所と言えそうだ。
 

このあたりの資料は↓こちらのリンクです。
村上市役所のサイト - 出羽街道
https://www.city.murakami.lg.jp/site/kanko/dewakaido.html

出羽街道散策マップ
https://www.city.murakami.lg.jp/uploaded/attachment/2781.pdf

出羽街道地図
https://www.city.murakami.lg.jp/uploaded/attachment/2782.pdf
 

蒲萄峠を越えた後、14:20頃、旧蒲萄宿の集落から数百メートルほど山側の道を通った。この蒲萄の集落にも路線バスは来ているのだが、1日4本で本数が少ない。8km ほど南の塩野まで行くと、2ルートで1日10本以上ある。次回のウォークの続きを考えると、塩野まで歩いておきたい。峠越えの疲労と脚の状態によっては、蒲萄で打ち切って路線バスに乗るBプランも考えていたが、まだ歩けそうだったので塩野まで歩くことにした。
蒲萄の先には国道のトンネルがあり、その上を旧道が通っているが、うっかり通り過ぎてトンネル近くまで行ってしまった。数百メートルほど引き返して、山道へ。低い峠を越えて、14:53 国道7号に出た。蒲萄峠から国道7号に出るまで、5.59km,6,826歩。
そのまま国道7号沿いに南下。なだらかな下り坂が続いた。少し下ったら正面に飯豊連峰の雪山が見えた。一昨年のほそ道ウォークで、馬の形をした、栗駒山の雪形を見ながら歩いたのを思い出した。

16:05 現国道から右(というより直進)の旧道に入り、旧塩野宿へ。国道7号に合流してから塩野の中心まで、7.20km,8,867歩。
16:00 発の路線バスには間に合わず、17:23 発まで1時間ちょっと待つことになった。国道沿いに龍門寺という寺があり、行ってみようと田んぼの畦のほうに向かったら、手前の空き地で何か踏んだ。タケノコだった。見たら竹の庭の隣で、タケノコが何本も生えている。ありゃりゃ。左右どちらかの家の竹林で所有者はタケノコを期待しているだろう。美味しくなるはずのタケノコを1つ踏み潰しちゃいました。ごめんなさい。
Aプランにしたためウォークメータでは 34kmを超えていた。長めに歩いたので龍門寺で1時間近く座って休んでいたが、夕方で少し寒く感じてきた。路線バスで村上駅へ。乗客は私1人。運転手も客がいるとは思っていなかったようだったが、途中からもう1人乗ってきた。
バスの村上駅到着予定時刻は 17:59 で、乗継の列車は 18:02 発の特急いなほと、その次は18:43の各停。鶴岡着は1時間半近い差になる。路線バスの運行はだいたい遅れることが多いし、乗り継ぎ時間3分では間に合わないだろう。18:43 各停でしかたないと思っていたら、定刻どおり村上駅に到着。駅の券売機に走って行ったらちょうど、隣駅(岩船町)を通過とのアナウンスがあった。大急ぎで乗車券\1320と自由席特急券\930を購入。1時間半早い到着に特急券料金\930を払う価値はあるだろう。
 

写真.日本海の日没
 

村上からの海岸は、磯と砂浜がいくつも交互に連なる景勝地である。新潟県側は「笹川流れ」と呼ばれているが、おくのほそ道はこの景勝地笹川流れ、出羽浜街道を避けるように途中から山側に入り、出羽街道に至っている。現在の笹川流れでは崖の部分を、国道345号とJR羽越線がトンネルで通っている。が、昔はそうではない。勝木川→蒲萄峠→村上のルートのほうが楽そうだ。笹川流れに比べると著名な観光地でもなく、印象も薄いのだが、出羽街道の旧宿場や石畳区間など、意外に穴場的な見どころがある。
途中で日没時刻。久々に日本海に沈む夕日を見ることができた。19:03 鶴岡着。ビジホに戻った。

 

↓この日のウォークの地図(6月8日追加)