おくのほそ道ウォーク - 羽越越え曾良ルート2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

19.05.02(木)
鶴岡 8:34発の気動車に乗り、小岩川駅へ。両隣のあつみ温泉駅と鼠ヶ関駅で前日乗り降りしたので、中間の小岩川駅で降りてみた。小岩川 9:34 の「庄内交通」バスに乗った。案の定、乗客は私1人。前日のウォーク終点、小名部で降りた。乗客は最後まで私1人だった。
この日歩く予定の距離は前日より1割ほど短いが、峠の数が多い。どの峠も大した標高ではないが、前日の2つに対し、この日は4つ。10:00 ウォーク開始。小名部から先は次の集落、旧小俣宿まで公共交通機関はなく、ここも途中リタイアはできず、歩き切るしかない。「山登り?」と60代の女性に声をかけられた。「はいそうです。」熊除けの鈴を付けて南の山中へ。細い道だが舗装された車道であり、山道ではない。

10:25 最初の峠、堀切峠(標高205m)を通過。ここが山形・新潟県境で、出羽・越後国境。曾良はこの峠で出羽から越後へ入ったことになる。今は車道だが、当時は山道だったろうな。でわでは、私M3Vも出羽から越後へ。
この堀切峠の1kmほど西に「日本国山」(にほんこくやま)という、変わった名前の山があり、それが目当ての登山客もいるとのこと。標高505mに因み、毎年5月5日に山開きをするそうだ。3日後か。山頂には以前「日本国征服」の横断幕が掲げられていて、登頂記念に「日本国征服証明書」を発行していたそうだが、『日本国「征服」』は不適切だとの抗議が何件かあり、「日本国登頂証明書」と変更した。とかいう逸話があるそうだ。そんなに不適切な表現かな?10:45 その日本国山への登山口前を通った。

 

写真.小俣宿


10:53 出羽街道の旧宿場小俣を通過。小俣へは1日4往復だけバスの便がある。山形県側の山間集落へのバスは「庄内交通」だったが、新潟県側のバスは「新潟交通観光バス」。社名に「観光バス」と付いているが、ここは路線バスである。小俣からまた山の中、出羽街道を南下。この先、途中で路線バスがあるのは中継(なかつぎ)という集落のみ。中継以外での途中リタイアはできない。
11:18 2つめの峠、小俣峠(標高190m)通過。この峠、手前(北側)は大したことなかったが、それに比べて越えた後(南側)は標高差が大きいような気がした。となると、次の峠の上り標高差は大きいかもね。


写真.中継(なかつぎ)一里塚
 

峠を下ったあたり、旧中継宿の手前に出羽街道の一里塚があった。11:50 旧中継宿を通過。再び上り。12:21 3つめの峠、カリヤス峠(標高240m)を通過。峠を下り、12:45 県道249号に出た。ここまでは舗装ながらも狭い道だったが、ここから先は2車線の道になった。12:55 旧荒川宿を通過。13:07 雨坂峠(標高180m)通過。13:35 出羽街道旧中村宿の北中に着いた。
ここの旧宿場中村に芭蕉が泊まったとされるが、あつみ温泉駅付近で芭蕉と曾良が別れた後、どこで合流したか記録がなく、推測の域を出ないのは、前の記事にアップした。ウォークメータによると小名部からここまで、19.17km、23,748歩。小学校の廃校跡があり、グランド跡で遅めの昼食。もちろん朝買ってきたおにぎりである。
昼食後、北中の集落をぶらぶら。郵便局があり、名前は黒川俣だそうだ。中村,北中,黒川俣と、名が一致していないのは何でだろう? 小俣の郵便局は日本国麓だったが、それは日本国山に因んだものだろう。
ここ北中へは、府屋,勝木(北西方向)からと、村上(南方向)からの、2方向の路線バスがある。14:53 の「新潟交通観光バス」路線バスに乗りJR府屋駅へ。バス乗客は私1人だけかなと思っていたら、途中から40代半ばの女性が1人乗ってきて、勝木駅前で降りた。勝木駅は各停のみ停車で、下り列車乗り継ぎは2時間近く開いているので、私は1つ先の特急停車駅、府屋までこのバスに乗った。

 

写真.雅子様のルーツ村上
 

府屋はかつて、山北(さんぽく)町の中心だったが、平成の大合併で、今では村上市である。村上は新皇后になった雅子様のルーツ小和田家縁りの地だそうだ。府屋 16:15 の特急いなほで鶴岡へ。ところがここから、令和最初のxxxx体験・・ 次の記事にアップします。

 

↓この日のウォークの地図(6月19日追加)