父が亡くなって3日がたちました。
あっという間でした。
今は、とにかくたくさんの人々への感謝の気持ちでいっぱいです。
コメントをいただいたのに、返事できずにいてすみません。
だけど、コメントに何度となく励まされてきました。ありがとうございます。
葬儀に足を運んでくれた友達、本当にありがとう。
そのほかにも、これまでいろんなカタチで私を支えてくださった人へ、
本当にありがとうございました。
父が亡くなって3日がたちました。
あっという間でした。
今は、とにかくたくさんの人々への感謝の気持ちでいっぱいです。
コメントをいただいたのに、返事できずにいてすみません。
だけど、コメントに何度となく励まされてきました。ありがとうございます。
葬儀に足を運んでくれた友達、本当にありがとう。
そのほかにも、これまでいろんなカタチで私を支えてくださった人へ、
本当にありがとうございました。
お父さんの私たちに残された時間のタイムリミットが、日に日に近づいてきているのを感じる。
ほとんど水分も飲めなくなって、どれくらいたつんだろう。
余力にも限界が近づいてきてる。
昨日くらいから、言動が少しおかしいところがあって、さっきも泣きながら、
『3メートルがわからんのんかぁ』っていいながら苦しそうにしていた。
何が3メートルなんだろう。
分かってあげられなくてごめん。
今日のお父さんは、なんだか穏やかです。
久しぶりにひげもそってもらったみたいでスッキリしてました。
夜、肝臓癌のドラマをしてたんだけど、それを見ながら今日は久しぶりによく話しをしました。
今、トイレは尿器を使っています。
おしっこの色が黒っぽいのをみるたびにお父さんは落ち込んでるみたいで、
こんな体になって情けないって泣いていました。
最近のお父さんはよく涙を流します。
自分で動くことがままならなくなって、立ち上がることも、起き上がることも難しくなって、情けないって・・・。
今、機能している肺の音もあまりよくないらしくって、てにも力が入らず、タバコを持っては落とし、持っては落とし・・・。
こんな状態でもタバコを吸いたいっていうんだけど、ほとんど吸えてなくって形だけ、雰囲気だけを味わってる感じです。
眠ってる時のお父さんは、必死に息をしてるって感じに見えます。
精一杯の力を使って、必死に生きようとしている。
人は、物が食べられなくなって、エネルギーを外から得ることが出来なくなると、自分の体の脂肪や筋肉を燃やしてエネルギーに換えるそうです。
妹のお腹の赤ちゃんの出産予定は11月。
あと2ヶ月。
お父さんはきっと赤ちゃんに会えるまで頑張ろうって思ってる。
赤ちゃんには会うことは絶望的だった数ヶ月前から考えると、今は少し期待がある。
もしかしたら、会えるんじゃないかって。
けれど、あまり、ここにこだわらずに毎日を過ごして生きたいなって思う。
あまり周りが騒ぎすぎると、お父さんにとってもきっと負担になっちゃうだろうから。
なるようになる。
昔から父はこういってた。
会うべき人には必ず出会えるし、縁がなければ出会わない。
その時がやってこなければ分からない。
今日は、仕事が休みでした。
夕方、ちょっと眠たくなってウトウトしてたらほんとに寝てしまい、携帯電話で目が覚めました。
そのあと、お父さんの所へ行くと、
トイレに行きたかったのに、誰もいなかったので、ベッドの側にあったゴミ箱でようを足したといわれました。
・・・やってしまいました。
お父さんの呼ぶ声に気づかずに、寝てしまってました。
お父さんの気持ちを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今お父さんは1人で起き上がることができません。
立つのも前から抱えてやっと立てる状態です。
トイレに行く時は、亀田3兄弟のようなかたちで肩を持って歩いていきます。
今日は、お父さんの顔をみることが出来ませんでした。
毎朝、トイレに行きたいおとうさんの呼ぶ声で目を覚まします。
お母さんのいない時間、ちゃんとしなくっちゃ。
お父さんごめんなさい。
昨日、8月26日は友達の命日。
今日は友達と、その友達の家に遊びに行ってきました。
お昼過ぎに出発して、家に帰ったのは夜の11時くらい。
おじちゃんとおばちゃんにしっかりとご飯をご馳走になって、しっかりとゆっくりしてきました。
おじちゃんとおばちゃんは、大切な息子を交通事故で亡くした。
一緒に行った友達も、お母さんを癌で亡くした。
おじちゃんもおばちゃんも友達も、会いたくても、声が聞きたくても、もう出来ない。
私は、お父さんと一緒に暮らしてる。
まだ、一緒にバレー見たり出来る。
今日が、とっても尊く思う日がいずれやってくる。
私は、自分の幸せをめいいっぱいかみ締めながら生きていきたい。
たくさんの人が私を励ましてくれる。
たくさんの人が私を支えてくれてる。
お父さんも、友達に今日会えてすっごく嬉しそうだった。
野球の話に花が咲いたり、目がとっても輝いてた。
今、眠ってるお父さんを見ながら、私は何度もお父さんが今生きてるってことを確認した。
最近夜寝るのが、惜しい。
眠らなくても大丈夫な体がほしい。
明日がやってこなければいいのにって毎日思う。
今日はお医者さんの往診がありました。
私は仕事だったので、夜お母さんから様子を聞きました。
そして知ったこと・・・。
父の右の肺は、ほとんど機能していないらしいです。
最近、状態は決してよくはないけれど安定しているかのようにおもえてましたが、
やっぱり少しずつ、少しずつ、父の体は癌に蝕まれているようです。
そして、採血も2本とる予定だったのに、1本分しか血液が取れなかったそうです。
けれど、看護婦さんが帰るときに父は 『もう一回やってみぃ』 って自分の腕を出したそうです。
昨日の夜から父は、ベッドではなくリビングのソファーベッドで寝るようになりました。
こっちのほうが楽だといっていました。
父は今ご飯を全くといっていいほど食べられないけれど、私たちがご飯を食べる時、一緒にいます。
ここだったら、動けなくても、家の中心だから寂しさも少しは和らぐような気がします。
今日は、訪問看護婦さんの来る日でした。
比較的調子が良くって、久しぶりに看護婦さんに向かって悪態をついたりしてました。
父のバローメータは、看護婦さんに悪態をつけるかどうか。
ある看護婦さんは、我が家に来て父に会うなり 『ばばあ!』 って言われます。
ケド、看護婦さんは笑顔でいつも答えてくれます。
けれど調子の悪い時には、看護婦さんが来ても眠ったままの日もあります。
だから 『ばばあ!!』 って言う=調子がいい 。
そして今日はお医者さんの往診もありました。
このお医者さん、父の地元の先輩で、くるといつも共通の知人の話に花が咲きます。
余命3ヶ月といわれながらも、その3ヶ月は過ぎ、一時期よりも状態がよく見えます。
けれど、今日ちょっとショックな事がありました。
父がトイレに行くというので起き上がる際に私の手を握って起き上がろうとしたとき、
私は、骨と皮の父の手を握って引っ張ったら痛いだろうと重い、父の手すり代わりになり父に私の手を引っ張ってもらいました。
父は、起き上がれませんでした。
結局私が手を引っ張ってようやく起き上がる事が出来ました。
今日、ウインナーを焼いて食べてた時、調子がよさそうなので父に1本上げました。
父は一口食べてあとは口にしませんでした。
『味がわからん・・・。』 って言いました。
何を食べても同じ。って。
肉らしいものを食べてないから少しでもって思ってあげたけれど、かえってそれで父を落ち込ませてしまったようで心が痛みました。
良かれと思ってした行為が、必ずしもいいことではない っていう事を、父と過ごしていてよく感じます。
これは自分の仕事にも通じる事。
鈍感な心は人を傷つける。
そんな感じのことをテレビで誰かが言っていたのを思い出しました。
相手の目線に立つこと。
相手の目線に立つ努力をする事。
簡単なようで、維持していく事は私にはまだまだ容易でないなと感じました。
21日から職場復帰。
認知症のお年寄りと接するのは、自分の状態がよくないときにはドキドキします。
自分の心が見透かされてる気がするからです。
接する側の心理状態によっても、認知症の症状の出方がかわってくるからです。
コチラが落ち着きのないそわそわした感じだと、相手もそわそわして徘徊や問題行動と呼ばれる行動も増えます。
切り替えなくちゃ。