朝、串本町の公園で目覚める。
※乗り入れはやめましょう。
朝起きてから知ったのだが、この公園はキャンプ禁止となっていた。その割には、駐車場での車中泊はかなりの台数いたが・・・・・トラブルにならないよう急いで撤収していると、1人のおじいさんに話しかけられる。どうやら車中泊していたようだ。
名前は聞かなかったが、この界隈では仙人の愛称で知られているという。たしかに伸ばした白髪を後ろで束ね、髭を蓄えたその様はイメージ通りのまさしく仙人。僕も仙人と呼ぶことにした。話を聞くと、仙人は若いころから旅に生きてきた人のようで、毎年冬になるころは暖かく過ごしやすいここ串本を訪れ車一台で過ごすという。しかし潮岬キャンプ場が新型コロナの影響で閉鎖され、仙人も今年は行く当てがなくこの公園を拠点としているらしい。どうりで、車中泊が多い訳だ。僕との年は祖父と孫ほど離れているが、お互いの旅話で意気投合し2時間以上もベンチで話をした。
別れ際、お互いの連絡先は交換したものの照れくさくて写真は撮らなかった。まぁ、きっとまたどこかで出会うだろう。その時はまた、僕の冒険談をしたためておかなくては。
そんなわけで出発はいつもどおり11時を過ぎたころに。といっても今日のメインイベントである本州最南端、潮岬はもう目と鼻の先なので、別段急ぐこともない。
生憎の曇り空だが、僕の求めた岬はもうすぐそこだ・・・
まずは最南端の灯台、潮岬灯台へ到着。入館料を払っていざ中へ。
1873年建造って、明治維新のすぐあとじゃないか。どうりで風格が違う訳だ。
螺旋階段を上がっていくと、日本中の灯台の写真が飾られていた。以前に行った横須賀の観音崎灯台もあり、あの時の思い出が蘇ってくる。しかしまだ行ったことのない灯台のほうが圧倒的に多い。いつか日本の灯台制覇!なんて旅もいいかもしれない。
灯台の上まで来た。
う~ん、曇ってますな~。
これより先に、陸地が見えないことを確認してから降りた。あらためて灯台の外周を見渡すと、奇妙な虫が多いことに気付く。
マクラギヤスデ?さっきの公園にもたくさんいたし、今年が大発生する周期なのかな。
虫と言えば、アサギマダラもちらほら飛んでいる。
11月後半だというのに、元気に飛んでいた。さらに昨日から蚊に悩まされている。あぁそうか、ここは本州で一番南なんだね。小さな命が、僕に座標を教えてくれた。
隣にある神社にも行って見る。
あまり建築には興味がない自分が、初めてカッコいいと思えた。
灯台見学を終え、いよいよ最南端に行くぜぇ!
本州最南端、潮岬到達!!!
これで、3つ目の本州の端にカブで来れたことに。ここまで来たら、残る最東端にも行かなくてはならなくなった。
最南端を堪能した後、紀伊大島に渡ってみる。島と言っても、橋で繋がっているので簡単に行ける。僕が小学生のころから知っている島なので是非行って見たかったのだ。
なぜ知っていたかというと、社会の教科書にこの島に難破した船のことが小さく書いてあったから。授業の本筋にはあまり関係ない話だったけど、なぜか記憶に深く刻まれている。エルトゥールル号遭難事件だったか。当時の僕は食い入るように、異国からの漂流者の顛末を読んだ。
エルトゥールル号の乗員は、紀伊大島の人々によって救われた。その話を読むことで、授業に退屈していた当時の僕は救われた笑
敷地内には偉大なるオスマン帝国の英雄、トルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの像が。その姿は今も馬上から未来を指示しているようだ。
「国に平和を 世界に平和を」by アタテュルク
大統領、あなたが防衛したガリポリ半島は今もトルコ領であり続けていますよ。
こちらにも灯台があったので入ってみることに。
この旅4つ目の灯台。
こちらは1870年生まれ。
ほかにトルコ人が経営する織物屋などもあり、広い敷地内を存分に散策した。駐車場に戻って支度をしていると、二人の男性に話しかけられる。
1人は名前は聞かなかったが自転車で日本一周中の男性で、もう1人は地元の坂田さんという方。坂田さんは旅人の間では有名人らしく、今も男性を車に乗せて案内しているそうだ。二人に今までの旅のこと、そしてこれからの旅の事をたくさん(2時間くらい!)話して、閉園時間が迫るころにお別れ。この時も写真は撮らなかった。ちょっと後悔してるけど、恥ずかしいんだよなぁ笑
しかし、今日は出会いが出会いを呼んで予定の半分も進めていない。本来ならば最南端見学を午前中に終え、帰りを見据えて距離を稼ぎたかったが‥‥まぁ別にいい。帰りなんてどうでもいいや。
ということでもう一日和歌山に泊まることに。潮岬から戻ってきたところにあった磯からカサゴを釣って楽しみ、駐車帯でテントを張って就寝。明日もがんばるぞーー!!
かけがえのない出会いから、人生を楽しく生きるヒントを貰えたような気がした一日だった。
(つづく)