みぃちゃんず(鉄道部)

みぃちゃんず(鉄道部)

ちょっと昔~現代の鉄道事情を実車や模型などを交えて。

阪急宝塚線宝塚駅を道路を挟んだJR側から。

 

反対側から。

こっちがオモテ?初めてなのでよく分かりません。

阪急百貨店も入っているんですね。

 

宝塚と言えば宝塚ですかね。これまた専門外なので分かりません。

 

見どころはたくさんあるようです。

今津線って駅を出たら直角にカーブするんですね。

 

宝塚と言えば手塚治虫記念館ですね。

また時間がある時にゆっくり訪問するとしましょう。

 

駅に戻って。

今津北線は5000系。

 

同じく今津北線の7000系も。

 

今津北線は3号線、宝塚線は4号線です。

1号線、2号線は今津北線用ですが昼間は使ってないみたい。

 

屋根があるので昼間でもホーム先端部は暗いです。

左2本が宝塚線、電車が出て行ったほう2本が今津北線です。

3号線だけが今津北線と宝塚線の両方から発着できるようになっています。

 

電車ないほうがわかりやすいですね。

 

宝塚線の急行梅田行きは9000系。

 

同じく大阪梅田行きの1000系急行。

 

そして大人気だったちいかわ号。2023年8月の撮影です。

最近阪急も乗ってないなー・・・

 

日根野駅を出発する205系1000番台の4両編成。

数少ないJR西日本の205系です。

4両編成×9編成ですか(うち5編成が1000番台)

今は奈良電車区所属で奈良線で活躍中かー。

久しぶりに乗りたくなりました。

 

写真は2007年4月ですからもう17年も前ですね。

阪和線の103系を置き換えるべく大量増備されるかと思いきや、たった5編成で製造終了となりました。

ちなみに1000番台は国鉄でなくJRの電車です。

柏原市にある大和路線の高井田駅にやってきました。

JR大和路線の中では比較的新しい駅で、1985年8月に開業しています。

 

柏原市の観光案内図です。

ちなみに、大阪メトロ中央線にも高井田駅がありますが、こちらは東大阪市にあり、全然場所が違うので初めて来る人は間違えないか心配です。大阪メトロの高井田駅は同じ年の1985年の4月に開業です。

難波あたりから高井田駅までと言ってタクシーに乗ったらどっちに連れて行かれる?

 

駅前広場はバスターミナルになっていますが、バスはそんなに多くなさそう。

直ぐ近く(画面右手)に大和川が流れています。

ちなみに大阪メトロの高井田駅のすぐ上にJRおおさか東線の高井田中央駅があります。

JRでも高井田中央駅と高井田駅がすぐ近くと思ったら全然違うところにあるので注意ですね。

 

橋上駅舎で、2面2線の対向式ホームになっています。

バスターミナルのある側と反対側の出口は自転車駐輪場があるだけで広場はありません。

 

平屋根の橋上駅舎が多いなか、この駅は三角屋根のオシャレな外観です。

 

2階から寄りで。

 

改札口付近は天井が高くて解放感があります。

 

自動改札が3基あります。

 

ご多聞に漏れず、みどりの窓口は随分前に廃止されています。

みどりの券売機すら廃止されていて指定券などは買えません。

ピンク色のは定期券が買える券売機です。

一応有人駅ですが、小刻みに係員不在時間があります。

 

普通電車しか停まりませんが、15分おきに来るのでさほど不便ではありません。

快速電車は猛スピードで通過していきます。

(JR難波方面乗り場の奈良側からの撮影)

 

駅から少しJR難波寄りで近鉄大阪線がオーバークロスしています。

ちょうどアーバンライナーが通過しているところ。

 

奥が奈良側です。

駅を出発すると左にカーブして河内堅上駅に向かいます。

この駅から山手に入って行きます。

 

最後は高井田駅に進入するJR難波行き普通電車です。

 

時間がなかったのでサクッと見学でした。

眺めのいいところの写真を撮るの忘れてしまった。

 

そう言えば、富山駅からタクシーで小杉駅までと言ったらどっちに連れて行かれるんだろ・・・

 

 

 

 

 

 

JR大阪環状線の弁天町駅です。

弁天町駅と言えば、交通科学博物館を思い出す人も多いのでは?

残念ならが京都鉄博への発展的解消ということで閉館となりましたが、約50年間この地で博物館を営んでいました。

子供の頃に連れられてきて、そのまま鉄ちゃんになってしまったうちの一人です( ´∀` )

そんな弁天町駅の今の様子です。

 

大和路快速と関空紀州路快速の出会い。

オレンジ一色の電車も今は昔・・・・

 

ホームドアの工事中です。

内回り線はホームドアが立ちましたが、まだ稼働はしてません。

外回り線はまだ基礎工事の段階のようです。

外回りホーム(大正寄り)からの撮影です。

 

内回り(西九条寄り)からの撮影。

 

ホームドアは軽量版が設置されています。

柵の真ん中が抜けている分、軽くなっているようです。

軽くなることでホーム側の補強などの工程が削減でき、工期、コストも少なくなるそうです。

右端の狭いホームドアは車掌さん用?

 

ドア開口部は広めなように思います。

乗り場案内〇印と△印が付いていますが、4扉車の〇印って必要?

環状線から4扉車は駆逐されたので不要な気がしますが。

 

ホームドア設置だけでなく、駅の大改造も進行中です。

工事スペース確保のためホーム幅は狭くなっています。

ラッシュ時はヤバそうです。

この白いタイルのところ立ち食いそば屋さんがあったんですけどね。

飲料の自販機類も撤去されてしまいました。

 

ホームドアの案内。

機材は森ノ宮の車庫に疎開してる201系が夜中に運んでいるらしい。

こういう時は4ドアの通勤型車両は便利です。

環状線全駅にホームドアが付くまで201系が残るとか?それはないか・・・

 

駅から出てみますと。

せませまになっています( ´∀` )

マクドナルドも閉店されていました。(画面左)

駅前も大規模な工事中です。

ってここからじゃ分かりませんよね・・・

 

ということでポジションを変えて。

ここがどこか分かりますか?

鉄道好きの皆さんならわかると思いますが、交通科学博物館跡です。

昔は弁天町駅の改札を出たら小さい陸橋を渡って、交通科学博物館と繋がっていたんですよね。

その小さな陸橋もなくなってしまいました。

新しく作っている陸橋は大阪メトロの弁天町駅とをまっすぐ結びます。

 

交通科学博物館の敷地全体を入れてみます。

面影はまったくなくなりました。残っているのは敷地の形だけです。

 

左奥が大阪メトロの弁天町駅です。

今でもJRの改札から陸橋で繋がってはいるのですが。

大阪メトロの弁天町駅は中央大通りの道路の真ん中にあります。

 

道路の右が交通科学博物館のあった場所。

現在の改札は画面左側の2階にあります。

 

中央の高層ビルはORC200。

この下あたりの場所に新しい駅舎・改札が出来るようです。

ちょうど交通科学博物館の敷地の中央あたりですかね。

ORC200は国道43号線を挟んだ向かい側になります。

空庭温泉とかもあっちですね。昔はPOOLSでした。

 

旧交通科学博物館の周囲の道路を歩いて巡ります。

足場を組んであるのが環状線内回りのホーム(上の写真の部分)

 

旧交通科学博物館の敷地の周りを歩いて、北東の端まで来ました。

敷地内には現場事務所が出来ています。

 

しれっと関西万博の宣伝もやっています。

 

工事現場の門が開いていたので外から覗いてみます。

真上が大阪環状線のホームです。

ここも交通科学博物館の敷地だった場所です。

 

そしてJR弁天町駅の北側改札です。

この改札は後で出来たもので、と言っても随分前ですが。

新しい駅舎が完成したら、こちらの改札も無くなるでしょうね。

 

改札口は線路の真下にあります。

 

内回りのホームから見た交通科学博物館跡の工事現場の様子。

寂しい限りですが、将来は駅前広場に?

 

<おまけ>

今の時期だけ駅に貼られるポスター。

来週は天神祭りです。

桜ノ宮駅と天満駅は近いので、まあ歩いてもいいかもです。

でも天満駅の混雑も結構なもんですがね。

 

<おまけ>

関西万博開幕まで、あと267日。

大阪メトロとの乗り換え駅ですので、相当な混雑が予想されます。

それまでに駅のリニューアルは終わるのか??

今でも観光客で混雑が酷い弁天町駅です。

 

おしまい。

下関駅。DD51+50系客車の山陰線列車。

あまりいい写真じゃないけど、記録ってことで。

昼間はDCの2両とかで夕方ラッシュ時は50系の4両編成だったかな。

牽引機はDD51 1123で米子の機関車。

米子の機関車は下関~大阪、京都まで行動範囲が広かった。

減ったとは言えまだ下関側で客車列車が残っていた時代。

1990年頃だったかなー、下関から北九州を旅行した時に撮影。

 

あれほどたくさんいたDD51も生き残りはわずか2両、工臨で走るぐらいか・・・

 

下関口も今は単行の気動車が走るローカル線に。

仙石線 松島海岸駅 松島観光の折の一枚。

今の松島海岸駅はどんなふうになっているんでしょうか。

103系モドキの73系旧型国電が停車しています。

当時はアコモ改造車なんて呼んでましたっけ。

駅前に並んでいる車を見れば時代が分かりますね。

 

仙石線のカラーが緑に黄色帯からブルーに塗替えが進む頃。

両方の塗装が見れた頃です。

73系の下回りに103系の車体を載せたリニューアル車で形式は73系のまま。

先頭車はクハ79、中間車はモハ72でした。

 

これはどこの駅だったかな・・・思い出せない。

京浜東北線に見えなくも、いや見えません。

 

この73系たちは後に下回りを103系のものに交換されて、本物の103系になることができたのでした。

まさか103系になって首都圏に戻ってくるとはねえ・・・・

 

残念ながら103系時代の写真がなくて。

信越本線 横川駅構内で待機中のEF63 25

25号機はロクサンのラストナンバーでした。

 

相棒はプレートナンバーなので3次型のいずれかと思います。

ちゃんとメモしておけばよかった・・・

EF63は必ず2機がペアで使用されていたので1両ぼっちの姿は見ませんでした。

 

横川にはたくさんEF63が居ましたね、この頃は。

長野新幹線が開通するもうちょっと前の撮影でした。

まだ廃止前の大騒ぎになる前です。

それでも結構撮影してた人は多かったですが。

南海高野線 今宮戎駅の乗り場は高架の上にあります。

なんば駅を発車してすぐです。

 

ガーダー橋を下から見たところ。

こういうところで南海電車の歴史を感じます。

南海本線は複線で作られています。

 

南海高野線は単線の橋脚/ガーダーが2本です。

 

纏めるとこんな感じで。

リベット組立の橋脚と鉄橋が美しいですね。

こんなの誰も写真撮ってませんけどね。

 

高架下に駅の入り口はあります。

改装されて小綺麗にはなっていますがご多聞にもれず無人駅です。

 

券売機も改札機もこれだけあれば充分なんでしょうね。

乗降客もさほど多くなくて、ある日を除いては。

 

高野線の各停しか停まりません。

本線の普通は通過です。なぜならば本線にはホームが無いから。

本線は各停でなく普通だからねー。

 

新今宮の駅が見えています。

 

ホームが無い複線が南海本線です。

高野線は1面2線の島式ホームです。

ホームのなんば寄りから撮影。

 

本線の電車はこんな感じです。急行列車がなんばへ急ぎます。

 

泉北高速線の電車は呼んでも停まってくれません(*^^)v

 

9000系は空港急行かな?

 

駅名の由来、今宮戎神社は駅のすぐ近くにあります。

 

1月10日のえべっさんの日には大混雑となりますが、普段はこんなに静かです。戎様は商売繁盛の神様です。

大阪メトロの恵美須町、大国町も近くです。

七福神勢ぞろいとは行きませんが( ´∀` )

 

ブルートレインの華と言えばA寝台車ですね。

ブルトレ車両としては最後に登場した24系25型ですが、A寝台車の新製は僅か1タイプ(0番台)だったのが改造車を含めると多数のタイプが登場しています。

という訳で、A寝台のオロネ25を模型で振り返ってみたいと思います。

実車は乗ったことがないもので( ´∀` )

 

オロネ25 0番台。

オロネ25として最初に登場した12両です。

東京発の「富士」「はやぶさ」など九州方面のブルートレインを中心に活躍。

 

シングルDXでA個室が14室設置されています。

開放B寝台よりも個室であることから人気があったようですが、B個室が登場してからはコスパの面ではB個室を利用するよなーと個人的には思いました。今思えば狭いので快適かどうかちょっと疑問・・・

 

こちらが廊下側。寝室側と廊下側で窓割りが随分違います。寝室側と違って7つの大きな窓がゆったりと配置されています。

東京~九州間ブルトレ当時の姿のモデルです。

JR東日本車は最後は「出雲」で活躍、JR九州に渡った車両はオロネ15に改造されて「富士」「はやぶさ」などが最後まで活躍。

 

オロネ25 700番台。

オロネ25 0番台のアップグレード改造車として3両が登場。

銀帯2本から金帯3両になりました。

他のグレードアップ車と共に東京~博多の「あさかぜ」で活躍し、

東京~博多「あさかぜ」の廃止後は、上野~青森のはくつるで活躍。

 

外観的に帯が変わったぐらいでほぼ変化はなく、内装がリニューアルされているぐらいです。

全車がJR東日本の所属していました。

「あさかぜ」廃止後に「はくつる」に転用されたのは何故?

金帯編成の出雲のオロネは銀帯のままだったのに・・・

 

廊下側には内装ステッカーを貼ってみました。

窓越しに見えるのは実感的ですね。

車番はオロネ25 701としています。

 

0/700番台の寝室の様子。

やっぱり狭い気がしますね、乗ったことはないですが。

 

オロネ25 300番台。

オハネ25の100番台を改造して5両が登場。

JR西日本の「あさかぜ」「瀬戸」で活躍。「あさかぜ」「瀬戸」の運転終了後は一部は廃車、残りは「日本海」に転用されました。

 

廊下側です。一部埋められていますが、オハネ時代の窓割がそのまま残っています。

モデルは「あさかぜ」末期のもので、床下がグレーです。

 

寝室側です。

こちらの窓はオロネ改造時に開け直されて窓配置も変わっています。

 

ちなみに床下が黒だとこんな感じです。

模型ではノーマルの「あさかぜ」セットに入っています。

 

寝室は0番台よりやや広めで1人個室が10室です。

ベッドと反対側の壁を動かして2人部屋にできるそうです。

車端部にはシャワー室があったのですが、模型では再現されていません。

再現しても窓がないので見えませんけど・・・

 

オロネ25 500番台。

オハネ25 100番台からの改造車で6両が登場。

ツインDXで2人用個室となっています。

6両のうち4両が100番台の改造車でした。

JR東日本、JR北海道に在籍し「北斗星」で活躍。

「北斗星」登場前は暫定的に「ゆうづる」で使われていたらしいです。

 

廊下側は元のオハネ25の窓割そのままです。

こちら側から見れば北海道乗り入れ用に扉が引き戸に改造されたぐらいです。

 

こちら側もオハネ25時代の横長な窓割もそのままです。

寝台上段の小窓が追加されています。

 

こちらはオハネ25 0番台改造のオロネ25 500です。

2両が登場し、JR北海道のみに在籍していました。

模型では「北斗星3・4号」セットに含まれています。

 

廊下側の窓配置は100番台改造車と同じです。

 

寝台側は0番台由来の大きい窓で、上段用の小窓が追加されています。

JR北海道の502,503がこのタイプでした。

 

寝台は全部で8室で各室2段寝台なので定員は16名です。

0番台よりは広くて快適そうですね。

 

オロネ25 550番台は1両ぽっきりの登場。

JR北海道の所属でオハネ14 500番台の改造車です。

勿論、「北斗星」専用のA寝台車のツインDXです。

 

オロネ25では唯一オハネ14の改造車です。

廊下側の窓配置にオハネ14の面影を残しています。

クーラーもAU76ですし、ドア窓もHゴムです。(24系はHゴムではない)

車端の手すりの位置も妻板角にあります。

 

こちらの側面はオハネ14の面影はまったくと言っていいほどありません。

上段は小窓が並び、下段は横長の大窓が並んでいるのが外観上の特徴です。

「北斗星1・2号」セットに含まれていますがよくまあこんな車両まで製品化したなと思います。

 

上段4室、下段4室で、各部屋はベッドが枕木方向に並行に2つ並んでいます。

こういう2階建て構造は珍しいですが、どこからでも梯子を使わずにベッドに入れるのはいいですね。

定員は2人×8室で16名なので、その他のオロネ25と同じ定員です。

室内加工してないので分かりにくいですが・・・

 

そして最後はオロネ25 900番台です。

ご存じ夢空間のうちの1両です。

「夢空間北斗星」などの臨時列車で活躍。

ツインルーム×3室の定員6名のデラックススリーパーです。

 

従来のブルートレインとは一線を画す外観となっています。

一度は乗ってみたかった車両ではありますが・・・

 

試作的な車両で1両のみの登場です。

屋根中央部の白い物体は衛星アンテナですかね。

 

ツインルームが3部屋のみです。

各室バス(浴槽付き)・トイレが付いています。

写真右端の部屋は特別室のスーペリアツインです。

スーペリアツインは居室と寝室が分れていてめちゃ広いです。

この車両の内装は高島屋が担当したそうです。

 

 

ということで、オロネ25各種を模型でまとめてみました。

こうやって見るとオロネ25に関して言えば細かい仕様は別にして全種模型化されているということですね。

 

※製品は全てTOMIXのものです。

 

 

 

国鉄時代はEF65 0番台は貨物用機関車で目立たない存在でした。

(P/PFのほうが人気でしたね)

そんな0番台もJRに移籍後は塗装が変更されたりと個性的な機体がつぎつぎに登場しています。

中でも100号機は国鉄色なのに一風変わった装備と言うか・・・

 

製品はTOMIXの#92974のEF65JR貨物の2両セットから。

 

実車は何度か見たことがあるのですが、東海道線に乗ってたら横を走ってた、みたいな感じで写真は残っていません。

当時はPS22パンタに扉がカラシ色だったのですが、製品化されたのは末期の状態の扉がカラシ色でなくなっていました。

 

国鉄時代のカラーリングのままJR時代に手を加えた感じで中途半端感は否めないです。

パンタグラフを取り換えてしまうあたりは広島工場おなじみの工程ですね。

やっぱりカラシ扉は不評だったのか、上塗りされてたんでしょうね。

 

TOMIXお得意のヘロヘロなプラ製パンタはKATOのパンタ(3061-1F)に交換しました。

これは無加工でポン付けできるんですが。

今ならTOMIX純正の金属製のPS22パンタがパーツ販売されていますね。

GPSアンテナも当時の標準装備でした。

 

ATS-SF装備で、広島の検査標記が入っています。

 

ナンバーは特定番号なので、EF65 100 が印刷済みです。

メーカーズプレートの取付は苦手です・・・

末期の仕様なのでHゴムは黒になっています。

カラシ色の扉の時代のHゴムはグレーだったようですが。

 

両側の台車はDT115系列です。製品では一体圧延車輪になっています。

実車もたぶん一体圧延車輪に交換されていたんでしょうね。

 

 

ということで、EF65 100 でした。

EF65 0番台はJRになった時に多くが廃車になりましたが、その後車籍が復活した車両があったりと、東海道では出会う機会の多い機関車ではありました。

(その割に写真が残っていないのは当時はあまり熱心に写真を撮っていなかったからですが)

このままの姿で国鉄時代の貨車を牽引するのはちょっと無理がありますね。

コキ50000系やワム8の長編成などの貨物列車が似合います。

 

カラシ色の扉にするかどうか考えてるうちに数年経ちました・・・

扉の塗替えはいいとして、側面のHゴムが車体側なので塗り替えるの面倒なんですよね。