シチリア紀行 advanced① | 100回行こう、ヨーロッパ 

100回行こう、ヨーロッパ 

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  100 回行こう! と勢いはよくても、実際の訪欧はまだ約40回。欧州その他への
  これまでの 100 回超の海外旅行で 体験したことや、思ったこと ・ 感じたことを
  つれづれに記してみる。  【タイトル背景はプラハ】

これはコロナ枯れでネタがないため、過去に掲載した旅行記を再度UPするものです。 ただ再掲にあたっては より詳しい記述になっています。

 

09/08/08 (土)

関空を発ったのがPM 1時と遅く、ローマまで12時間。今 現地時間で夜 8時半。いつもながら疲れる飛行機旅である。とりわけ今日のアリタリア、まずは機内のイヤホン差込み口が壊れていたこと。そのためエンタテイメントは一切使えず。席が狭い上に前の席が大きく倒されたので不自由であった。ほとんど何もすることがない。新聞も週刊誌も読んで 最後は音無しでゲームを楽しんだ。インベントという一昔前のインベーダーゲームの亜流。やり込みすぎで指が痛くなってきてローマに到着。

アリタリア機には多くの日本人ツアーが乗り込んでいて、空港のあちこちで輪を作っている。次のパレルモ行きは21時40分発で、まだ1時間余りあるので この日記を書くことに。

 

機内の臨席は高松からの兄さんで、学校を出たばかりといった様子。出身は東京だが、高松に単身赴任しているとか。姉がトスカーナのどっかで結婚式を挙げるので、一族で参列するらしい。それ以上に話は進まず。

 

夜中11時にパレルモ着。手順どおり預け 荷物の引き取りにターンテーブルに向かう。最後の分が出終えても自分たちの荷物が出てこない。それでも引取られない荷が回っているものだから、これで終了という踏ん切りがつかず、いつまでも居続けた。ついにはダメと諦め バゲッジクレームに行く。10組以上もいたか、自分たちを含め 日本人グループは 3組。聞き取りは遅々として進まず。市内への最終バスも出てしまい最後の一人になった。今晩そして明日以降はどこに泊まるのか、日本での連絡先は、スーツケースの色は といった簡単な内容。一体いつ頃に届くのかといった問いにさえ明確な返事がない。

ローマでゲートが変更されたことを搭乗直前に知って、空港内を走る羽目になったことも併せ、アリタリアはええ加減じゃの怒りが増す。

 

夜中12時半過ぎに手続きを終え 空港ビルを出ると、先に済ませた成田(から来た)夫婦がタクシーを待っている。一緒にパレルモ市内まで出ようと相乗りし、料金は折半することに。チップ込み 60€を半分負担。空港から市内まで30 kmというが、実際にも長い距離を走る。市内に着くと 夜中の1時だというのに市内観光のバスが走っており、何じゃこれは? が第一印象。人出も多い。

 

 初日に泊まったホテル屋上からパレルモ市街を見る