大阪へ帰る便が 那覇空港12:30発と 観光に充てる時間があまり無いので、近くの那覇市歴史博物館へ行ってみた。ビルの1室にある小さな博物館で、見るモノは多くない。
「戦前の沖縄観光」という企画展をやっていて、戦前における観光振興のようすが紹介されていた。戦前だから 船で来島するのが主流で、阪神と結ぶ商船がメイン航路であった。この航路は私が社会人になってからも暫くの間 残っていて、神戸港・中突堤にあった沖縄行き乗船場を訪れ、ここから沖縄へ行けるんだと ロマンを抱いた記憶がある。
戦前の沖縄の観光地というのが紹介されていたが、首里城や識名園、波上宮… は現代と共通である。ただ 首里城や守礼門は戦禍に合う前だから、写真で見る姿は古びており 今みたいにキンキラではない。以前の建物の方が趣きがある。
戦前の観光客が見た沖縄という旅行記(昭和5年)が綴られていたが、「自然も人も共にミジメで 荒涼としているが、唯一 不似合いに立派な建物が墓である… 」の一文があった。確かに 沖縄の墓を初めて見ると驚くが、都会では墓地不足でコインロッカーの墓まであるご時世下、いくら沖縄でも これからはこんな大きなのは作れないだろう の印象である。
干潮で両岸が干上がった海中道路の先の伊計島には縄文時代の仲原遺跡があった
ひめゆりの塔にもお参りしておいた 島のあちこちで目にする沖縄の墓