こんにちは まさくんです。
国道1号線から見える大鳥居
かなり以前から気になっていたのですが
なかなか詣る機会がありませんでした
先日、本村八王子神社参詣に自転車
でしたので
鶴嶺八幡宮へ参詣することができました
この参道は車が普通に通行します


鳥居をくぐっても社殿などは見えません
普通に住宅街になっています


道幅が広くはありませんので
自転車は歩道を通っている姿のほうが多かったです
私は車道をチャリチャリ走りました


住宅街を通り抜けて国道1号の信号からここまで
およそ750m
こちらの鳥居も立派で貫禄があります
どちらの鳥居にも 扁額がありません
社号標
こちらの社号標には 旧社格 郷社が刻まれています
太鼓橋
円弧がきついので大変そうですね
現在は通行止めのようです
狛犬さん
朱色が差してありアクセントになっています
とても綺麗な狛犬さんでした
吽さんお台座にQRコードがあります
公式HPの案内のようですが
ごめんなさい 試してはいません
まだ社殿はみえません
ここからの参道は自動車の侵入はありませんので
ゆっくりと 歩みを進めます
灯篭がたくさん並んでいます
自転車は 二の鳥居付近の お店に駐輪しました
参道を歩いていると 左側の灯篭に案内がありました
「伊勢神宮を祀る」
草むらを入っていってみると
天照皇大神宮の祠がありました
この辺りの参道の両側には神池があったのではと思われる
窪みがありますが 水はなく少し寂しい感じとなっていますが
空気感は良い感じです

復路でも また灯篭に案内がありました
「厳島神社」(弁財天)(龍神様)
こちら側の草むらは深く 夕方近かったため
蚊などの襲来にあい 祠をこちらの1宇のみの確認となりました
鐘楼
手水舎
柄杓は通常通りの様子です。
水盤にも水はありました
手水を取ろうとしたところ
ハチが数匹飛んできてびっくりしました
拝殿
[御祭神]
應神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
佐塚大神(さずかのおおかみ)
[由緒]
相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、
源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました
(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、
陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。
前九年の役が終わった康平六年(1063年)、
頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、
当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました。
歴代源家の信仰も厚く、格別に手厚い保護を受け、懐島を領地とした大庭景能は
源家の再興に協力し、将軍となった頼朝に重く用いられました。
弘安四年(1281年)蒙古退散の祈祷があり、この戦に大勝した日が六月閏三十日
の晦日だった為「晦日祭」といいました。この「晦日祭」は両社(八幡宮と佐塚明神社)の例祭となりました。
江戸時代、徳川幕府は先規により高七石の朱印地を寄進しています。
江戸時代、徳川幕府は先規により高七石の朱印地を寄進しています。
昭和九年九月十五日に郷社に列格しました。
当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、
このことはあまり知られていません。
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります
新型コロナウイルス感染症流行鎮静祈願祭祝詞
ゆるみくじがありました
ゆるみくじの実物始めてみたかも
ゆるみくじの世界さんのブログでたくさんの
かわいいゆるみくじを紹介されていて気になっていたので
見る事ができてよかったです
「どうぞこの願いを神鳩に届けて下さい」とお願いされたい方は
鳩の体に願いを書いて「神鳩像」に奉納すると 届くそうですよ
つづく?
読んでくれてありがとうございます![]()
良い1日をお過ごしください![]()
検索ID=@687btddv
ライフコーチング
シンクロニシティカードリーディングは
オンラインセッション(Zoom)可能です
シンクロニシティカード協会のHP⇒こちら
シンクロニシティカード記事⇒こちら
エッセンシャルオイルのページです。
エッセンシャルオイルについても情報提供可能です


















