りょうきです。おはようございます。
昨日の投稿で、神社庁の職員さんの仕事が増やしちゃったかもしれない(笑)。
神社って、「御由緒(ごゆいしょ)」というのがあって。お寺にもあるんだけど。
ご由緒というのは、要するにその神社やお寺が建てられることになった経緯です。
神社だと、境内のどこかに看板みたいなのが立ってる場合が多いです。
いついつの時代に、○○天皇の勅令により誰某が建立とか書いてあります。
…昨日の電話のやりとりの続き。
△△神社が私の住む地域の氏神様だとわかったので、実際に行ってみました。
行ってみると、非常にシックな神社でした。なんというか、朱色がない。
鳥居も石だし、建物も神社というよりなんとなくお寺っぽい。
ちょっとご由緒を読んでみます。
「○○の時代、真言宗の僧侶である誰某により△△神を勧請し建立」
あー、真言宗。また真言宗。もはやこれは神縁なのか仏縁なのか。
いずれにしても、もうこういうことに驚きません(笑)。
意外ですね。お坊さんが神社を作る。お坊さんは、お寺の人のはずなのに。
ちょっと脱線しますが、神道と仏教、つまり神社とお寺の違いの話。
神道と仏教は、カレーライスみたいなものかなと思っています。
神道がご飯で、仏教がカレーみたいな。
ごはんとカレーは別物同士ですが、2つが合わさって一つの料理になっている。
逆に言うと、どちらが欠けてもカレーライスは成り立たない。
日本の宗教は、カレーライス的なものです。
その理由は第71講の通り、日本という国を学校として、神様と仏様がそれぞれの役割を果たしてくれていたからです。
大昔はそれらが混じりあって、混ぜカレーみたいな状態でした。神仏習合といいます。
だから当時はお坊さんが神社を立てたり、お寺の中に神社があったり。
ところが明治時代に、「混ぜカレーじゃなくて、ルーとご飯にきれいに分かれたカレーにすべし」とされました。神仏分離といいます。
これにより、各神社やお寺は、その後神社としてやっていくのかお寺としてやっていくのかを決めることになります。
私の氏神様の神社は、混ぜカレー時代には真言宗のお坊さんが建て、ルー多めの混ぜカレーみたいな場所だったようです。
それが、明治時代にその後は神社としてやっていくと決めたんでしょう。
ということで、今でもその名残は十分に残っていて、なんとなくお寺っぽい。
好きですねぇ。私はどちらかというとシックなのが好きなので。
もちろん、明治以前からカレールー一筋、ごはん一筋だった神社やお寺も多いです。
あるいは、お寺を建立するにあたって、一応その土地に建物を作るわけだからその氏神様を祀ることになったお寺とかもありますね。
ここらへんはもう日本中の神社やお寺のそれぞれのご由緒なので、各々のご由緒ごとに異なります。
ということで、私の氏神様の神社は、やはりというかまたというか、真言宗の匂いがふんだんに残る神社でした。
やっぱりりょうきは、仏教濃度の方が高いようです。
というか、そもそもなんでカレーライスなのか。
つまりそもそもなんで、日本には神様と仏様が両方とも必要だったのか。
結局は第71講の通りなんでしょうが、面白い話を聞いたことがあって。
日本は、最初は神道だけでした。神を祀り、みんな神のもとに生きていた。
生徒は神つまり理事長さんの言うことを聞いて、理事長さんを見て色々学んでいく。
ところが、ある時から生徒は、理事長さんの言うことを聞かなくなってきた。
そして時に乱暴狼藉を働くようになったので、生徒をちゃんと「教育」する必要が出てきた。
ということで、遠くインドとかから教師を呼びよせ、時間割やら科目やらを設定して、理事長は学園運営に専念し、教員集団は生徒の教育を任された、と。
だから神道(理事長)は、あまりルールみたいなのがない。経本もない。
対して仏教(教員達)は、戒律つまり校則とかが多い。経本つまり教科書もちゃんとある。
…この考え方は、一応ながら教育に携わる者として、まぁそうなるよなと思います。
例えば「理想の人間教育を目指す、日本学園」というのがあったとします。
その理事長は、自然学校的に子供達を大自然のもとに放ち、共に生活することで子供の人格形成を図る。授業とか、宿題とかはありません。
しかしそのうち子供たちも、良くも悪くも成長するというか。
時には悪さもするようになるだろうし、ある程度大きくなると頭脳も必要です。
そうすると、大自然のもとに放たれたままよりも、ある程度は体系的な教育も必要に。
そこで、うちもそろそろ黒板と先生が必要かもなとなる。海をまたいで教員の募集をかける。
そこに、主に仏教系の教員が応募してきてくれた。
採用の結果、仏教系の教員が多数派だけど、中には道教系とか儒教系の教員もいる。
で、理事長と教員集団で相談の上、日本学園の教育方針とカリキュラムが決められる。
職員室には、理事長も教員も給食のおばちゃんも、最初はみんな同じ部屋にいたのが。
明治時代になって、理事長をはじめ運営側のスタッフと、教員集団とで職員室が分けられた。
そして、今の私たちはその日本学園の第2500期生である、みたいな。
とりあえず、私は以上のように理解しています。
仮に以上の経緯が本当だったとしたら、神社もお寺も、つまり神様も仏様も、どちらも我々にものを教えてくださる存在ということになります。
その上で、例えば自分のクラスの担任の先生(守り本尊)はどちらの「仏様」で。
自分の住む学生寮の寮長(氏神様)はどちらの「神様」で。
ていうか、自分はそもそもどの学生寮(氏神様の神社)に住んでいるのか。どの共済組合に入っているのか。
そう考えると、この国に住んでいる時点で、必ず神仏とご縁があるわけですよ。
で、なんか本当にそういう縁ってあるわ、と思わざるをえない巡り合わせみたいなのが、実際にあるわけでね。
それをちょっとずつ知っていくと、自分のクラスとか寮に愛着がわきませんか。
でね、やはりこちらから愛着を持つと、向こうからも可愛がられるのか。
いいことが起きたりするんです(笑)。
どうぞ良き1日を(^^)