おはようございます。りょうきです。

 

第116講あたりだったか。

ゾロ目とか、「どう考えても偶然じゃなかろうと確信を持てること」はあるという話。

 

結局、神社仏閣に参拝した時の、神仏からのサインみたいなのも同じことです。

 

「幸せは日常のちょっとした所にあるので、その日常に目を向けていないといけない」と言われますが、こういうことですかね。

 

つまり神社に行っても、歩きスマホで色々調べながら歩いていたら、神仏のサインみたいなのを見逃してしまう。

そういうのは実際ちゃんとあるものだ、と知った上で、前を向いて歩いている人には、目に見える形で何かが起こる。その人は喜ぶ。

 

閑話休題。昨日の続き。

 

④ 蝶が飛んでる

 

蝶って、不思議な生き物です。あんなに軽い身でひらひら飛んで、風に飛ばされず、かつ他の生き物に捕まらない。

蝶は、昔から神の乗り物と言われます。つまりそこに何か乗っていると。

 

いや、あながち嘘じゃないかもしれませんよ。

 

もうちょっと言うとね、アゲハチョウとモンシロチョウで違います。

色は問いません。クロアゲハでもいい。モンキチョウでもいい。

 

アゲハ系の蝶は、神仏が乗っていると言われています。

モンなんとか蝶は、ご先祖が乗っていると言われています。

 

これね、たぶん本当です(笑)。

 

きっとご自身でわかります。

明らかに必要なタイミングで、必要な方が飛んできてくれます。

 

 

⑤ 参拝時に、天気が変わる

 

なかなか大規模ですけど、こういうこともあります。

晴れる方がいいとか、そうとも限りません。

行った途端に土砂降りの雨で、実は禊(みそぎ)の雨かもしれないし(笑)。

 

そんなの結局は本人の解釈じゃないか、と言うなかれ。

確かに解釈は自由ですが、急に天気が変わるタイミングの良さも事実でしょう?

 

今年の夏のことです。大阪のお寺と神社に、夏越の大祓に行きました。

お寺の大祓が3時から。神社は4時から。歩いて15分の距離です。

 

3時にお寺で始まるやいなや、どっしゃ降りになって。

大祓だから禊の雨とか、まぁなんか意味があるんだろう、と呑気に考えます。

お寺の大祓が終わる頃、急に止んできました。

 

4時にお寺を出て、傘をさす必要なく、神社に歩きます。

着くと4時15分。しかし先ほどの大雨で、始まりが遅れていました。

 

あ、よかった。間に合った。んんん絶妙なタイミングだわ。

と思ったらスカーッと日が差して、祝詞奏上の最中にでっかい虹が出ました。

 

うーむ、ありがたや(笑)。

 

もう一つ。私は泊りがけで毎週遠くに授業に行きますが、行った先でも。

 

2年前ですかね、ある場所で、授業終わりにその土地のお寺に行くことに。

とりあえず真言宗のお寺というだけで、ちょっと行ってみようかと。

場所をだいたい調べて、ゆっくり歩いていきます。

 

途中、アゲハチョウが飛んできました。

眺めながら歩いていると、時々私の頭にぶつかるように飛んできます。

人懐こい蝶だなーと思いながら一緒に歩いていたら、そのお寺に着きました。

そして、そのお寺のご本尊がまた、阿弥陀如来様というね。

 

うーむ、ありがたや(笑)。

 

こんな風にね、あるんですよ。いろんなことが。

で、私だけじゃないんです。それが証拠に、こういう話をした人は、それぞれに何か起きて、だいたい「!」ってなるわけで。

 

見逃してたとしたら、もったいないでしょう。

 

だからね、ちゃんと前向いて歩かないといけないんです。

本来前を向いて歩いていることが前提で、向こうは色々してくれるわけだから。

 

どうぞ良き1日を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

週末に、コメントやメッセージを頂きました。200講記念的な(笑)。

 

ありがとうございます。本当に。

 

どなたがお読みか、私が決めるものではないと思って書いています。

ただ必要な文章が、必要な人に、必要な時に読まれているといいなと。

 

その結果なのか、思いもよらないところから、メッセージを頂いたりするものです。

ブログとかSNSって、すごいですね。

そこから、読んで面白かったとか役に立ったとか仰っていただけると、こんなに嬉しいことはありません。

 

ありがとうございます。

 

皆さま、どうぞこれからもご贔屓に(^^)

 

 

…しかし先週も言った通りだけど、受験生は勉強しなよ(笑)。

 

今週は、神社やお寺に行くと何が起こるかみたいな話。

いい方向性限定でね。起きると、嬉しいこと。

もしかして、本当に神様が…とか思えるような出来事。

 

先週までの話で、偶然ではなかろうことも、意外とあることがわかります。

気づかなかっただけでね。

 

そうなると、なんか目の前のことすべてが、何かしら意味を持つように見えてくる。

 

もちろん、石が転がることにすらいちいち反応していると身が持たないけど。

「これって、もしかして…」と思えるようなことも、往々にしてあるものです。

 

そうすると、仮に神様とか仏様が本当にそこに存在してくれているとして。

彼らから何かしら働きかけてきてくれていたならば、見逃すのは誠にもったいない。

 

ということで、「神様、仏様からのサイン」みたいなのを書きます。

「よく来たね」とか、ひょっとしてあなたの参拝を喜んでくれているのかもね。

 

 

① 人払い(ひとばらい)が起きる

 

不気味な雰囲気の言葉だけどね。人払い。

でもこれはすごくいいことです。

 

神社仏閣の本殿とか本堂にあなたが立った途端、なぜかタイミングよく他の参拝者がいなくなって、あなただけがぽつんと一人になる。この現象を、人払いといいます。

 

神様や仏様からの、ちょっとした贔屓(ひいき)みたいなもんですかね。

生身の人間相手でも、自分の好きな人とか親しい人には、わざわざ個別に時間を作ったりするでしょう。そんなかんじ。

 

おかげでその時は、神様や仏様とあなただけ。

つまり神様仏様を独り占めです。ゆっくり話を聞いてもらいましょう(笑)。

 

 

② 祭祀、お勤めが始まる

 

あなたが本殿に立った途端、誰かの祈祷とかお勤めとかが始まったりします。

 

お取り込み中だ、と思うなかれ。

本来、ご祈祷とかはお金を払ってしてもらうものです。

つまりお金がかかるものを、無料で見ることができた。

 

しかも祭祀の時間は、基本的には不規則です。

当日に誰かが申し込んで、そこから段取りが始まるものなので。

そこにタイミングよく行って、あやかることができたと。

 

私は毎週とある神社に行きます。

職場が近いので、その職場に移動する道すがらご挨拶に寄るかんじです。

 

寄る時間はバラバラなんですが、ある時期はすごかったですね。

行くたびに誰かのご祈祷が始まるみたいなのが、数週間続きました。

 

祈祷の最後には巫女さんの神楽がありますが、おそらく私は巫女さんから「神楽の時に必ずいる人」と認識されていたと思います(笑)。

 

 

③ 要するに、行ったら何かやってる

 

上記②の延長なんですけど、「行ってみると、何かやってる」はいいことです。

 

例えば結婚式とか。おめでたいですねぇ。

幸せのおすそ分けですかね。ありがたく頂きましょう。

 

 

上記①〜③に共通するのは、すべて「タイミングが絶妙」なんですよ。

うまーく時間を合わせてくれているんですかね。そうとしか思えない。

自分は何も考えずに参拝しているだけなのに、とにかくタイミングがいい。

 

でもね。かといって、起こる事象に具体的に意味を見出すのは違うかなと思います。

これはこういう意味のお告げだ、と解釈しだすと、自分の行動が制限されちゃうし。

 

その出来事はもしかしたら偶然かもしれない。でも偶然じゃないかもしれない。

 

偶然じゃないとしても、ひょっとして…に止めるのが一番いいです。

その方がロマンがあるでしょ(笑)。

 

もうちょっと続けます。

 

どうぞ良き1日を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

200講になっちゃった。うーむ。200講か。すごい。あっという間だ。

最初からずーっと読み続けてくれている方、今日たまたまお読みになる方、どちら様もありがとうございます(^^)

 

特にずっと長らく読み続けてくれている方々は、いつもメッセージとかコメントとか、大いに励みになってます。

 

こういう話なんだけどね、興味を持って読んでくださる人がいるというのは、書いていて単純に嬉しいものです。

コメントとかメッセージをもらうとね、毎回「うひゃあ笑!」みたいに喜んでるんですよ。いや、ほんとだってば!文面からは読み取りづらいだろうけど(笑)。

 

 

本当に、本当に、ありがとうございます。

 

 

もうしばらくこんな感じになると思います。

その後はまだ考えてないんですけど、急に緩くなるかと(笑)。

 

お役に立ててるといいです。

今後も頑張って書きます。どうぞ、どうぞご贔屓に(^^)

 

 

先週の第191講で、こんなことを書いたんですけど。

 

*******

 

日本人は、すごく不思議な民族です。

自称無宗教が非常に多いものの、本当に無宗教な人はどうやらいない。

 

本当に無宗教ならば、極端な話、誰かが亡くなるとその亡骸やお骨をその辺に埋めることに抵抗がないはずです。

なぜなら、結局宗教というのは亡くなった後とか「見えない世界」を意識したうえでの「見える世界」での動作そのものだからです。

 

誰かが亡くなると、お葬式を行う。この時点で、見えない世界を意識している。

つまりこの時点で、立派な宗教や信仰が成立している。

 

加えて、一年の節目みたいな時期には神社やお寺に行く。

なんだかんだ思うところがあって、合掌して祈る。受験生とか特にね。

 

と思ったら、例えば新興宗教とかの勧誘には拒否反応を示す。

宗教はなんだか怪しいもの、みたいな気持ちもあるにはある。

 

不思議な民族ですね。

 

*******

 

日本人の一般的な信仰の話からの、と思ったら宗教への拒否反応の理由。

 

日本人って、生まれながらに自分が持つ神縁とか仏縁を、無意識で知ってるんじゃないかと思うんです。

だから、自分の神縁とか仏縁に近いものは親和性があるし、遠いものは興味を示さない。

 

もうちょっと濃い言い方をすると、自分の神縁仏縁にまつわる話とか、神縁仏縁をさらに深めるような話は、なぜかすっと自分に染み込んでいく。

逆に、自分の神縁仏縁を薄めてしまうような話には、理屈抜きで拒否反応が出たり。

 

自分の神縁仏縁から遠い宗教ほど、どれほど教えが素晴らしくても興味がわかない。

自分の神縁仏縁を脅かしそうな宗教には、直感的にやばいと認識できる。

 

だからかどうか、日本の昔からの宗教って、神社やお寺から働きかけることをしません。

信者を増やそうとしたり、要するに勧誘活動みたいなのをしない。

「真言宗いかがですか」って、玄関先に高野山のお坊さんとか来ないでしょ。

 

そんなことしなくても、縁のある人は、時が来れば必ず気づいて、その人の方から来るのを、お坊さんとか神主さんたちは知っているんでしょうね。

だから、どちらかというと彼らは「待ってる」感じが強い。

 

ということで、日本人って、DNAレベルで自分の信仰を持ち、かつ認識してる民族なんじゃないかなと、私は本気で思っています。

 

とりあえずDNAで認識しておいて、いつか頭で認識するようになる。

そうなった時、私みたいに「とりあえず急ぎ高野山に行こう」となる(笑)。

 

結局、生まれつきのカレーライス民族なんでしょう。

 

学校がキリスト教系の学校だった、というのもご縁の一つだと思いますよ。

 

私は幼稚園がキリスト教系の幼稚園でした。

今でも「おいのりのことば」が言えます。これもご縁でしょうね。

 

あの幼稚園好きだったのでね、あそこでの教育も私の人格の一部かもしれません。

 

そうすると、その人のキャラみたいなのは、おそらく無自覚レベルの信仰がある程度影響していて、福神漬けつきのカレーライスみたいなキャラを各自が持っている。

 

かくいう私も、普段はそれほど意識はしていませんがね(笑)。

 

でも、知っておくだけで十分だと思います。

 

自分をよく知ることにつながって、なんか色々大事にしようと思えるようになるから(笑)。

 

来週は、せっかくなんで神社とお寺に「行くとどうなるか」を書きます。

やっぱり、不思議なことは起こるものです。

 

 

おかげさまで200講までやってきました。

 

ありがとうございます。

 

 

どうぞ良き週末を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

先に言っとくけど、受験生は勉強しろよ!

スマホで神様ググってる場合じゃねぇよ!

 

心配しなくても神様とか仏様とか、ていうか実は一緒かもしれないけど、別に逃げたりしないからさ(笑)。

 

「こういうのって、りょうきはどうやって知ったの?」というコメントが。

 

墓参りに行った時に自分の宗派を知って、ググって、兵庫神社庁に電話して、行って、ググりました。

 

確かに私は神社とかお寺の話が中途半端に詳しいですが。

それらは本から得た知識であり、誰かに教わった知識でもあります。

自ら取りに行った知識といえば、そう言えるかもしれません。

 

でもね、昨日の投稿までの偶然というか、それに気づく過程みたいなのは。

 

ふと目にして、ググっただけです。

 

それだけで、「うわ、なんかすげー繋がってる!」まで行けるんですよ。

 

私の場合は、そこからもっと興味がわいたので本とか読みましたけど。

普通は、そこまでする必要はないと思います(笑)。

 

ただ、こういうことを知ってから、興味を持ってくれた人にはこういう話を差し上げることもあるんですけど。

みんなちょっとした興味からちょっとググって、「うわ!」みたいになってます。

 

そこから特定の仏様とか神様にすごくご縁を感じて、その神仏が大好きになったりとか。

あるいは地元の神社がすごく好きになって、その人のパワースポットになったりとか。

神社のイベントのボランティアみたいなのに参加した人もいましたね。

 

 

結局ね、神縁仏縁ってのは、神仏からご縁を頂くというよりも。

 

すでに頂いているご縁に、どれだけ気付けるかだと思うんです。

 

私も、ただ自分のものに気づいただけです。

 

 

それに気づくとね、誰だって「うわ!」ってなりますよ。

 

で、その「うわ!」がなかなか衝撃的で、以降ちょっと考え方が変わったり。

そして考え方が変わると、神様理事長とか仏様先生の話を真面目に聞くようになる(笑)。

 

ということで、そうですね、今週のお話をまとめてこんな風になさったら:

 

1.とりあえず自分の家の宗派から何から、家族に聞けるものは全部聞いておく

2.自分の守り本尊とか、家の宗派の総本山とかその本尊の仏様とか、Wikipediaで調べとく

3.神社庁に電話して、自分の氏神様の神社がどこなのか聞く

4.聞いたら、直接行くもよし、予習的にググるもよし

5.特に神社の場合は御祭神(なんというお名前の神様を祀っているのか)を調べる

6.上記4.くらいで、たぶんちょっと「!」となるかも。

 

あとはご随意に(笑)。

 

 

…これねー、思うことがあって。私の場合は、ですけど。

 

そもそも、私の場合は入り口が神社とかお寺じゃなくて、先祖の墓参りからです。

宗派とかの区別すら知らず、しかしある時お寺の名前に目が行った。

そこで「うわ!」となって、慌てて高野山に行って、なんか調べるのが面白くなって。

 

途中からは、神社を調べていても、自分の家系を調べていてもですね。

きっと真言宗か阿弥陀如来様に繋がるオチが、もう予めわかるんです(笑)。

 

これ、私の先祖のおかげなんでしょうかね。わかんないけど。

墓参りに行ったきっかけで、いろいろ気づいたわけだし。

つまり私の祖母とか祖父とかが、なんかこう、ふわっと教えてくれたとか?

 

まさか!

 

 

…いや、私のおばあちゃんならやりかねん(笑)。

 

 

どうぞ良き1日を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

半分雑談のような、専門的な話。

 

日本の神様のお名前、どれだけご存知ですか。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)様とか、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)様とか。

たくさんおられます。

 

対して、日本の仏様のお名前、どれだけご存知ですか。

阿弥陀如来(あみだにょらい)様とか、不動明王(ふどうみょうおう)様とか。

これまたたくさんおられます。

 

昨日までの話でいくと、神様方は要するに学園運営サイドの立ち位置で。

仏様は、生徒(人間)に直接授業をしたり教育をする役割です。

 

ところが面白い発想もあって。

 

本地垂跡(ほんじすいじゃく)という言葉があります。

むちゃくちゃ簡単に言うと、「神様=仏様」という意味です。

どういうことか。

 

理事長がインドの教員を採用したと言うけれど、実は理事長が直々に授業してるんじゃね?

つまり理事長室にいるときはヒゲをつけてスーツ着てるけど、体育の時間になるとヒゲを外してジャージに着替えてグラウンドに出てきてるんじゃないか、みたいな(笑)。

 

とりあえず体育の先生は不動明王先生というお名前の、ちょっと怖い感じの先生だけど。

理事長室におられるアマテラス理事長は、実は変装して、器用に名前まで変えて授業してくれてるんじゃないか。

 

ということは数学の観音先生も、きっとアマテラス理事長が変装してるんだ。

いや、観音先生は給食室のニニギノおばちゃんが変装してるんだろう。

そうすると家庭科の愛染明王先生の正体は、役員室のオオクニヌシさん?

 

…みたいな考え方です。

 

この真相は、わかりません(笑)。

実際に理事長に聞いてみたところで、「おぉ、バレたか」とか言わないだろうし。

 

宗派ごとにちょっとずつ発想が違うんですけどね。

天台宗とか真言宗とか、密教系の仏教宗派はこの考え方が特に濃いです。

 

結局「神様=仏様」が真理なのかはわかんないですが。

 

しかし「神様≒仏様」というか、特定の神様が、特定の仏様とセットにされるということはあります。

 

Wikipediaですが、わかりやすのがありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/本地垂迹

 

上記ページの中の、「垂跡神と本地仏」の項がわかりやすいです。

 

例えば

·      天照大神=大日如来十一面観世音菩薩

 

とありますが、これは

 

「アマテラス理事長は、大日如来先生の授業と十一面観世音菩薩先生の授業に、それぞれに変装のうえ大日如来先生、十一面観世音菩薩先生として授業をしに来てくれる」

 

と私は解釈しています。イコールといえばイコールだけど、イコールでもない。

 

まぁここらへんは、あまり厳密に詰めない方がいいんじゃないですかね(笑)。

 

大事なのは、ここからで。

 

あまり書くと私の住まいがバレそうなので控えめに書きますが。

私の住んでいるところの氏神様の神社ね、八幡様なんですよ。八幡神をお祀りしています。

 

先ほどのページで見ると、「八幡神・応神天皇=阿弥陀如来」。

 

…おぉ、マジか。

 

阿弥陀如来様は、私の干支の守り本尊であり、実家の宗派の総本山の本尊であり。

そこに加えて、私の氏神様←New!

 

なんかもう、いつもお世話になっております(笑)。

 

あなたも、必ずどなたかと繋がっているはずです。

偶然で片付けるわけには、いかないんです(笑)。

 

良き1日をどうぞ(^^)