りょうきです。おはようございます。

 

昨日の続き。大掃除の話。

そもそもどうして大掃除をするのかという話を。

 

結論を先に書くと、「年神様(としがみさま)のため」です。

ということで、まずは年神様のことを理解しなければいけません。

 

年神様とは、どういう存在か。

一年間、自分の住まいに宿っていただいて、いろいろお世話してくれたりする神様です。

いいことを呼び寄せてくれたり、悪しきことを遠ざけてくれたり。

 

神社の神様とは違うんですが、年神様が宿る家は、不思議といいことがたくさん起きます。

座敷童子みたいなものでしょうね。それが毎年来てくださる。

 

年神様は、1年任期の交代制のようです。

つまり今は2018年神様がおられて、来年は2019年神様が来てくれる。

 

旧年神様は、12月31日の夜にお帰りです。これは理解できる話。

ところが新年神様は、12月31日の朝に来られます。1月1日ではありません。

 

理由は簡単です。旧年神様と新年神様で、引き継ぎ業務があるからです。

12月31日は、1日かけてご両名で引き継ぎとか申し送りをなされます。

 

で、12月31日の夜に旧年神様は引き上げ、もうその時点で新年神様はおられる。

これが毎年毎年、あなたのお住まいで行われています。きっと。

 

ここまでが、年神様の詳細です。交代制座敷童子。

ここから、しめ飾りと大掃除の話へ。

 

しめ飾りというのは、玄関に吊るしたりするあれです。

大きいのも小さいのも。形も様々。コンビニでも売られてます。

 

あれは、新年神様への「いらっしゃいませ」の印です。

つまり、ようこそお越しくださいました、の気持ちを示すもの。

 

だから、しめ飾りは12月31日の朝までに吊るします。

 

しめ飾りであれば何でもいい。私はいつもスーパーで買います。

手に入りにくい場合は、せめてドアをちょっと拭き掃除して、玄関を綺麗にするだけでもいいです。

 

そして、大掃除はいつすべきか。

 

こういう事情なので、実は30日にするのが正解です。

31日の朝にお越しになる新年神様を、綺麗なおうちでお迎えするためです。

 

で、31日は、家の中で新旧年神様が申し送り業務をなさる間に、人間は神社とかお寺にお札を返しに行ったり、年越しの大祓に行ったりします。

31日の夜に帰宅後は、旧年神様をお見送りする。これで、年末の神事は完了です。

 

1月1日以降は、新年神様への接待です。

「一年間、どうぞ宜しくお願いします」の気持ちで、お餅とかお酒とかを用意します。

 

その接待をいつまでするのかは、地域によりけりです。

4日までという地域もあれば、15日までという地域も。

つまり決まっていません。お好きなだけ。接待が終われば、しめ飾りを外します。

 

しめ飾りは、一応立派な神具です。だから神社でお焚き上げしてもらうといいです。

その時期だと各神社では「しめ飾りのお焚き上げはこちら」みたいなコーナーがあります。

私の行く神社は15日までそのコーナーがあるので、私は15日朝までしめ飾りを吊ってます。

 

神社に出してお焚き上げが叶わない場合は、家庭でしめ飾りを処分しましょう。

 

新聞紙でもいいので、紙にのせて塩をひとつまみ振りかけます。

その後はその紙で丁寧に包んで、ゴミ箱へどうぞ。

 

ただ、しめ飾りの包みが、できればゴミ袋の一番上になるのが望ましいです。

繰り返しますが、一応神具なのでね。

その包みを入れた後に、その上に新しくたくさんゴミが積まれるのはちょっと(笑)。

したがって、ゴミを出すその日に、最後に袋に入れましょう。

 

…以上が、年神様を意識した、100点満点の家庭の神事ですが。

 

ただ、100年満点である必要はないと思いますよ。各自の都合もあるのでね。

だから、こういう事情を知った上で、お気持ちの届く範囲でいいと思います。

 

ここまで知って、それなら何とかできる範囲でお迎えしたいと思ったなら。

そのお気持ちが、一番大切だと思います。

 

明日は、そのできる範囲で具体的にどうしようか、みたいな話を。

 

良き1日をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

気がつけばクリスマスですね。

と思ったら、来週の今日は大晦日ですか。早いですねぇ。

 

今週は、そんな年末用の内容を。大掃除と、神棚の話。

 

まず大掃除。ぜひしましょう。私もします。

具体的な掃除の仕方なんか、ありません。どうぞご随意に。

 

ただ、コンセプトはただ一つ。

 

家中の匂いとホコリを消します。第15/16/17/18/19/20講の、「学校の掃除」がお手本です。

つまり風をビュンビュン通して、匂いを消し飛ばす。惰気(だき)を外へ流す。

 

寒いからといって、閉め切った中で掃除をしても意味はないです。

寒いなら身ぐるみ完全防備で、網戸さえも開けて、掃除しましょう。

 

どちらかというと、今年一年の「望ましくないこと」を思い出しながら掃除します。

というのは、今年あった望ましくないことが、家中のホコリに吸われているんですよ。

つまり望ましくないことの原因が染み込んだホコリが、家中にあるんですね。

それらをほっとくと、そこから惰気が引き続きジワジワ放出されるので。

 

そうすると、そのホコリ、憎いでしょう(笑)。

 

そういう惰気ホコリに、すべて永久にご退出願うのです。

だから網戸も開けて、窓からドドーッと風で流されていく感じが大事です。

 

で、ひとさらい惰気ホコリを飛ばしてお掃除が完了したら。

今度は「来年はこういうこと起きてほしいな」を考えながら、窓を開けたままお茶でも。

そういう出来事に繋がる綺麗な気が、窓からそよそよ入ってくるイメージでね。

 

で、お茶が終わったら窓を閉めましょう。お掃除はおしまい。

家中が、無臭でシャキッとした空になったら、来年はきっといい年です。

 

バカにしてはいけない。こういうの、本当です。だから真面目に書いてます。

 

さらに狂気じみたことを書くとですね。

お掃除が終わる頃に、つまり上記のお茶くらいのタイミングで、チェックが入るかもしれません。

 

誰からのお掃除チェックか。

 

神様ですかね。要するに上のお方の、お掃除チェック。

私の家は、毎年来ます。でかいハエとかカナブンとか、何か虫に乗って来ます。

 

不思議ですよ。一つの窓から突然飛んできて、家中を本当に回るんです。

寝室→リビング→キッチン…→また寝室 みたいに、一部屋一部屋点検してるみたいです。

 

最初は、頑張って箒で追い出そうとしたんですけどね。しかし巧みにかわされる。

このハエは神がかってるな、あそっか神様か、という変な納得の仕方をしました。

 

なかなか狂気じみた思考回路なのは承知してますが(笑)。

 

しかし本当にそうだとすると、お掃除の出来栄えは評価対象ということです。

だったら、やはり掃除したほうがいい(笑)。

 

明日以降も、もうちょっと大掃除のことを書きます。

いつ大掃除すべきかとか、りょうきの使うアイテムとか。

一年の惰気、全部飛ばしましょう。

 

 

…ところでクリスマス、素敵ですね。

消費文化の煽りだとか爆ぜろとか、夢のないこと言ってないで(笑)。

多くの人が、とりあえずちょっと素敵な気分になれる時期です。とてもいいこと。

 

というか、クリスマスは受け身でいるともったいない。

誰かにちょっと素敵なことをするための、最高の言い訳じゃないですか。

 

喧嘩した誰かとの仲直りとか、日頃の感謝とか。

 

普通な日だとなかなかできないことも、クリスマスにかこつけてやればいいんですよ。

クリスマスも素敵だけど、クリスマスを上手に利用できるともっと素敵だと思います。

 

 

良き1日をどうぞ(^^)

りょうきです。おはようございます。

 

比較的ゆるめの、りょうき的神社仏閣参拝方法。

その最後は、ついに上からのお言葉を頂く方法です。

 

簡単です。おみくじです。

 

おみくじを侮ってはいけない(笑)。

ちゃんと貰うと、ちょっとびっくりしますよ。

 

おみくじは吉とか凶とかありますが、あそこに一喜一憂するものではありません。

大事なのは、一緒に書かれている文章です。そこが最も意味を持ちます。

神社仏閣にもよるんだけど、おみくじのどこかに短歌みたいなのが書いてあって、その書き下しの文章みたいなの、見たことありませんか。あれが一番大事なんです。

 

おみくじは、いわば神仏との会話です。

つまりこちらから何か言葉を発して、それに対して答えをくれる。

その答えとして最もふさわしい文章が書いてあるおみくじが、たまたま凶のおみくじということもあります。

そうすると、この場合は「凶」に意味はありません。だからご心配なく。

 

それじゃ、具体的にどうやってお言葉をもらうか。

 

昨日の参拝の通り、本殿とか本堂に立ちます。

そこで、まずはちゃんと名乗って、ご挨拶します。

その後、ある程度時間をかけて色々述べます。

 

例えばこんな感じ:

 

「○市○○から来ました、△△といいます。自分は今受験生ですが、□大学に行きたくて勉強しています。自分がこれからすべきことは何でしょうか。後でおみくじを引きますので、そこでお言葉を下さい。おみくじの吉凶は問いません。宜しくお願いします」

 

みたいに。

 

で、社務所とかでおみくじを引きます。たぶんびっくりします。

インチキ占いみたいに誰にでも当てはまる答えじゃなくて、結構ピンポイントで具体的な答えがもらえたりします。

「吉凶は問いません」が大事です。必要な答えであれば、大凶でも出てきます。

 

私のある教え子は、ほぼ上記の通り述べて、おみくじを引きました。

すると大凶でしたが、気にせず横の文章を読みます。

曰く「数学を頑張れ」と。結構具体的な神様でしょう(笑)。

 

本人は響くものがあったみたいです。数学が苦手で、しかし逃げてばかりいたんですね。

いまいち数学にやる気が出ない。でもやらないとどうにもならない。

みたいなところに、神様から「数学しなさい」と(笑)。

 

神様に言われちゃ仕方ない、と数学を頑張り始めました。

それが直接の原因かはさておき、彼はちゃんとその年に合格しています。

 

おみくじは、読んだら紐に結んでお返しするものとは限りません。

そのおみくじをお守りにしていてもいいし、一生持っていてもいい。

いよいよお返しする時が来たら、神社にお返ししに行くといいです。

 

ただ、おみくじをひく前に本殿や本堂で述べる言葉は、ダメな例もあって:

 

「○市○○から来ました、△△といいます。自分は今受験生ですが、□大学に行きたくて勉強しています。自分は□大学に合格するでしょうか。後でおみくじを…」

 

つまり、Yes/No型の質問です。これ、あまり良くない。

なぜか。

 

「合格するよ」と言って欲しいだけでしょ(笑)。

つまり欲しい答えを、神様に聞く前から自分で決めてるんです。

そうじゃない答えが出てきたら、どうするつもりなのさ(笑)。

 

結局ね、合格するかしないかは、自分で作る未来です。

 

般若心経のカレーの話。今、カレーを作ってる最中なんですよ。

で、美味しいカレーを食べたいのに、手順を間違っているとする。

 

その時、先生にどう聞くべきか。

 

「これで美味しいカレーはできますか」と聞いても、「いいえ」だけです。

「はい」と言って欲しかったから、凹むだけ凹んで、そこで終わってしまう。

 

「ここから美味しいカレーを作るには、どうしたらいいですか」と聞いてみると。

「これをこうしなさい」という答えが返ってくる。

その通りにする。そうすると、美味しいカレーができます。

 

おみくじは、シロクロ未来予測ではありません。

あなたのお望みの未来を実現するために、具体的に必要なことを教えてくれるものです。

 

模試の判定と同じです。A判定とかD判定とか。

それも大事だけど、他にも色々書いてあるでしょう?

グラフみたいのがあって、英作文が足りないから英作文やりましょう、とか。

そっち読んで、その通りにすれば合格に近付くんですよ。

 

結局、模試の読み方もおみくじの読み方も同じ。

神様への聞き方も、誰かへの聞き方も同じ。

 

返ってくる答えを素直に受け止めて、それを実行する意思がないとね。

そこまでしっかりと自分の中で考えた上での質問なら、極めて的確な言葉を頂けると思います。

 

あとは、あなたが頑張るだけ(笑)!

 

良き週末をどうぞ(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

芝居くさい昨日の話。まぁそういうこともあるということで(笑)。

 

今日はちょっと趣を変えて。行っちゃいけない場合の話と、参拝時の話。

 

行っちゃいけないとかあるのか、と思うかもしれませんが、あるんじゃないですかね。

第62講あたりの通り、上にもきっとご都合があるだろうから。

 

行くべきでない時を認識するのは、簡単です。

行こうとしても、何か邪魔が入ります。結構わかりやすいです。

 

私の場合は車で行くことが多いですが、道が通行止めとかね(笑)。

電車なら、あからさまに、そして大幅に遅れるとか。

 

そういう時は、「今日じゃないのね」と認識して、どこか違うところに遊びに行きましょう。

 

そういうブロックにも遭わず、スムースに行けたら、行っていい時。

ということで、ゆっくり参拝させてもらいましょう。

 

参拝には、ある程度のルールというか作法があります。

私の参拝を例にとります。

 

鳥居(神社の入り口)、山門(お寺の入り口)で、ちょっと一礼。

鳥居の入り口で真言を唱えるツワモノもいますが、私は一礼だけです。

一応そこが玄関なんでね。「お邪魔します」のつもりでどうぞ。

 

神社もお寺も、手水があったりします。手とかを洗うところです。

神社での洗い方は、右手で柄杓を取って、左手→右手→口→左手の順で洗います。

もちろん途中で持ち替えます。で、最後に柄杓を立てて、残った水で柄杓を洗います。

ここまでを、一杯の水でします。

お寺の場合は、やや作法が異なる場合もありますが、私は神社と同じにします。

 

だいたい以上の通りで、細かいところは良識の範囲でしょうね。

要するに、人様のお住まいの洗面所で手を洗うのと同じなので。

従って、水を必要以上に使うのも違うし、できるだけ綺麗に使います。

 

手水舎がない場合、それは仕方ない(笑)。

お手洗いとかがあれば、そこの水でせめて手だけでも綺麗にするといいです。

 

そうしたら、本殿、本堂に向かいましょう。

その時、参道の真ん中を避けて歩きます。真ん中は、神様の通るところです。

左右のどっちへ避けて歩くかは、自由です。私はだいたい左側へ避けてます。

 

また、そういうことなので参道を横切ることもあまりしません。

横切る用事がある時は、ちょっと本殿に向かって軽く一礼します。

誰かの目の前を横切るときと同じです。

 

本殿に向かう間、参道の横が砂利になっているなら、砂利の上を歩いてもいいです。

砂利=じゃり=じゃ/り=邪/離=邪気が離れるということで、じゃりじゃり歩いていると、知らない間に溜めてきた邪気みたいなのがじゃりじゃり落ちるかもしれません。

 

本殿、本堂に着いたら、礼拝。

これも、あまりど真ん中に立つよりも、ちょっと左右どちらかにずれて立ちます。

お賽銭を入れるのは、だいたいこのタイミングです。いくらでもいいです。

ただ、静かに入れます。投げたりしない。ここまでは神社もお寺も同じです。

 

神社なら、あれば鈴を控えめに鳴らして、そこから二礼二拍手一礼。

2回頭を深く下げて、2回パンパンして、もう1回頭を下げる。

そこから頭を上げて、お願い事をするなりなんなりと。

 

お寺の場合は、合掌して深く頭を下げます。

頭を上げたら、やはりなんなりと。

 

神社やお寺は、お願い事をするだけの場所ではないのでね。

ご挨拶だけでもいいんです。

 

ただ、ちゃんと名乗ります。小声でも、念じてもいいです。

住所から名乗って、そこからご挨拶とか用件とか。

 

私が初めて高野山に行った時、行くことが目的で行ったので、仏様の前で困りました。

あれだけの道のりを行っておいて、「神戸市北区○○から来ました、りょうきといいます。…あの、ええと…こんにちは」だけです。いいんです(笑)。

 

帰るときは、神社もお寺も、最後に深く一礼ののち、下がります。

 

この時はできるだけ神仏にお尻とか背中を向けない配慮から、本来は後ろ向きに歩いて本殿や本堂から出ますが、それをやって転んで怪我すると危ないので(笑)。

 

私の場合は一旦ちゃんと向きを変えて、つまり神仏に一旦背中を向けて、段を下ります。

で、ある程度キリの良さそうな所で回れ右、再び本殿を向いて、軽く一礼して去ります。

 

いよいよ敷地から出る時は、鳥居や山門の所で回れ右をしてもう一礼。

礼はしすぎることはありません。

 

絵馬とかいいと思います。私も時々書きます。

特にお願い事がない時は「神縁感謝・神恩感謝」、お寺なら「仏縁感謝・仏恩感謝」と書きます。

スペースに余裕があれば、どちらにもぜひ「先祖縁感謝・先祖恩感謝」を加えましょう。

 

要するに、誰かのお家にお邪魔する時と同じです。

全てをその感覚で動けば、基本的に間違いはありません。

 

明日は、せっかくなので参拝の折に神仏のお言葉をダイレクトにいただく方法を書きます。

電波受信みたいなことはしません。誰でもできます。

 

どうぞ良き1日を(^^)

おはようございます。りょうきです。

 

本日は水曜日。雑談的に少し。

 

3年前のまさしく今頃、初めて高野山に行きました。

第193講の経緯の通り、慌てて行ったわけですが。

 

実はこれには、前フリ的な出来事もあってね。

うちが真言宗だと知って、高野山行かなきゃなと思っていた時。

 

たまたま実家に帰ってね、新聞を読んでいた母親に「うちは真言宗だったのね」と言ってみました。

 

母「真言宗って、誰だっけ」

り「空海さんやな。高野山の」

母「あんた高野山に仕事行ってなかった?」

り「高野山の麓。目の前が高野山」

母「因果なもんやなー」(←たぶん“因果”の使い方間違ってます)

 

会話をしながら、母は新聞をめくります

 

母「あ、高野山だ」

 

新聞には、一面にでかでかと高野山ツアーの広告が。

 

母&り「インガナモンヤナー」

 

母「はよ来いってことちゃう(笑)?」

り「明日参りましょう(笑)」

 

で、行くこと自体を目的として、急ぎ行きます。

 

あまり時間がない中の強行軍でしたが、雪にも阻まれず着きました。

しかし行ってはみたものの、具体的にどこが何なのかは知りません。

 

とりあえず一番メインっぽい建物を見つけて、入ってみます。

これが、根本大塔でした。

 

中に入ると、でかい仏様が何尊もおられます。

まだ仏教のことなんか何も知らない時でしたが、そんな私でも思わず深く頭を下げる荘厳さでした。

 

根本大塔の中には、私の他に参拝客が数名と、解説付き見学中の高野山大学の学生さんがたくさんいました。

 

私も含めみんな中を一周して、順次外に出て行きます。

 

ところが、最後の私が出ようとした前に、急に大粒のひょうが降り始めて。

結構な降り方です。みんな慌てて出て行きます。

なんで出て行くかな、中にいればいいのにと思いながら私は止むまで残ることにしました。

 

ふと見ると、根本大塔には私だけ。

 

当時は人払いとか知りませんでしたが、なんとなく偶然じゃない気がして。

つまりお前はもうちょっと残れってことかな。お説教かな(笑)。

 

もしそういうことなら、たぶん10分ほどもすればひょうも止むだろう。

そして、その間は誰も入ってこないだろう。変な確信がありました。

 

ということで、「それではもうしばらくおります」と、お堂に一人座ります。

 

その間は、特に何も起きてません。仏様も、別に光ったりしてません。

スピリチュアルな出来事があるでもなく、何か温かいものを感じるでもなく。

ただひたすら、ひょうの降る音が聞こえて、お香の煙が燻るだけの時間。

 

私はお堂に座って、目前の仏様を眺めます。

何も考えず、語りかけることもせず。眺めるだけ。時間だけが過ぎてゆく。

 

はっと我にかえると、ひょうは止んでいます。

…よくわかんないけど不思議な時間だったなと思いながら、立ち上がる。

なんだかありがとうございました、と頭を下げて、外へ出ます。

 

これだけで十分な気がしたので、そのまま車へ向かい、帰りました。

 

つまり「ひょうの降る中、お堂の中に静かに座っていた」だけなんですけど。

それが何だったのかもわかんないけど、でも自分には何か不思議な時間で。

 

こういうこともあるんですよね。誰にでも。本当に、誰にでも。

見逃しているかもしれませんよ。あるいは今振り返れば、心当たりないですか。

 

まぁ私は、お堂でお説教されてただけかもしれないけど(笑)。

 

どうぞ良き1日を(^^)