好きなNBA選手紹介 マイケル・ジョーダン その6 | かつぼうさんのブログ

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はい、マイケル・ジョーダン(以降MJと記載)の紹介6回目。今回は、2度目の引退となる1997~98年シーズン、いわゆる ラストダンスルンルン のシーズンの紹介です。

 

 

ラストダンス」とは、シーズン前にHCフィル・ジャクソンが言った言葉です。前シーズンである1996~97年シーズンも、「終わりの始まり」みたいな雰囲気があったっちゃありました。主力選手がチームと揉めたり、チームの主力もかなり高齢化(※1)したりしていました。誰もがチームの再編が近いだろうなと思っていた時の、フィルのその言葉です。注目度目はこれまで以上に高かったです。

 

ですが、序盤のブルズには、試練が連続して訪れてゲッソリいましたね。先ず、チームとの年俸についての確執がもう修復不可能ゲッソリとなるまで悪化したスコッティ・ピッペン。前シーズンのプレーオフで怪我をした足あしの手術を、シーズン直前にまで伸ばしプンプンました。お陰で、ピッペンは序盤の試合には出られません。足を怪我したのは(もちろんですが)すぐにわかっており、すぐに手術が出来た筈。完っ全に、チームへの当てつけてへぺろです。

 

シーズン開幕戦を久々に落としたブルズの開幕1か月(10~11月の終わり)までの戦績は、何と9勝7敗ゲッソリ。スタートダッシュ大失敗ショボーンが注目されましたが、勝った9試合でも100点を越えた試合はわずかに3( うち1試合はオーヴァータイム{以降、「延長」と記載}があった )です。↑にも書いた通り手術をわざと遅らせるというブルズ得点力低下の原因のピッペンが、11月に公の場で他チームへのトレード志願をする。するとジャクソンHCも、確かこの頃に「本シーズンを最後にチームを離れる」と示唆。MJも「フィルとピッペンが辞めるなら、私も辞める」と発言。時期は1月ではありましたが、デニス・ロッドマンがシーズン中に「疲れたんで休暇をくれ」と言った事wもありました。こうなると、もう試合どころではありませんよね。

 

ですが、驚くべき事にそんな中でチームの調子が上がりびっくります!ピッペン不在のチームを、MJはまさに全力で引っ張ってチームメイトもそれに全力で応えたのでしょうね。12月は、何と11勝3敗ドンッ。MJが総得点で(当時の)歴代3位に浮上したり、ジャクソンHCも( HCとして )500勝を記録したりする等、良いニュースラブラブもありました。

 

それに刺激されたのかトレード志願を撤回したピッペンが1月に復帰すると、その後は4敗以上負けた月がありませんドンッ。シーズン終盤には、MJが史上3人目の総得点29,000点越えもありました。シーズン序盤でもたつくも、チームはカンファレンス首位となる62勝(20敗)キラキラ。MJは、3年連続通算10度目の得点王まじかるクラウンと5度目のシーズンMVP乙女のトキメキを獲得しました。

 

プレーオフは、緒戦のニュージャージー・ネッツ戦を軽く( でもないか、1戦目は延長だったし )スウィープ。カンファセミのシャーロット・ホーネッツ戦も、ホームでの2戦目を元ブルズのBJアームストロングの活躍で落としますが、お返しとばかりにアウェイで連勝。そしてホームでキッチリと勝ち抜けを決める等、順調でしたが.....。

 

カンファレンスファイナルの相手は、宿敵レジー・ミラー率いるインディアナ・ペイサーズ戦。これは見ているこっちの胃がキリキリと痛くなってしまった程ゲッソリ、緊張した試合の連続でした。シカゴでの第1戦&2戦目はブルズが勝ちますが、アウェイ連戦では連敗。特に4戦目は、試合時間残り2.9秒砂時計でレジー・ミラーに大逆転の3Pシュート炎を決められました。ホームに戻った第5戦は勝ちましたが、アウェイ開催の第6戦ではロースコアに持ち込まれての敗戦。ホームに戻ったブルズが逆に厳しいディフェンスをお返しして、何とか第7戦を取りNBAファイナル進出を果たしました。ですがブルズが優勝した6回の中で、アウェイで全敗だったのはこのペイサーズ戦だけです。また7回戦ったのは、このペイサーズ戦の他には1991年~92年のカンファセミのニューヨーク・ニックス戦だけでした。ペイサーズのレジー・ミラーが試合後に「俺たちの方が良いチームだったニヤリ」と言ったのも、決して強がりではありませんでした。ペイサーズのレギュラーシーズンの勝率がブルズよりも良かったら、もしかしたらブルズの連覇はここで止まったかもしれませんでしたし(勝率が上のチームがホームでの試合が多かったから)。

 

そしてNBAファイナルの対戦相手は、2年連続でジョン・ストックトンカール・マローンが率いるユタ・ジャズ。レギュラーシーズンでブルズはジャズと2回対戦しましたが、ともにジャズが勝って炎います。ファイナルのアウェイでの第1戦は延長の末に落としましたが、同じくアウェイの2戦目は奮起したMJが37点取って勝利。シカゴに戻った第3戦ではディフェンスを頑張り、何とジャズの得点を54に抑えて勝利。調子が上がったと思われましたが、第5戦は接戦の末に落としてしまいます。第6戦は敵地開催。念願のチームの初優勝を後押ししようと待ち構える、ソルトレイクシティの大観衆の声援も、手強い相手です。

 

ですが...。MJのシカゴ・ブルズでのラストゲームとなる、この1998NBAファイナル第6戦それまでの何から何までもが、MJの活躍を引き立てる為だけに存在していた様に思えました。ピッペンが腰痛で調子が出なかった事さえ、そしてジャズが残り37秒まで3点リードしていた事さえも。その試合のMJの得点は、脅威の45(!!!)。その45得点目は、マローンからスティールして敵軍ゴールに向かってドリブルから、チェックに来たブライオン・ラッセルを軽やかに振り切ってのミドルショット。「キラキラTHE LAST SHOT乙女のトキメキ」と言われるこのシュートがあまりに見事に決まって、ブルズでの6度目の優勝まじかるクラウンを果たしました。試合後、当然ながらMJはプレーオフのMVPにも選出されました。

 

個人的には、この1997~98シーズンはファイナルまでの道のりが非常にドラマチックだったと思います。ファイナル自体がドラマチックだったのは、昨日に紹介した「THE FLU GAME」もあって、1996~97シーズンだったと思います。

 

この後、MJは2度目の現役引退を発表。ジャクソンHCもですが、MJとともにNBA史上最強のトリオと言われた、スコッティ・ピッペンとデニス・ロッドマンの退団も発表されました。NBA史上最強チームのNBA史上最強トリオの解体です。これで、バスケの一時代が確実に終わりました。

 

 

今回はここまでです。次回は多少端折ると思いますが、最終回とします。以降、ここまでの逸話です。

 

 

・後期3連覇中というか1度目の復帰後に、MJは「ブレックファスト・クラブ」なるものをやっています。これは、早朝にチームメイトに自宅に来てもらって、専属トレーナーであるティム・グローバーの指導の下でウェイトトレーニング。その後、ジョーダン家のシェフが作った栄養バランスの取れた朝食を食べて、ブルズのチーム練習に行くというものです。アウェイの試合でも、ホテルでやったそうです。愛弟子のスコッティ・ピッペンとロン・ハーパーは常連。他の選手も何度も参加していたそうです。

 

・「フィルとピッペンが辞めるなら私も辞める」と宣言したと書きましたが、MJは体力的にはもう数年できたと言われています。それでも辞めたのは、「新しいHCの元で新しいチームメイトと一からチーム作りをするのは、年齢的にキツかった」からだそうです。本人が後年そうコメントしています。

 

・THE LAST SHOTですが、実は影のアシストがいます。ボールを取られたマローンが、ボールを奪い返そうとジョーダンに近づいた時です。ピッペンが主審にマローンの動きを「イリーガルディフェンスだ!」と主審に猛アピール。それを見たマローンは、ジョーダンへのマークを諦めたそうです。そして直後にMJのTHE LAST SHOT。ピッペン、GJですね!

 

(※1)

マイケル・ジョーダン、ロン・ハーパー、ビル・ウェニントン 34歳

スコッティ・ピッペン、スティーヴ・カー 32歳

トニー・クーコッチ、ルーク・ロングリー 29歳

デニス・ロッドマン 36歳