好きなNBA選手紹介 マイケル・ジョーダン その7 | かつぼうさんのブログ

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大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

さて、執筆を続けてきた好きなNBA選手紹介 マイケル・ジョーダン (以下MJと記載)も7回目の今回で最後です。ブルズの優勝回数クラッカーと同じ6回で済めばいいかなと思っていましたが、7回目の今回の公開が23日!これはこれで、良しとしましょうかね。

 

今回の紹介は駆け足で、少々端折ります。理由は、MJは2度目の現役復帰を後悔しているから&このころのMJをあまり見たくなくって、実際全然見ていないからです。え?見たくなかった理由ですか?察して下さいよ、かつぼうさんにとってMJはスーパーヒーロ-ですよ?衰えた姿なんか.....見たくないんです!

 

 

1999年にMJはシャーロット・ホーネッツ(紛らわしいですが、今のニューオリンズ・ペリカンズの方{この記事の一番下の※1}です)のオーナーの一人になるのでは?という噂がありましたが、交渉は上手く行かなかった様です。2000年にワシントン・ウィザーズに出資札束して、フロント入り。バスケットボールの運営部門責任者ニコニコとなります。優先事項は、低迷する同チームの再建です。

 

シカゴブルズ時代の恩師であるダグ・コリンズ氏をHCとして、2001~02年シーズンは自らも現場に「選手としてウインク」戻ります。MJ二度目の現役復帰拍手です。60試合に出て、平均得点は22.9点。2002~03年シーズンは全試合でプレーして、平均はちょうど20点です。

 

目標と公言していたウィザーズをプレーオフに導く事は、ともに出来ず。03年を最後に3度目の現役引退です。MJにはチームのフロントに戻りたいという希望がありましたが、チームは何とMJを解雇!ガーンMJは後に「引退後に解雇されるとわかっていたら、現役復帰しなかった」とコメント。かつぼうさんが今でもあまりウィザーズを好きでないてへぺろのは、ウィザーズがMJに酷いことをしたゲッソリのを覚えているからです。

 

ですがそんな事くらいじゃ負けないMJは、2004年に故郷ノースカロライナに創設された「シャーロット・ボブキャッツ(上記のホーネッツとは別ですが、今のチーム名はシャーロットホーネッツです ← ほんと紛らわしいですよね)」の共同オーナー札束の一人となり、2010年に買収。元選手として初めて、チームのオーナーになり乙女のトキメキました。現在は、同チームの90%の株を保有しているそうです。

 

今はレースの世界にも手を出している様です。詳細は知りませんし、MJに関してはバスケ以外はあまり興味がありません。

 

 

色々な所で語られていますが、MJの人気の理由星について少々書きたいと思います。

 

 

まず挙げられるのは、やはり超人的な身体能力でしょう。122㎝跳んだびっくりという記録が残っているそうです。MJは198㎝ですから、頭の上がリング(305cm=10foot)を遥かに越えちゃっているって事です。で、最高到達点が392㎝びっくり。これだけ跳べれば何だってできますキラキラわな。また、その3の逸話にも書きましたが、状況判断能力も超人的。その極みが、「THE MOVE」です。

 

また、「THE SHOT」と言われるシュートを何本も決めているその異常な程の勝負強さドンッもありますね。重要な試合での重要な場面でのシュートは、絶対に外しません。例えリードを許していても、あまりに圧倒的な勝負強さが劇的な勝利につながるキラキラんですよ。これは人気が出ない訳ないですって。

 

MJがNBA入りした時は、(その1で書きましたが)「バスケは大きくってナンボ」の世界でした。攻守においてセンターが花形ポジションでしたが、MJの躍動感あふれるバスケが「でかいだけのセンターを時代遅れにてへぺろしました。センターがインサイドでゴリゴリやって点とるより、MJの様に、アウトサイドから切り込んでスラムダンク炎を豪快に決める方が見ていて面白い乙女のトキメキ。今のバスケでもセンターというポジションはもちろんありますが、色々出来なければいけません。MJがバスケのスタイルを一新してしまったって感じですよね。(「現代バスケには、「ハンドラー」「ウィンガー」「ビッグマン」という3つのポジションしかないとさえ言われています)

 

MJはNBA選手としては標準的なサイズだった(198㎝89㎏)のですが、それも躍動感あるプレーが出来たポイントだと思います。大きくも小さくもないのが良かった。MJ以前にも「速い選手」はいましたが、「すばしっこい選手」ってのは決して多くはなかったと思います。あまりに大きいと、速くはあってもすばしっこくはないですからね。

 

異常なくらい負けず嫌いだったと言うのは有名ですね。ポーカーでも卓球でもゴルフでも、猛練習をして一番にならないと気が済まなかったという事が超一流になった理由の一つでしょう。もちろんそれはバスケバスケでも同じ。MJは3Pシュートをあまり打ちませんでしたし、プレーオフ以外の成功率はあまり高くありません。ですがもし本人が3Pシュートを重要視していたら、練習して練習して練習しまくって偉大な3Pシューターになっていたと確信しています。その根拠は、上手い3Pシューターはフリースロー(FT)の成功率が高いそうなのです。で、MJの生涯のFT成功率は 0.835 と立派な数字です。

 

MJと言えばダンクシュート等、攻撃的な選手というイメージがあります。実際それは正しいのですが、バスケの基本は守備です。そして、MJも守備はめっちゃ頑張っています。LAレイカーズのレジェンド選手/ジェリー・ウェスト氏も、「MJはディフェンスも凄い」と言ったほどです。ちなみに、これも「MJは守備をしない」と言われた事への意趣返しから始まったそうです。本っ当~に負けず嫌いなんですね。

 

それから、これは個人的意見ですが、MJがフランチャイズ・プレーヤーだったって事も大きいと思います。優勝するために強いチームに移籍するのではなく、入ったチームを優勝させる。カッコいいグッですよ(もちろん優勝したいから移籍する選手を否定はしませんよ、尤も、MJほどカッコいいとは思いませんがね)。

 

これも個人的意見。現役中、大きな怪我は2年目の骨折以外ありません。専属トレーナー/ティム・グローバーと共に、怪我しにくい体作りが出来た事が大きいです。

 

これも個人的意見ですが、個人技重視からチームプレー重視とスタイルを変えた事がMJの成長にも思えて、そこら辺も好きです。もちろん、チームプレー重視は、MJ自身が身体能力が落ちていったのを自覚しての変化なのでしょうが。

 

 

はい、記事を書いている途中で落涙雨を禁じえる事が出来ない時が何度もあったMJの紹介も、今回で終わりです。

 

長きに渡っての紹介記事をお読み下さった方々、本当に、本っ当~にお疲れ様でした&ありがとうございました。

 

そして、かつぼうさんが紹介できるバスケ選手はもうあと一人しか残っていません。ラリー・バードです。紹介、いつになるやら.....。ま、予想できますかね(笑)。以下は、これまでのMJの逸話です。

 

 

・MJの現役時代の稼働率ってめっちゃ凄いです。15年の現役生活で、9回も82試合(要は全試合)出場しています。これはもちろんMJの節制もあるでしょうが、↑にも書いた通り、早くから専属トレーナーであるティム・グローバーと共に「怪我をしない体作り」をしていたからです。アイディアを思いついたら、例え夜中でもすぐにティムを呼んでやってみたそうです。手強そうなねん挫も、すぐに治ってしまったのだとか。

 

・何度も書いてはいますが、性格はめっちゃ悪いです。「天才あるある」です。ただ、(やはり何度も書いていますが)野球で上手くいかなかったので、「一生懸命やっても出来ない事がある」と学んだのでしょう。1度目の復帰後は、「ほんの少~しだけ」(笑)優しくなったそうです。

 

・2度目の引退後、「いつかやっつけてやろうと思っていた」とコメントしたチームメイト(誰だったかは忘れた)と当時高卒で将来を有望視されていた選手(OJメイヨ)を1on1でやっつけています。前者は休暇中にわざわざシカゴに戻って、後者は自身が主催したクリニックを一旦中止してボコったそうです。OJメイヨはクリニック中に余計な事を言ってしまいボコられたのですが、その時のジョーダンの言葉がカッコいいです。

 

「お前は高校ナンバーワンだって?俺は世界ナンバーワンなんだぞ?」

 

です。貫禄でも勝ちましたね。

 

・MJがノースカロライナ大学(UNC)を愛し続けたのはその1でも書きました。MJは、UNCの練習用のインナーをブルズのユニの下に着て試合に臨んだそうです。ですので少しダブダブとなり、有名なミシガン大学のファブファイヴがそれを真似し始めて、それが「バギーパンツ」と呼ばれ主流になりました。

 

・UNCの後輩/ヴィンス・カーターがトロント・ラプターズでHCと揉めていると聞くと、ヴィンスに夜中に(笑)電話。「UNCの選手たるもの、HCの指示には従え!」と小一時間説教をしたそうです(笑)。ヴィンスの入団当時、ラプターズには親友のチャールズ・オークリーが在籍。ヴィンスのラプターズ入りが決まると、「UNCからお前がいるチームにヴィンスって奴が入るんだ。面倒見てやってくれ」と電話して頼んだそうです。UNC絡みになると、後輩の面倒見は良いんですね。

 

・自宅で使うガウン/バスローブ/スリッパ等は、すべて水色です。水色は、ノースカロライナ大学のスクールカラーです。

 

・現在NBAの名PGとして頑張っているクリス・ポールが少年時代にMJのバスケ教室に参加。クリス少年は最後に、バッシュを賭けたシュート勝負をMJに申し出たそうです。MJは満面の笑顔でそれに応じて、その上で子供たちを完膚なきまでにボッコボコにしたそうです(笑)。大人げないと言うべきか、ここでミスター負けず嫌い発動か!と言うべきか、子供たちに人生の厳しさを教えたと言うべきか...。

 

・名言がいくつもありますが、個人的には「え?これが名言?迷言なんじゃね?」と思うのもあります。「名言」をいくつか紹介。

 

「 試合に負けた事は一度も無い。時間が足りなかっただけだ。」これ、MJじゃなかったらただの負け惜しみですよね(笑)。

 

「成功はやみくもに追い求めるものじゃない。それに向かってたゆまない努力を重ねるものだ。そうすれば、成功は思いがけない時にやって来る。それがわかっていない人が多いんだ」目標に向かって頑張りなさいという、神様のメッセージな割には普通かも(笑)。

 

「失敗には耐えられるが、挑戦しない事には耐えられない」。あまり失敗しなさそうなMJですが、ま、したんでしょうね、それなりに。

 

「TEAMにI(個人)は無い。だが、WIN(勝利)にはIがある」MJが言うと、めっちゃ説得力ありますね。

 

・炎上するかもしれないので(笑)、こりゃ「迷言」だと思うのは一つだけ紹介。

 

「俺はチームの為に犠牲になる事を嫌がるスターよりも、実力は劣っても犠牲になる事を厭わない選手とバスケをやりたい」 バリバリ嘘(笑)ですよね? 実力がないと、結っ構~イジメましたよね?

 

・試合の4時間前に、ステーキ650g(!!!)、ポテト、サラダとジンジャーエールを摂っていたいたそうです。ええ、書き間違いではありません、ステーキは「650g」です。

 

・息子さんが2人いらして、ともに大学までバスケをしました。「神様の子」と言われ続けた事は、容易に想像できます。さぞや重圧だったでしょう。

 

 

※1 1988年にノースカロライナ州シャーロット市に創設された「シャーロット・ホーネッツ」が、2002年にルイジアナ州ニューオリンズ市に移管。しばらくは「ニューオリンズ・ホーネッツ」を名乗っていましたが、2013年にチーム名を「ペリカンズ」に変更。2004年にシャーロット市に創設された新球団「シャーロット・ボブキャッツ」が、歴史ある「ホーネッツ」という名前を譲り受けたのです。

 

ちなみに、ホーネットとはスズメバチの意味でシャーロット市のニックネームです。同市はアメリカ独立戦争時の激戦地ですが、あまりに激しい抵抗にイギリス軍が同地を「スズメバチの巣の様だ」と言った事が由来です。

 

もう一つちなみに「ボブキャッツ」という名前は2004年に公募で決まりましたが、同市に本拠地を置くNFLカロライナ・パンサーズとともに愛称がネコ科の猛獣である事、チームのオーナーの名前がロバートさんだったからが選出理由です(ボブとはロバートの愛称{※2}です)。

 

※2 もし知り合いにボブさんと仰る外国の方がおられたら、本名を尋ねてみて下さい。間違いなく、ロバートさんです。