好きなNBA選手紹介、マイケル・ジョーダン(以降「MJ」と記載)の紹介ですが、もう その5 となってしまいました。本記事はユタ・ジャズとの1996~97年シーズンの、そして次回記事は同チームとの1997年~98年の死闘が、その主な内容になります。ウィザーズ時代や3度目の引退後~現在は軽く流し(笑)、本記事&次回記事をMJの記事のハイライトとしたいと思います。
レギュラーシーズンで72勝10敗、プレーオフで15勝3敗。ちょうど100回試合してわずか13回しか負けないという、「何かの間違いなんじゃないの?」と疑う様な戦績を残した素晴らしいシーズンの翌年である、1996~97年シーズン。そしてこのシーズンのブルズも
めっちゃ強かった
ですよね。シーズン前の戦力補強は、大ベテランの元セルティックスのロバート・パリッシュのみ。チームがより熟成されれば、新戦力は必要ないとの判断でしょう。後に「昨年度の優勝をマグレだと思われたくなった」とコメントした、MJ率いるチームの奮闘が素晴らしい序盤戦でした。ただ、開幕12連勝を止めたのが、後にプレーオフファイナルで死闘を繰り広げるユタ・ジャズ!象徴的でしたね。
12月にともに僅差とは言え連敗してしまいますが、その後8連勝。96年内は上手く言っていましたが。97年が明けると少しずつチームにいろいろ起こり始めました。負けに繋がってしまった訳ではありませんが、1/15にデニス・ロッドマンがカメラマンを蹴るという有名な事件を起こしてしまい25,000ドルの罰金と11試合の出場停止。終盤はフロントコート陣に怪我人が多く出てしまいました。4月は7勝4敗でしたが、そのうち3敗は残り4試合のうちの負け試合でした。最終戦はホームでのニックス戦でしたが、決まれば逆転勝利というラストショットをスコッティ・ピッペンが外してしまい、2年連続の70勝以上は叶いませんでした(69勝13敗)。あまり雰囲気が良くない中で、プレーオフに.....。
ですが、勝負所がわかっている選手が多いのがブルズの強み。プレーオフに入ると、調子を上げてきます。緒戦のワシントン・ブレッツ戦はスウィープで退け、カンファセミのアトランタ・ホークス戦もホームでの2戦目で負けてしまいますが、その後は3連勝して勝ち抜け。レギュラーシーズンの戦績は2勝2敗と少々手こずったマイアミ・ヒートとのカンファファイナルでは、相手の攻撃を自慢のディフェンスで抑えるというロースコアの戦い(5戦でブルズが100点以上取った試合は、何と1試合だけ)を挑み4-1で勝ち抜け。2年連続で、NBAファイナルに進みました。
そして、NBAファイナルの相手はユタ・ジャズ!歴代NBAで最高のコンビは?と聞かれると多くの人が連想するであろう ジョン・ストックトン & カール・マローン が、最強チームに挑みます。初のファイナル進出に燃えるジャズは、アウェイであるシカゴでの第1戦で躍動。試合のイニシアチブを握ります。試合時間残り9秒で、マローンがファウルを受けて2本のFTを獲得。誰もがブルズがホームでの初戦を落としたと思いましたが、何とここでマローンがFTを2本とも外してしまいます。MJがこのチャンスを逃す筈もなく、その直後のラストプレーできっちりジャンプショットを決め初戦はブルズが獲りました。勢いに乗ったチームは2戦目、MJの最多得点(38)・最多アシスト(9)・最多リバウンド(13)と言うもう一つアシストを取ればトリプルダブルだったという活躍で勝利。連勝して勢いを得て敵地ソルトレイクシティに乗り込みます。
ですが、オーディエンスの大アシストを受けたジャズもホームで素晴らしい戦いを見せます。3戦目に勝ち1-2で迎えた第4戦!試合の残り時間が2分半で 66-71 と5点のリードを許していましたが、最終スコアは 78-73 !ストックトンの飛び上がってのガッツポーズにテンションが上がったオーディエンスが、アリーナを揺らす程の大歓声で応える。73点は何とブルズのプレーオフ最小得点です。勝負どころでブルズを最少得点に抑えたジャズの雰囲気が最高な中で、MJの体調に異変が!何と、第5戦を前に食中毒にかかってしまったのです!容体の悪さは、自力ではベッドから起き上がれない程。めっちゃ無理して試合会場に行きはしましたが、コーチや選手が(当然ながら試合に出るのを)止めろ!と本気で言った程の体調だったのに.....。
何と、MJは試合に出ます。そして、38点取ります。
ええ、決して書き間違ってはいません。
食中毒にかかった選手が試合に出て38点取った
のです。精神が肉体を凌駕してしまったのでしょうね。ここもMJがバスケの神だと言われる理由の一つだと思います。間違いなくこの試合の勝利が、1997年NBAファイナルのハイライトです。もしこの試合でジャズが勝っていたらかなりの確率でジャズが王位についていて、もしかしたらMJの引退が早まったかも?とさえ個人的に思っています。この試合は「THE FLU GAME」として超有名です。FLUとは、インフルエンザの事です。試合後のこのシーン↓は有名です。
ブルズの勝利を告げるブザーと同時に倒れそうになってしまったMJを、盟友ピッペンがガッチリと抱き支えるシーンです。このシーンで涙してしまいました。
このシリーズは、事実上この試合で決まりでした。シカゴに戻って戦った第6戦は体調が戻ったMJの活躍もあり、4点差でブルズが獲りました。ブルズ、堂々5回目の戴冠です。
今回はここまでです。次回は、ブルズ2度目の3連覇を果たしたシーズン、いわゆる「ラストダンス」です。以下は、これまでの逸話です。
・っていきなりMJの逸話ではありませんが.....。第1戦でマローンが外した2本のFTの件です。試合が日曜日開催で、ピッペンが「日曜日は郵便の配達はないよね」とトラッシュトークをしかけたのは有名な話ですね(マローンのあだ名がメイルマン=郵便配達が郵便物を配達する様に、当たり前の様に高得点を取る事から)。
・ファイナルでの5戦目でのMJの体調不良の原因は、当初はインフルエンザと言われました。のちにデリヴァリーのピザが原因(注文したのは他にも何人かいたそうですが、食べたのはMJだけ ← MJの個人トレーナー/ティム・グローバーのコメント)で食中毒( FOOD POISONNING )だったとわかったのですが、語感の良さから訂正はされていないです。
・そのファイナル5戦目ですが、当然ながらティム・グローバーはチームにMJ欠場を申し入れ、フィル・ジャクソン監督もMJ抜きでの試合に臨もうと思っていたそうです。ですが、MJは試合開始2時間前に会場に現れます。試合出場を止める周囲の言葉に、MJはこう(↓)言って試合出場を強行したそうです。
「この会場に、一人でも俺を見に来た人がいるかもしれないんだ!その人の為にも、俺は『いつものマイケル・ジョーダン』を見せなければならないんだ!」
何という、何というプロ意識でしょう!今書いててうっすらと涙ぐんでしまう程の感動すら覚えるこの考え方も、MJが最高のバスケ選手と言われている一因です。間違いないです、これを間違いだという人は頭がおかしいです。
・またまたファイナル5戦目ですが、MJ38得点は「ワンマンレスキュー」の異名を持つピッペンが守備を頑張りMJの負担を減らしたからです。そのお陰でMJはオフェンスに力を入れる事が出来た訳で、これはピッペンも評価をすべきです。MJ一人で勝てた訳ではありませんから。