好きなNBA選手紹介 ディケンベ・ムトンボ 前編 | かつぼうさんのブログ

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お騒がせレッズサポーター・かつぼうさんのブログです
レッズの事はもちろん、最近ハマっている音楽や我が家の飼い猫、
大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

今回紹介するNBA選手は、やはりかつぼうさんが本ブログを始めた時期に紹介していますが。最初にネタを思いついて書いた事で満足してしまったニヤリのか、碌に経歴を紹介しないまま。見事な中途半端てへぺろでした(笑)。それから、年齢を10歳も間違えるというミスてへぺろもありましたし(本当にすまん、ムトンボ!)、新たに書き直します。

 

今回紹介する選手は、ポジションはセンターですが攻撃よりもディフェンスの印象が強烈に残った選手です。名前は、ディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボ ( Dikenbe Mutombo Mpolondo Mukamba Jean Jacque Wamutonbo、以降ムトンボと記載 ) です。

 

決してふざけていません、↑が本名です。

 

何故こんな長くなるかと言うと、結婚すると伴侶の苗字を付ける習慣があるからだそうです。彼の子供やお孫さんは、もっと長くなるゲッソリでしょう。

 

一回じゃ絶対に覚えられませんよね?覚えられるとしたら、

 

「寿限無」がお得意な噺家さんか、円周率をかなりの位まで言える方のどちらか爆  笑ですよね?

 

前回は↑を思いつき書いた事で達成感があったのか、ムトンボの紹介がめっちゃ中途半端てへぺろになった(笑)。

 

muto01

 

老獪なモハメド・アリが若いジョージ・フォアマンをKOで倒したと言う 「 キンシャサの奇跡乙女のトキメキ 」 という歴史的な番狂わせで有名な、ザイール(現コンゴ共和国)の首都キンシャサがムトンボの出身地です。兄弟は10人いて(!)、ムトンボは7人目でした。小さい頃から背が高かったムトンボは、お父さんの勧めもありバスケバスケを始めますが.....。何と、

 

最初の試合で骨折してゲッソリ

 

しまいます。以降、バスケ大っ嫌い少年ムキーとなり、その後はサッカーサッカーをしていたそうです。ポジションは、長身が活かせるGKでした。

 

成績も優秀鉛筆だったムトンボは、20歳の頃奨学金を得てアメリカアメリカの大学で学べるチャンスを得ました。医師病院を目指して、留学しましたが.....。留学先はよりによって(笑)、バスケの強豪大学。しかも良いセンタープレーヤーを育てる事で定評がある ジョージタウン大学(※) でした。

 

最初は興味を示さなかった様ですが、

 

218㎝の屈強な男の子が興味ないからって放っておかれる訳は絶対にない

 

ですよね。

 

名HCのジョン・トンプソン氏が、ムトンボをしつこく(笑)勧誘。遂にムトンボが折れたのでしょう。再びバスケを始めたそうです。ムトンボ好きとして、この時にトンプソン氏がしつっこく(笑)勧誘してくれた事に感謝&敬意を表します。同大学のチームメイトには、後にシャーロット・ホーネッツに入団する アロンゾ・モーニング もいたそうで、ムトンボとのダブルセンターは大迫力炎だったそうです。

 

1991年NBAドラフトで、1巡目4位でデンヴァー・ナゲッツに指名され入団クラッカー。大学でバスケを始めたみたいなものなのに、ドラフトで全体4位ですよ、奥さん(誰?)!高さもですが、やはり才能があったのでしょうね。

 

入団したナゲッツは強いチームではありませんでしたが、ムトンボはなんと1年目にオールスターに出場キラキラする等活躍しました。ムトンボにとって初めての進出となった1993~94シーズンのプレーオフ緒戦では、ナゲッツは第8シードながらカンファレンス首位だったシアトル・スーパーソニックスを倒すという番狂わせキラキラを演じました。第5戦目までもつれ込む激闘でしたが、その第5戦ではムトンボが試合終了間際にリバウンドを取った事でチームが勝利。取ったボールを離さずに床に倒れこみ涙を流した笑い泣きシーンは、ムトンボの名シーンの一つです。

 

翌年は初めてブロックショット王まじかるクラウンにもなり、最優秀守備選手賞まじかるクラウンを初めて獲得。1996年には、アトランタ・ホークスに移籍します。この頃のホークスには(ドミニク・ウィルキンスは既に退団していましたが)他にも良い選手が大勢いて (←誰だったかは忘れた ←調べろってw ) 、カンファレンスの上位の常連となっていました。ムトンボはここでも最優秀守備選手賞を2回獲得するなど頑張りましたムキーが、チーム成績はプレーオフ1回戦を突破するかしないか。成績が下降していった2000~2001年シーズン途中で、フィラデルフィア76ersにトレードされました。

 

ただ、この時のシクサーズはアレン・アイヴァーソン全盛期で、プレーオフファイナルに進出してLAレイカーズと対決したシーズンです。初のファイナルで、ムトンボは当時のリーグ最強のセンター、シャキール・オニールと対決しました。アイヴァーソン率いるあまり戦力的に充実はしていないシクサーズが最強レイカーズに挑んだ事がクローズアップされていましたが、ムトンボvsシャックの「センター対決」も見どころだったファイナルでした。

 

このファイナルは言うまでもありませんが、シクサーズが唯一レイカーズに土をつけましたがその後4連敗してしまいました。

 

 

 

っと、時間が無くなったので、ここで一回切ります。なんと、ムトンボで前後編となってしまいました。あ、これってムトンボに失礼?後編は、シクサーズ以降と逸話ですね。

 

 

 

(※)ジョージタウン大学出身のセンター筆頭は、やはりパトリック・ユーイングでしょう。↑にも記載したアロンゾ・モーニングの他に、ロイ・ヒバートやグレッグ・モンローも良いセンタープレーヤーですね。またセンターではありませんが、アレン・アイヴァーソンも同大学出身です。