好きなNBA選手紹介 ショーン・ケンプ 前編 | かつぼうさんのブログ

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レッズの事はもちろん、最近ハマっている音楽や我が家の飼い猫、
大好きな歴史の事等を「軽い暴言」を含めて(笑)書いていこうと
思っています。なにとぞ生暖かい目で見て下さい。

今回紹介するNBA選手紹介も、以前書いたものの書き直しです。間違いや書き足しはありませんでしたが、この記事は見事に(笑)端折っており最後まで紹介しきっていませんでした。

 

紹介する選手は、ショーン・ケンプ ( Shawn Travis KEMP、以降ケンプと記載します ) です。事実上の高卒ながら素晴らしい身体能力で、NBA加入後すぐにスターキラキラになったものの.....。最初の移籍後は自身の不摂生もありあまり、パっとしなくなってしまった選手ゲッソリです。

 

 

↑コンコルド高校時代のケンプ。背番号はやはり40番です

 

ケンプが生まれたのは、インディアナ州のエルクハートという街です。ケンプの両親は、ケンプが小さい頃に離婚ショボーン。ケンプはお父さんを全く覚えていないそうです。仕事で忙しい母親の代わりにケンプを育てたのは、お姉さんのリサさん。リサさんもバスケバスケをやっており、かなり優秀な選手乙女のトキメキだったそうです。2人は仲良くプレーしたそうですが、当然ケンプはリサさんに勝てませんムキー

 

リサさんに勝てる様になったのは、中学生の頃。身長が一気に12cmも伸びた爆  笑そうで、リサさんに勝つどころかダンクもできる様になった爆  笑そうです。高校は地元のコンコルド高校に進学。ケンプは1年生からレギュラーになり、同校を州大会に導きます炎。そしてケンプ本人も、高校生のオールアメリカン(ベスト5みたいなもの)に選ばれます。運動能力がめっちゃ高い事でも評判になったケンプが高卒NBA入りをほのめかした事で、試合会場にはNCAAの有名大学だけでなくNBAのスカウトも来ていたそうです。

 

引く手あまたの高校卒業後は、名門のケンタッキー大学学校に進学しますが.....。NCAAでは、勉強をしない選手は試合に出られないルールがあります。ケンプはこれに引っかかってしまい、1年試合に出られない罰則ゲッソリが与えらてしまいました。その間に窃盗の疑いゲッソリもかけられ(疑いというより、状況的にみてどう見てもケンプが犯人な気がするグラサンのですが)、結局半年で大学を追われてしまいますゲッソリ

 

その後テキサスのトリニティヴァレー短期大学に籍だけを置き、NBAドラフトにエントリー。1989年NBAドラフトで1巡目全体17位で、シアトル・スーパーソニックス   (以降、ソニックスと記載 ) に指名され入団クラッカーします。今でもですが当時高校卒業でNBA入りする選手は少なく ( 肉体的/精神的に成熟していない事が多いから ) 、事実ケンプは1992年シーズンまでNBA最年少の選手でした。

 

ソニックスでも1年目からレギュラーとなりニコニコまずまずの成績を上げ、良い相棒となるゲイリー・ペイトンが1990年に加入すると後に 「 ソニックブーム(衝撃波という意味台風) 」 と呼ばれるコンビプレーで大活躍!2年目は平均得点で15点を越え、3年目からは6年連続で得点とリバウンドでダブルダブル(2桁以上)の成績を上げます。4年目からNBAオールスターゲームにも、これまた6年連続で出場(初出場はコーチ推薦でしたが、2度目からはファン投票)します。

 

ソニックスでのケンプのハイライトは、何と言っても1995~96年シーズンでしょうね。チームにも↑に書いたペイトンの他に、フランク・ブリコウスキー ( 96のNBAファイナルで、あのデニス・ロッドマンとガンガンやり合いましたね ) やデトレフ・シュレンプ ( 本ブログでも紹介、ブリコウスキーとシュレンプはドイツ人です ) 、ベテランのネイト・マクミランサム・パーキンスエリック・スノウら良い選手が多かったです。レイカーズを退け地区優勝して、カンファレンス決勝でジョン・ストックトンカール・マローン(ともに本ブログで紹介)らを擁するユタ・ジャズとの激闘炎を制し、NBAファイナルに進出キラキラしますが..........。

 

ファイナルの対戦相手は.....。あの、シカゴ・ブルズでした。しかもブルズはそのシーズンで72勝を上げ、「NBA史上最強のチームまじかるクラウン」と呼ばれた時です。その最強ブルズに対して、ソニックスはよく2勝もしましたよ。96NBAファイナル敗退はソニックスが弱かったからではなく、ブルズの強さが異常だっただけです。

 

ブルズとソニックスそれぞれの主力選手との平均年齢差を考えると、次年度以降もソニックスは優勝に絡むだろうキラキラと思ったNBAファンは多いですが.....。

 

それ以前からケンプはチームと年俸で揉めて札束いましたが、遂に1997年に修復不可能ショボーンとなりました。ケンプは、 クリーヴランド・キャヴァリアーズ(以降、キャヴス)にトレードされてしまいました。キャヴスでもコンスタントに得点し活躍はしますが、体重の増加ゲッソリが明らかでした。そこそこ活躍したのに、「自己管理ができない選手だ」と批判ゲッソリされてしまいます。活躍に注目されなかったのは残念ですが、自己管理できなかったのは正解です。増加した体重は、キャヴスからは23㎏と発表されましたが実際は39㎏の体重増加ゲッソリだったそうですから。

 

かつぼうさんはケンプは好きでしたが(好きだから紹介している訳だし)、確かこの時期はキャヴスの試合はあまりBSで放送されなかったテレビ記憶があります。ってか、やはり世間様の注目はシカゴ・ブルズまじかるクラウンでしたしね、かつぼうさんもそうでしたがてへぺろ。ですからその後のケンプを見たのは、2000年にポートランド・トレイルブレーザーズに移籍してからです。

 

噂に聞いてはいましたが、他のファンに比べて2年遅れ(笑)でケンプの体形の変化に驚いたびっくり記憶があります。

 

 

長くなりましたし時間も無くなったので、ここで一回切ります。まさかの前後編になりましたわ(笑)。例によって、後編は明日とは限りません、多分明日ですが(←どっちだよ)。