好きなNBA選手紹介 アンファニー・ハーダウェイ | かつぼうさんのブログ

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バスケの神様マイケル・ジョーダンとマッチアップ!



以前ティム・ハーダウェイという選手を紹介する時に、「もう一人のハーダウェイも後日紹介する」と言ってすっかり忘れていました。今回紹介するのは、そのもう一人『 アンファニー・ハーダウェイ ( Anfernee Deon HARDAWAY) 』。身長201cmの大型のポイントガードの選手です。


ニックネームである「ペニー」で知られていますが、これは彼のお婆ちゃんがそう呼んでいたので付いたものです。本ヘナチョコブログでも、彼の呼称を「ペニー」とします。


貧しい家庭に生まれたペニーの両親は、ペニーが幼い時に共に失踪叫び優しいお婆ちゃんに育てられたペニーは、学校/教会に行っている時の他は近所のストリートバスケのコートバスケットボールで一日中バスケをしていました。後にペニー自身が「バスケをしていたから、悪の道に進まずに済んだよ」と言った位に。


高校に進学すると、ペニーの名前が知れ渡る様になるまでには時間はかかりませんでした。望めばNCAAの強豪校に進めたペニーが選んだのは、何と「ド地元(笑)」のメンフィス大学。理由は『大好きなお婆ちゃんに試合を観に来て欲しかった』からでした。


ですが、勉強しなかった事が裏目に出ます。成績不振で1年の頃にはプレーをする事を許されず叫び強盗に足を撃たれてしまうと言う事件にも巻き込まれてしまいます叫び。2年になり成績が上がり怪我も癒えると、プレーできる様になりました。大学の成績はパッとしませんでしたが、ペニー本人は大学生ベスト5にも選出される等、活躍しました。


NBAドラフトでゴールデンステイト・ウォーリアーズに指名/入団しますが、その日のうちにオーランド・マジックにトレードされました。すると前年に入団した、シャキール・オニールと共に大活躍をします。2年目のNBAプレーオフの地区準決勝では、野球野球と言うお戯れから復帰したばかりのバスケの神様マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズを破りました。その勢いでNBAプレーオフ決勝に進みますが・・・。ヒューストン・ロケッツに1勝もできずに終わりました。


思うに、この頃がペニーの全盛期だったのでは?と思います。翌シーズン「バスケ勘が戻った」神様ジョーダンでさえ、ペニーを止める事は難しかったのです。その頃30歳を回った神様ジョーダンの後継者みたいな存在になりつつありましたが・・・。皮肉にも、その活躍でチームのエースだったシャックと不仲になってしまいました。シャックと不仲になった理由はもう一つ。自身のブランドのバスケットボールシューズの売り上げの差です。ナイキから発売された「エアー・ペニー」は、ペニーの活躍と比例して売れに売れました。



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(↑)両方ともエアーペニーの画像です。シルヴァーの方なんて、すっごくカッコいいですね!


シャックは、1995~96シーズンオフにLAレイカーズに移籍。1996~97シーズンのチームの責任と期待は、ペニーの双肩に重くのしかかりました。ペニー入団後では初めて勝利数が50を下回ってしまった同シーズンのプレーオフ緒戦の相手は、同じフロリダ州に本拠地があるマイアミ・ヒート


1・2戦を落として臨んだ第3戦目も、20点近いリードを許しチームメイトの一人が負傷。絶対絶命だったその時でした。ペニーが伝説を作りました。何と一人で42得点して、チームの逆転勝利に貢献します。結局チームは5戦目で力尽きますが、この3戦目はNBA好きの間では今でも語り草となっています。


奇しくも当時のマイアミには、本ブログでも紹介した「ティム・ハーダウェイ」が在籍していました。3戦目が終わった後の彼の言葉を書いておきます。ペニーの活躍っぷりが一言でわかります。


ペニーをジョーダンにしてしまった。」


この後、元々痛めていた膝の怪我との戦いが始まります。色々なチームを渡り歩き、今は引退状態です。(正式に引退したという発表はまだだったと思いますので)


それにしてもなぁ。ペニーほど「怪我さえなければなぁ」と思った選手はいません。バスケのセンスはジョーダン並みで、ポイントガードであったが故に回りを活かすのがとっても上手かった。自身の得点パターンも多く、「バスケIQ」の高い選手だっただけに勿体なかったです。