大名と百姓 | かもさんの山歩き

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毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

 

ノウゼンカツラ。

マサカリ投法。

 

 

江戸時代の百姓といえば、土地と身分に縛られ、悪代官や厳しい年貢に苦しめられて、不幸な生涯を送っていたというのが、歴史教育と時代劇などから与えられたイメージだった。

 

しかし、近年の近世史研究の成果により、江戸時代とはこれまで考えられていたのとは随分違った、自由で活気のある社会だったことが分かってきた。

 

私が江戸時代の農村に暗いイメージを持つようになったのは、中公文庫の日本の歴史、全26巻を読んだからだ。もう40年前だが。

 

 

今から50年以上前に出版された本ではあり、巻毎に違う著者が書いている。

 

 

佐々木潤之助という人が書いた「大名と百姓」、

 

幕藩体制は、江戸時代中期以降、慢性的財政不足で、それを百姓から搾り取る事で補っていた。

 

佐々木先生の本を読めば、いわゆるマルクス歴史観から、書かれた本だったと、今はわかる。

 

領主と農民、両者は互いに相いれず、敵対する関係であり、農民は生かさず殺さずで、徹底的に搾り取られた。

 

農民は朝暗いうちから夜暗くなるまで働き、帰ってからも、夜なべ仕事。

 

一生貧しい暮しで、なんの喜びもない。

 

 

落語も歌舞伎もテレビの時代劇も、登場するのは長屋住まいの浪人や町民、吉原の花魁、大店の旦那、若旦那、番頭に丁稚だけだ。

 

農民は、悪代官に苛められる存在で、常に支配者に抵抗する存在だ。

 

農村の生活は、江戸に比べたら刺激の少ない生活であったろうが、それは今でも同じだ。

 

江戸でも、毎日刃傷事件があり、心中街あり、岡っ引が飛び回っていたわけではない。

 

江戸中期になると、農村でも教育熱は高まる。

 

農業について記された「農書」が広く出回るようになり、効率的な農法を勉強すれば、収穫も増える。

 

だから、

当時の社会状況を冷静にみていけば、士農工商と呼ばれる封建時代だが、西洋や他の国々の封建制度とはかなり異なり、身分差別もそれほど強くなかったようだ。

 

歌舞伎を見ると、サムライの子が町人の養子になったり、町人が金で侍になったりしている。

新選組の近藤勇は元々農民だったし、土方歳三は行商人だった。

 

 

 

そういう社会だったから、明治維新で大した混乱もなく、社会を変革できた。

 

 

この素晴らしい革命は当然のごとくマルクス史観からは、フランス革命と比べ、「民衆からのものでない」と貶められるのが学校で教えている歴史だった。