明治は面白い | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日のスケッチ。

 

フランスの村。前にも同じ写真で描いた。勉強のため今日も描いた。

 

 

明治時代は豪傑の時代だという印象がある。

 

 

私が成人した頃は、明治の豪傑、昭和の新人類に挟まれた大正世代は肩身が狭いといわれた。

 

 

明治になって、旧制度が壊れて、全て自分達で新しく作らなければならなかった。

 

学校にしろ軍隊にしろ、全て外国の制度を見て、1からこしらえなければならなかった。

 

参考にできる前例などないのだ。

 

蛮勇を奮ってまず実行してみた。

 

 

その点、大正生まれは、明治世代が作り上げた秩序に従って生きていけば良かったのだ。

 

横田順彌著、

「天狗倶楽部」

明治バンカラ交遊録。

 

天狗倶楽部とは、日本に野球や相撲を広めたスポーツ社交団体である。

 

当時の新聞のポンチ絵を見ると、学生服にニッカーボッカに地下足袋、着物の尻を端折ったワラジもあり、珍妙な姿で野球を楽しんでいる。 

 

 

冒険小説の押川春浪や早稲田大学野球部で活躍した選手、日本で初めてのオリンピック選手、三島彌彦が団員だった。

 

 

 

しかし、当時の天狗倶楽部の面々が野球の試合をしたいと思っても、野球場がない。

 

野球のできるグランドはすべて学校の持ち物だった。

 

そこで天狗倶楽部の京浜電鉄の技師が、上役にかけ合って、羽田にある土地の一万坪を整備して貸グラウンドを建設した。

 

羽根グラウンドは

地目が砂で海が近いので、試合中に砂からシャコが顔を出すこともあった。

 

このグラウンドを使って、日本が初めて参加したオリンピック、ストックホルム大会の選手予選会が行われた。

 

 

当日審判をしていた三島弥彦は、競技を見ているうちに、我慢できずに選手として参加すると、優勝してしまい、大会委員長だった嘉納治五郎が、三島をオリンピック選手に選んだ。

 

誰もを文句を言う者がいなかったというから、明治はおおらかな時代だった。

 

 

 

新しい文化・時代・物事が始まる時期の黎明期には、面白いエピソードがある。

映画事始め、テレビの黎明期等。

明治は全てが黎明期だったから、面白いはずだ。