怪物と飯を食ふ話 | かもさんの山歩き

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毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日の絵ハガキ。

 

怪物と飯を食ふ話

著者:岡本 一平

 

「ふと相撲場へ行きました。出羽嶽といふ力士の馬鹿々々しい大きさに少し呆れる事が出来ました。広い世界に同じ心持ちの人があるかも知れぬ。呆れをお福分けする積りで五六日土俵上の怪物の動静を絵でお知らせしました。

 

 ところがこゝに怪物に紹介合せようといふ人が出ました。訊すと医学士で歌人のS氏の奥さんです。S氏ならばわたくしの浅い知人でした。そして出羽はS氏の両親が養ひ子として愛し育てた関係の力士ださうです・・・」

 

S氏とは斎藤茂吉であり、怪物とは巨漢力士の出羽ヶ嶽のことだ。

身長205センチ。

 

 

斎藤茂吉は斎藤茂太や北杜夫の父である。

 

 

岡本一平は漫画家であるが、朝日新聞を中心とする新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを確立し、大正から昭和戦前にかけて一時代を築き上げた。

 

 

一平と会った出羽ヶ嶽は、不平そうな表情で、わしの絵は、新聞に書かないでいいよ、気になってしょうがないと言った。

一平が出羽ヶ嶽の相撲を描いた画像を見つけた。

模写した。

 

 

絵についている解説の方は、小兵力士にコロコロ転がされている出羽ヶ嶽をからかう調子だ。

 

出羽ヶ嶽が機嫌がわるいのも仕方ない。

 

一平の筆では、出羽ヶ嶽は一平に敬語ぬきで、仲間にしゃべるような話し方になっているが、たぶんそうではあるまい。

 

事実を誇張して面白可笑しく書くのが漫文である。

 

出羽ヶ嶽は学業も優秀で、医者を目指したが、斎藤の養父、精神科医の斎藤紀一の意向で中学を中退して相撲取りになったのだ。

 

年上の文士にため口をきくような非常識ではない。

 

紀一が貧しくて幼い出羽ヶ嶽を引き取って中学に通わせたのは、最初から相撲取りにするつもりだったのだ。

 

幼少時代から既に巨躯で、小学校入学時点で161cmと当時の日本人の体格で考えると教員と変わらないほどの新入生であった。

 

大きな人は、小さい頃から好奇の目で見られて、どちらかというと気の弱い、優しい人が多いが、出羽ヶ嶽文次郎もそうだった。

 

しかし、一平さん、怪物はひどい。

NHKのアナウンサーも幕下まで落ちた文次郎を、大男総身に知恵が回りかねなどと表現した。

 

文次郎は、自分の巨体をからかわれるのが一番嫌いだったのだ。

 

一平さんと飯を食った後は、文ちゃんこと出羽ヶ嶽文次郎は電車に乗って帰った。

 

 

「怪物が電車に乗るといふから見て居ました。怪物は乗るや自分の定まつた居所のやうにさつさと車掌台の右へ立ちました。」

 

なんだか哀れである。