今日の絵ハガキ。
渡辺与平の油彩画を模写。
『ここに泉あり』は、昭和30年公開の日本映画。
監督は今井正、主演は岸恵子。
高崎市民オーケストラが、群馬交響楽団へと成長する草創期の実話を舞台としたヒューマンドラマ。
長野県の山の中の、小学校の体育館で演奏するシーンがある。
オーケストラを聞くために、山のあちこちにある分校の子供たちが、先生に引率されて何時間も歩いてやってくる。
終わると、子供たちは山越えで、それぞれの地域に帰って行く。
子供たちは山の上から、オーケストラ団員に手を振っている。
それを見ていた地元の先生がオーケストラ団員に言う。
「あの子たちを見てください。
あの子達は、あのまま山に帰って、炭焼きなどの山仕事をしながら一生を終えるのです。
交響楽を聞くことは、もうないでしょう。
だから、今日のことは一生忘れないでしょう。」
しかし、そうはならなかった、
数年後、子供たちが義務教育を終えるころ、日本は高度成長期に入り、彼らは貴重な労働力として都会に出て行った、
数10年後。
都会に出て行った子たちは、家族を連れて、自家用車で舗装された林道を走って、年寄った両親に会いに戻ってきたはずだ。
大正6年の大阪パック。
[鋤鍬捨てて]
しかし、昭和30年代の高度成長期と違って、大正の労働者は、低賃金、物価高騰で生活困難になり、一方、労働力を失った農村は疲弊して行った。
労働者の生活難でも、むしろ生活難だからこそ、資本家に対して自分たちの権利を主張した。
短かったが、大正時代は民本運動による大正デモクラシーの時代である
軍人が肩身の狭い時代であった。
[世論の手]
陸軍を象徴する女性が、大砲や弾丸の飾りを際限なく欲しがるので、世論の手がストップをかけている。
その後の満州事変や日中戦争で軍部の発言力が強くなり。、戦前の日本にはデモクラシーが定着しなかった。
しかし、大正デモクラシーは戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持ったと指摘する論者もライシャワーをはじめ数多い。