今日のスケッチ。
嵯峨野の道。
日中戦争が泥沼化して、庶民の死活も苦しくなってきた。
長年勤めていた工場商店が閉鎖され、軍需工場に行かされ、収入も大幅に減る。
労働の後、一杯やりたくても、飲み屋もない。
国民が暗い気持ちでいたら、ある朝、日米開戦のラジオ放送である。
ますます、不安になっていたら、すぐに真珠湾攻撃に大勝利の報である。
今までの重苦しい気持ちが、いっぺんに吹き飛んだ感じがしただろう。
これからどうなるかという不安より、大多数の国民は、一時の勝利に我を忘れて喝采を叫んだ。
当時の新聞、雑誌を読むと、国民がいかに浮かれていたかわかる。
当時、映画の上映前には日本ニュースという映画を上映することが義務付けられていた。
日本帝国政府の意向を受けたニュース映画である。
当初、日本軍が快進撃していた頃までは、国内で中学生たちの競技大会、赤ちゃんの健康検査など、戦争以外の報道もあった。
しかし、報道の内容も時間とともに、あいつぐ玉砕など暗くなっていき、最後の報道では焼け野原の東京が映し出された。
敗戦後の257号が最後の日本ニュースであるが、タイトルが「原子爆弾」となっている。
応原爆投下後の広島を映し出し、原爆の被害についても正確に報道しているから、まだ進駐軍の検閲を受けていないようだ。
アメリカ第七師団の帝都進駐の様子も撮影している。
米軍の機械力機動力、規律の厳格さを称賛しているが、本音の部分と勝者に対する忖度した部分もあるだろう、
報道の自由があったのは、米軍の占領が本格化する前の短い時間である。
日本ニュースは社団法人日本映画社がつくっていたが、それを解散して株式会社日本映画社になって、衣替えした。
半年後の日本ニュースは進駐軍の指導を全面的に受けた報道となっているが、進駐軍の悪賢いところは、検閲を受けていると感じさせないところである。
別に指導なんぞしなくても、映画も新聞も、皆、占領軍の意を忖度してくれる。
忖度するのが、できるのが日本民族のいいところである。
再開された日本ニュースの第1号のタイトルは「民主革命の旋風」である。
変わり身が早い。
昭和21年の北英二の漫画を模写。
血色のいい若い米兵。
外食券食堂に並ぶ貧弱な日本人。
劣等感を持っただろう。
独身時代のサザエさんも、若くてハンサムなG・Iジョーに色目をつかっていた。