今日のスケッチ。
奥嵯峨の道、色は明日。
ハンサムなシリアルキラー、テッド・バンデイのことを以前書いた・
弁護の方針が合わずに弁護士を解任して、自分で自分の弁護にあたった。
裁判はテレビで全国中継され、ハンサムで爽やかな弁舌で、テッドの無実を信じた女性ファンも多かった。
しばしば、検事をやり込めたが、死刑判決を受けた。
裁判長は、罪を犯さなければ優秀な弁護士となっただろうに残念だと述べた。
日本でも、一審で死刑判決を受けながら、二審では自分でも弁護に立ち、裁判長から優秀で生きていたいたほうが社会に貢献できる人物といわしめ、無期懲役に減刑されたOという男がいた。
1954年6月13日、複数の強盗犯が保安庁技術研究所の会計係長夫妻をカービン銃で脅して夫妻を新宿区四谷の主犯の兄宅に監禁。6月14日、7枚の小切手1750万円相当をつくらせて現金化。
警視庁は係長夫妻への事情聴取で、体格や手口が似ていることから強盗の前科がある保安庁元隊員Oを全国に指名手配した。
Oは元東映女優・準ミス銀座である愛人とともに逃亡していたが、7月21日に大分県の温泉で発見され、大分署員に逮捕された。
Oは、一見紳士的で穏やかな雰囲気を持ち「宮様」のようだと言われて人気があった。一方の愛人は元女優で美人。この2人の護送は大騒ぎとなり東京駅では報道陣や野次馬5000人が集まり一時パニック状態になった。
Oは熱海市の元会社社長の男性を殺害した殺人罪も加わって、起訴されて、1958年6月7日、東京地裁で死刑判決。
この後一念発起して法律を勉強して、裁判長をうならすほどの弁護を展開し死刑から一転無期懲役となり、それが確定した。
そして25年間の服役を経て、1978年に仮釈放され、『さらばわが友―実録・大物死刑囚たち』という本を出している。
こ本のおかげで、死刑囚の生の声を知る事ができた。バーメッカ事件の正田昭とは、同じインテリで気があったようだ。
。
共産党に利用されて、見捨てられた三鷹事件の竹内景助は気の毒だと書いた。
私も竹内は無実だと思っている。
-
前のブログで、高い知能を持ったシリアルキラー、テッド・バンデイはサイコパスだと書いた。
Oさんもサイコパスの特徴がある。
Oさんの出所後のことは分からないが、たちまち頭角を現し、社会的に高い地位についているような気がする。