スケベ親父の荷風さん | かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

今日の絵ハガキ。

 五月の風。

 遠い日。

 

 

 初めての動物園で。

永井荷風さんの日記、

 

断腸亭日乗。

 

いずれは他人に読まれるのを前提に描いた日記だが、それにしては生々しい記述がある。

 

荷風さんが、1908年にアメリカ、フランスから帰国して以来、今まで馴染みを重ねた女性を列挙している。

1936年、荷風さん58歳の時の日記だ。

 

列挙した女性の数が16人。

 

芸者、売春婦、女給、なにやら怪しげな商売をしている夫婦の、もちろん女房の方など。

 

この夫婦、荷風さんの前で、夫婦の営みを見せて金をもらっているのである。

 

その後、女房が荷風さんと付き合うのは、亭主も承知している。

 

こうなると、荷風さん、たんにお盛んというより、変態である。

 

このほか臨時のものを挙ぐるにいとまあらずと書いている。

 

その中にも、素人女はいなさそうだ。

 

 

ある日の日記に、家政婦にやめられたことを書いているが、去る時に手切れ金を要求されなかったのは初めてだと書いている。

 

ということは、家政婦というのも、荷風さんの女というわけか。

 

別れるときに、女の情人から脅迫もされた時もある。

 

 

お盛んではあるが、荷風さん、女から利用されるだけで、モテたのではないようだ。

 

 

 

永井にとって、女性は芸術の対象として追求するに相応しい、非常に美しい存在だったという見方もあるが、現実の女性は荷風さんには煩わしい存在だっただろう。

 

荷風さんは、自分の中の理想の女性を求めたのであり、現実に生きている女性ではない。

 

江戸の名残をとどめた浅草や葛飾の旧跡を訪ね歩いて、いまはない江戸の情緒に浸っているのと同じ姿勢ではなかろうか。

 

でも、単なるスケベオヤジだったというのが真相だろう。

 

劇場の楽屋にいて、踊り子があわただしく裸で着替えるのを、垣間見るのを楽しみにしていたのだから。

 

 

荷風さんは、男も女も距離をとって付き合う分には良かっただろうが、決して近づきすぎてはいけないタイプだ。

 

ある人は、ケンカ別れした荷風について、「ボクは今でも荷風が大好きである。だから荷風には近づきたくない。『変人は遠くにありて想うもの……』というではないか」と書いている。