今日の絵ハガキ。
明日色を塗る。
あと何枚か描かないと、年賀状の枚数に達しない。
40年前八ヶ岳を縦走した時の凛々しい私。
去年、八ヶ岳を歩いた時の凛々しい私。
イケメンなのは変わらないが、格好がだいぶ違う。
今はニッカーポッカではないが、ズボンにゴムが入っていて、汗でズボンかまとわりつくことはない。
40年前は横長の重いリュック、去年のはリュックは小さいが、テントと食糧も入り、スケッチブックも絵具バレットもはいっている。
しかも軽い。
昔はチロリアンハット。
去年は八百屋さんのような帽子。
しかし、紐でとめなくても、帽子の大きさを調整できて、強風で帽子が飛ばされることはない。
40年前に比べると、服や道具、少しずつ改善されていて、全体ではものすごく便利になっている。
山道具だけのことではなく、社会の発展するということは、小さな改良の積み重ねである。
一番感じたのは、冬山でのヒートテックの下着である。
あの下着で薄着でも大丈夫だし、汗をかかないので、きつい登りの後の汗で体をひやすこともない。
テレビが開発されたのは、戦前のベルリンオリンピックの時だ。
それが20数年のうちに改良に改良を重ねて、東京オリンピックの時は、競技が世界にテレビ中継されるまでになった。
東京オリンピックの時、私は中学1年生だった。
平成生まれの私の娘を、その時代に連れていったら、不便さに驚くだろう。
私でも最初はまごつくだろう。
最初は懐かしがるだろうが、時間がたつに従い、便利な今の時代に戻りたがるだろう。
あの時代あの当時、不便だと思わなかったがな。
私の生活も、40年でだいぶ変化している。
会計事務所に入った当時、朝から暗くなるまで、1日中そろばんを弾くのが仕事だった。
早く計算すれば、さすがにプロだと感心された。
いつの間にか、ソロバンを使わなくなり、電卓も使うことが少なくなった。
この頃は、パソコンがないと、どんな簡単な仕事もできなくなった。