富士山 村山からの下向道 東ルート② 目印の石碑 杉田不動尊 安養寺恩智養宗の用水 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

この目印の石碑は、私には読めなかったけれど、資料によると「右 杦田 左 吉原」と書いてあるらしい。杦田は杉田です。

私達はこの日は千貫松から村山道を登りました。この道は富士市と富士宮市の境界線。三番目の道しるべからずっと登って、この石碑で左折して富士宮市に入りました。

※「富士山 村山からの下向道」としては村山から下ってくるわけで、五番目の道しるべを右折する西ルートを曲がらずにそのまま直進して、イチョウ畑にある四番目の道しるべを通り過ぎて間もなくのところにこの石碑があります。ここを右折するのが東ルートです。

 

 

 

5月10日は晴天、富士山はくっきりと見えます。

この辺は水田はできず。逆に栽培されているものに興味あります。ここはシキミ(樒)畑。ゆっくり農村の風景を楽しみます。

 

 

 

空地になっているけれどきちんと整地されていて、これからシキミの苗を植えるのでしょうか。

 

 

 

「コケコッコー!」と声も姿も立派です。なんという種類の鶏でしょう。囲いもなく放し飼い。のどかですねえ。猫の心配はいらないのかしら。

 

 

 

道端の石造仏。素朴です。

 

 

 

静かな道を遮るように真正面の道。この先の緑の茂みが天間沢の谷です。

 

 

 

谷まで降りて天間沢川を渡り、石段を上っていくと・・・、

 

 

 

注連縄がかかった建物。

郵便受けには「雲切不動尊 富士宮市杉田760-1」とありました。

 

 

 

その奥に「恩智養宗和尚顕彰記念像」。曹洞宗安養寺22世の像です。

 

 

 

 

その後ろには岩屋があり・・・、

 

 

 

不動尊像がでんと祀られていました。「杉田不動尊」です。

この辺りを滝ノ上といい、「滝ノ上の不動さん」とか、建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りに立ち寄り、雲や霧を払うべく祈ったところ、すっかり晴れたといわれることから「雲切り不動」とも呼ばれるそうです。

 

 

 

 

この岩屋の前に「安養寺第22世恩智養宗用水道」の案内板が。

恩智養宗は安養寺に赴任すると間もなく水に困窮している現実を見て、不動尊境内に水源を見つけ、寺に水を引くために約500mの隧道を掘ったというのです。

万延2年(1861)に開始し、大変な苦労をして文久2年(1862)に完成しました。

 

 

 

境内には石仏が多く、このように立ち並んでいるところもあります。

 

 

 

思いがけなく(?)広い駐車場もあり(参詣の人が多いのですね)、トイレもありました。

 

 

 

駐車場の地図には、注連縄がはられた建物は本堂とされています。

かつてここには安養寺末寺の竜泉寺不動堂があったそうです。

 

これから安養寺に参りますが、安養寺には2022年12月18日にも行っており、現ご住職に丁寧に案内していただきました。

安養寺と、恩智養宗和尚による杉田用水のことはこちらに詳しく載せましたので、ぜひご覧くださいませ。

 (つづく)