富士山 村山からの下向道 東ルート① 千貫松から村山道へ 茶畑の脇の道しるべ | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

5月10日(金)、富士宮駅から曽比奈方面行きのバスに乗り、千貫松バス停で降りました。11:03

田子の浦から登る「村山道」も、ここ千貫松を通ります。

 

 

 

「富士山表口村山登山道 千貫松市場」。

その時々の土地の産物や手作りのお菓子やお惣菜が売られていて、ちょっと覗きたくなるところです。

 

 

 

竹川本家の表札のお宅。富士山がくっきりと見えています。

元禄14年、徳川幕府より富士山御領林の管理・取り締まりのため、竹川半重郎が「山林奉行所」を建てた跡地です。

 

 

 

庭内に竹川本家の墓所があり、説明の石碑も立っているので入って読ませていただき、手を合わせました。

 

 

 

「村山道」を歩いてきて、広見公園から工場地帯を抜けた先に最初の道しるべがあって、これは3番目の道しるべ。

 

 

 

いいですねえ。今日は富士山に恵まれています。

富士山の方へ行きたくなりますが、ここは「左 むら山道」です。

 

 

 

本山修験宗総本山 聖護院門跡の8月の「富士山峰入り修行」の時は、毎回大きな西瓜をその場で切ってお接待してくださる佐野自動車の方。

(汗だくでここまで歩いて来て、塩をたっぷりふりかけていただくスイカは美味しくて生き返るようです。家でスイカを食べるときはほとんど塩は要らないのに・・・。)

 

この日の目的はかつて富士山に登った人が、下山時に村山の興法寺(浅間神社)から、大宮(富士宮)の浅間大社には寄らずに直接岩本山実相寺を通って富士川まで下った「村山からの下向道」を探ること。

今年の2月14日にも村山の興法寺(浅間神社)から村山道を下って覆盆子平(いちごだいら)で西の方へ道を分けました。(その時のことはこちらに載せました。2月23日から3月3日まで。こちらです。

今回はもう一つ東の下向道を辿ろうというものです。

畠堀操八氏は資料を見せながら、その目印になる石碑の心当たりの場所を聞いています。

 

 

 

碧雲墓園に立ち寄りました。

 

 

 

「ご自由にご利用ください。」と書かれた水道の蛇口。水を補給させていただき、トイレもお借りし、木陰で一休みしてから出発しました。

 

 

 

お茶畑と富士山。いいですねえ。

 

 

 

あっ、見つけたようです。

 

 

 

資料と読み合わせしています。間違いないようです。

ここは富士山峰入り修行でも毎回通り過ぎるところです。

 

 

 

彫られた文字がよく見えず、懐中電灯を当ててみましたが、「右」と「左」はかろうじて読めますが、あとは・・・?

 (つづく)