(2012年8月21日撮影 三島岳の麓から写しました。)
初めからこれがコノシロ池と聞いていたので、疑うことはなかったのですが、今回資料のコピーを読んでいて、
「こんなところで身投げなんてできるのかしら?噴火口の内院に水が溜まったのではないの?」という疑問も。でも、
「このしろ池は三島岳近くの平坦地、・・・」とあるので、間違いはなさそうです。
2015年10月31日の「ブラタモリ・富士山頂」では内院から採集された古銭が紹介されました。
お賽銭として投げられたもの、と解説していました。
(2011年9月13日撮影 全く水がありません。)
初めて村山古道を登った時に「富士市観光ボランティアの会」の浅井賢治様が村山浅間神社までいらして見送って下さいました。
浅井賢治氏は高校時代、郷土研究部にいて、昭和33年8月4日~7日、部活動として富士山頂の古銭採集を行いました。
「コノシロ池は水一滴もない。この熔岩や石をはらいのぞいて鉄ベラで砂や赤茶色の土を二、三十センチ掘る。・・・」
と、ここに懐かしいガリ版刷りの報告書があります。
顧問の先生や銀明館の人に今まで古銭が出たところを聞いてからお鉢を廻ったそうです。
コノシロ池からは時間をかけたせいもあるけれど、沢山採集できたとも。
これらの古銭は信仰――賽銭と結びつけるのが妥当ではないだろうか、と。
この古銭の青写真は鋳造年代など間違っているものもあるなどの反省点や、これらの古銭(中国銭が多い。)から研究されるべき課題が多く残されている、などとも書かれています。
なぜコノシロ池にこんなに古銭があったのか。
なぜ日本銭よりも宋や明の中国銭が多かったのか。貴重な資料ですねえ。
珠流河(するが) 第十号 昭和34年3月3日 印刷発行
発行者 静岡工業高等学校郷土研究部
ところで、「コノシロ(鮗・鰶・子代)」って? 馴染みがないです。
コノシロは出世魚で、孵化した幼魚をシンコ。
その後大きくなるに従ってコハダ→ナカズミ→コノシロ(16㎝以上)。
コハダ(小鰭)は寿司ネタでよくあるし、通は小鰭から頼むとか、小鰭の締め具合でその店の良し悪しが判るとか聞きますが、そういうことにもあまり馴染みがありません。
また万葉集では「ツナシ(都奈之)」と出てきて、瀬戸内海では今でもそう呼ぶそうです。
コノシロは焼くと人体が焼ける臭いと煙が出るとも言われているようです。
それにまつわる話はいくつもあります。
例えば、かぐや姫の話として、御門からかぐや姫を請われた翁は「もはや姫は亡くなりました。」として、コノシロを焼いて姫の亡き煙としました。
その煙が富士の煙となったということです。
また、江戸時代に富士山の祭神となったコノハナサクヤ姫は風神に求婚されて困惑したものの、一計を案じて頂上のコノシロを取って来させて、それを焼きながら姫が死んで葬儀をしているところだと偽り、風神を諦めさせました。
このようなことから浅間神社の師職はコノシロを食べないということになっているそうです。
このような話は浜名湖の昔噺にもあって、
女好きの殿様がある娘の評判を聞いて「お城へご奉公に。」との命令を出しました。
娘は婚約者も居て「死んでも嫌。」と承知しません。
父親も困って、和尚と相談の上、使者が迎えに来る日に、松の薪の上に白木の棺を置き、中にコノシロを沢山入れて、読経とともに燃やし始めます。
娘を連れに来た使者は、悪臭を人体が焼ける臭いと思いこみ、形ばかりの拝礼を済ませて、さっさと帰って行きました。
この場合は娘の身代わり、子の身代わり、子の代となったという話です。
さぁ、富士山頂はこのくらいにして、そろそろ京都探遊會の人たちを追いかけましょう。