カポエィラ要塞行ってカツオの最後のホーダ | 竜太のカポエイラブログ(東京で道場持ってます。個人レッスンも。CM等色々出演)

竜太のカポエイラブログ(東京で道場持ってます。個人レッスンも。CM等色々出演)

大久保GENスポーツパレスに道場を持つ。鉄拳7エディ・ゴルド、爽健美茶黒冴CM、ミスチルPV他多数出演。ブラジル生まれの格闘技カポエイラの先生『須田竜太』。カポエィラ歴21年。ブラジル渡航13回。イベント情報、テレビ雑誌によく出るので裏話も。小学生男子2児の父

12/9(木)

とりあえず曇っている。
でも暑い。

昼前から晴れて、さらに熱くなる。って言うかマジ暑いよ今日は。


朝飯食って、ネットに繋いで洗濯してたら思ったより時間がかかってしまい、予定より大幅遅れでHANGAR45に筋トレに行く。

しかもバスなかなか来ないし道混んでるし。


結局フラカォンの仕事終わり以降も使わせて貰って筋トレはなんとかできた。

そしてそのまま一緒にペロウリーニョより先の、サントアントーニオにあるカポエィラ要塞に行く。

カポエィラ要塞って書くとすげえけど、もともと要塞だった遺跡をカポエィラのための施設に政府がしてくれた的な感じの所です。


途中、フラカォンが色々教えてくれる。

“本見れる”

“フレーヴォとマクレレー”

バス停からちょっと歩くとピエール・ヴェルジュの記念館みたいなのがあるんだけど、そこでこの写真を見ろ、と。
で、見させられたのはブラジル大使館が今年日本語版を出したカポエィラテキストの表紙に使われている写真。

“見えますか”

よーく見ると、端っこにビリンバウの先っちょが写っているのに気づいたか?
と言われたり。

テキストの写真はそこまで写っているかわからないけど。
左上にちょびっと写っているんです。

“何かのコスプレ的な人。昔からいつもいる”

“プラッサ

“カニ瓶”

で、カツオにこの写真撮れとか道中指示しながら、ジーニョさんの店に寄ったり。
そこでまたヴェフメーリョ ボクセウの話になったり。

って言うかバトゥーキのコントゥラ メストゥレ マリアーノにまた会った。


そしてペロウリーニョの坂を降りてサントアントーニオへ。

“また登る”


歩いていたら昔一緒に飲んだりしたUJさんに再会する。
うおー。意外と黒くないー。

来年日本に帰ると言っていたけど本当だろうか。5年ぐらい住みっぱなし。
ゆっくり話したいなー。

一緒に、ゆたかさん、たくしさんと言う人がいた。
ゆたかさん俺のブログ読んでくれてるとか。
コメント書いて下さいよー。

気さくないい感じの人たちだった。
まあUJさんと一緒にいるし当然だろう。

“ゆたかさん、たくしさん、UJさん”

このあたりはなお宿もあるし、日本人が多いのです。
日本人に限らないけど。


要塞前の公園から、港を見下ろす。

“港”

メストゥレ ビンバは昔あそこで働いていたんだぞとかフラカォンがカツオに教えてくれる。


で、カポエィラ要塞。

“サスケ対策”

“堅牢な感じ”

“Forte

“こんな道場がありますよと”

中を普通に観るには3R$かかるらしいので、フラカォンが交渉してこの辺りだけならーって感じで無料で入る。

元要塞なので大砲とかあるエリアもあるらしいけどそこは見れず、カポエィラの道場エリアだけが見れる事に。


まあソレでいいんだけど。


“右がBola

“有名な写真に名前が書いてある”

“中庭的な雰囲気のエリア”

“メストゥレ

“メストゥレ

“GCAP”

“メストゥレ

“真ん中の井戸みたいなのは”

“奴隷収容してた”

“ソレを前にジンガカツオ”

“メストゥレ

カポエィラヘジォナウがメストゥレ ネネウのアカデミーアだけで、後は全部カポエィラ アンゴーラのアカデミーア。

昔は2階建ての建物があって、1階がメストゥレ ジョアォン ペケーノ、2階がメストゥレ モライスのアカデミーアだった。

そのころは良く金曜のモライスのホーダを観に来ていた。
シバさんとかカヨちゃんとかナベくんとかいる時期に。


とりあえず15時すぎに来たらほとんどが閉まっていて、あいてても授業はしていなかった。

ネネウのところはあまり使っていないらしい。


うーん、なんか全体的にもったいない感じだった。


ちなみにトイレはかなりキレイだった。


真ん中にでかい井戸みたいなのがあるんだけど、そこは奴隷を収容していた所らしい。



来た道を戻って帰る。
って言うか遠くに見えるボンフィン教会の方で雷が落ちてる。やべえ雨が来てる。


でものんびり帰る。

この前プラッサ ダ セーで下町に降りるために使ったロープウェイがここにもあるのを今更知った。

“入り口”

“ここのは小さい”

このロープウェイみたいなのはピラールと言うらしい。
1915年からやってるとか。すごーい。

メストゥレ パスチーニャも使ってたんだぜ、とフラカォンが言っていた。


って言うか今まで気付かなかったなんて。


あと、メストゥレ ビンバの遺骨が収められてる教会と一緒になってるここらで一番高いホテルで値段を聞いたり。

“交渉中”

とりあえず遺骨エリアに行けるか聞いてみたけどリフォーム中とかでダメだった。

一泊の値段は忘れたけどたしかにクソ高かった。


途中ジェラジーニョこと、ブラジル版簡易チューペットを食べたり、ペロウリーニョの坂の下でレモンジュースとココナッツジュースを混ぜた物を飲んだり。うまかった。



そしてオンジーナに戻る。

今度はヴェフメーリョとビーチで練習。

遅れて着いたのと、雨がこっちでも降ってきたのであまり長くはやらず。
雷が海の上で光ってるのが見えまくりで結構怖い。



カツオの最後の練習終了。



思ったほど雨は降らず、19時半からのホーダはそこそこ人が集まった。
でも他団体の人は来ず。

“カツオとカシーニョ”

カツオの最後のテンポのホーダなのでカツオは結構出ていたし出させられていた。

“メシカーノを倒した”

“フラカォン”

“ヴェフメーリョとカツオ”

“チゾウラくらう”

歌も結構歌っていたし、ビリンバウも弾いていた。

“多分パパカピン歌ってる”

“デニーと”

“ヴェフメーリョとフラカォン”

“フラカォン”

“ヴェフメーリョとドラガォン”

“ヴェフメーリョとドラガォン”


途中、遊びでアパニャ ラランジャ ノ シャォン チコチコと言う、金を口で拾うゲームを紙切れでやる。

“なぜかこんな形に”

気に入らない事があったので俺はここでもうダメになった。


まあカツオの写真でも撮るよ。
カツオは終始頑張っていた。


“フロレイオ”

“飛ぶドラガォン”

“カツオフォーリャ”

“カツオエスコヴァオン”

特にフロレイオで活躍して、突然のフラカォンの手乗りのバク宙(もちろんこの2人やった事ない)も成功させた。

“低いけど”

“俺はちょっとだけ”


で、お決まりの、最後にみんなへの挨拶をさせられたんだけど、こいつノートに言う事書いて準備しておった。

“それでもナニ言ってるかわからない”

“一応通じた”

まず単語を正しく発音できていないのでかなり難儀だった。
次回は絶対にタリのポルトガル語レッスンを受けてからじゃないと来ちゃダメだこりゃ。



でもホーダでの活躍や、練習の様子でヴェフメーリョはかなりカツオを気に入った様で、色々みんなの前で言ってくれていた。

フラカォンも。

まあ日本に帰ったらビデオをタリに見せて訳してもらえばいいと思います。



その後のカツオのお別れ会と言う名目で酒飲み達が勝手にビール飲むだけの場でも何度か褒められていた。
本人わかっていないけど。

“こんなシチュエーション”

場所はすぐ近くのシッカばあさんのアカラジェー屋。
アカラジェーはこっちの伝統料理。

“シッカとカツオ”

“ヴェフメーリョの嫁さんホベルタと”

“ドラガォンと”

“ここの向いに住んでいるゲヘイロと”

“ヴェフメーリョと”

“基本は子供たちと”


支払いの時は当然適度に揉めていた。


俺はこのタイミングで嫁さんと長男が成田に到着なので、どうしても電話したかったのでフェルナンドに電話を貸してもらえて電話した。

フェルナンドは最初「たけえから2秒ぐらいで終わらせろよ」とか言うんだけど、結局なんでもっと話さないんだとか、なんだかんだ優しい。

46歳とかなんだけど、ヴェフメーリョに「年寄りを叩くと捕まるからコイツを叩けねえんだよ~」とか言われながら叩き合っている。
そんな仲。


酒をあまり飲んでない俺にどんな感じで接するかでこいつ実はいい奴、とかダメな奴かも、とか色々わかるかも。

4年近くも来ていないので、キャラがつかめない俺にとっての新キャラが多かったけど、だいたい分かって来た。


通りがかった小さい親子、母親が元うちの生徒で多分15歳とかなんだけど、子供はもう3歳ぐらいだろうか。
ヴェフメーリョ曰く未だに父親がわからないらしい。
マジかよ。


あ、あとジョアォン パウロが俺の日記を翻訳機能を使って読んでるらしいけど(ジョアォン パウロ不細工とか書いてるのも読んでるのね~。全然面と向かって言ってるからいいんだけど)、妹のダンダーラと一緒にいた男は彼氏じゃなくて友達のオカマだよ!
と教えてくれた。

オカマはここらでは標準語。