7/20が締め切りです。
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2日目の様子はこちらから。
3日目の様子はこちらから。
さて、4年目になる寺子屋ですが
今年はリピーターさんが何組かいらっしゃいます。
対して、二度目以降、誘っても子どもが「行かない」という場合もあります。
「行かない」の中身はいろいろなので、
その話ができるといいですね。
「ああいうのは、自分はもういいや」
っていう体験も、いい体験だよなあ。と私は思います。
その内容を、あれこれ話せたら、さらにいい体験だなあ、とも思います。
でも、
参加することなくて
「そういうのは、やだなあ」
っていう苦手感は、大人がもうひと押ししてあげるのもいいかな、と思います。
子どもって、かなりの適応力があります。
「暑いお寺で、和尚さんに修行させてもらうの、行きたい?そのあいだ、ゲームもお菓子もTVもナシなの」
と訊かれたら、だいたいの子どもは
「え~やだあ、行かない」
となりますよね^^
じゃあみんななんて言って連れてきてたんだろ?
今度訊いてみよう・・・
例えばキャンプに行くときに
「川で水遊びして、シャワーとかはないんだけど、じょうろで水かけて洗えるよ。
外でご飯食べるから、虫も飛んでくるけど大丈夫。
寝るときはお布団じゃなくて寝袋で・・・」
と説明されたら行きたくないかも・・・・?
寺子屋は、「お寺」という普段あまりなじみのない場所で
「和尚さん」という昔話に出てくる、あるいはお葬式で見たことある人と
20人くらいの小学生が「修行」体験をする、というやったことないことに挑戦する場です。
お坊さんになるにはたくさんの修行を積んで
心身を鍛えて立派な人になる必要があります。
その修行の一部を体験できるのですよね。
しかも、現在も鍛錬を続けておられる方のお導きで。
学校の先生や塾のおにいさんおねえさんやスポーツの監督などとはまた違ったものを
探究している方との交流。
神様や仏さま、
という人智を超えた大きな力への畏怖や
コントロールやエゴを捨てて謙虚に祈るということ。
そんな機会が、
最近の核家族の日常生活の中ではなくなりつつあると思います。
教科書で宗教の歴史を学ぶ前に、
「お寺」を体感し、記憶に刻む3日間。
そして違う学校、違う地域(海外からも参加)から集まった
3歳~6年生までの子どもたちと寝食をともにする経験。
これを、大人が、まず「体験させることを決める」。
初回は、これが大事かなと思います。
「うちは1年生になったら、お寺で修行することになってるから」的に
で、あとは楽しみな想像もさせる。
「お寺の境内って、よく階段があったり、坂になってるじゃない?
あれを利用して、長い長い流しそうめんを作るんだって!」
とか
「プールのある大きいお風呂に行くんだって!」
とか
楽しそうなこともアナウンスしてくださいね。
そのうえで
「修行っていうのは、挑戦して、がんばって、そしたらできるようになっていくからね。」
ということも伝えられたらいいですよね。
リピーターさんたちは、
もう活動内容がわかってるので
「前回は、行ったらあれができるようになったよね」
「前回は、あれを頑張っててお母さん感動したよ」
「今回は、きっとあのときの◎◎くんみたいにあれもできるね」
「今回行ったら、先輩だね、小さい子たちは、戸惑うだろうから教えてあげられるね」
「修行を頑張ったら、お盆は◎◎しようね」(ご褒美。取引ではなく)
「◎◎ががんばるの楽しみだな~」
「今回はほら貝にも挑戦する?」
みたいに、「成長」にフォーカスして励ますのがいいかな・・・
自分(親)の意思は子どもの意思とイコールじゃないし
親の想像の範囲と子どもの範囲が違い過ぎるし
なかなか難しいですけどね~~~
これはおととしの様子。スイカ割りの後、ホースの水でみんなで手を洗ってるとこかな?
暑くて、冷たくて、甘くて、笑ったり怒られたり、
それを眺める母たちは
ハラハラしたり恥ずかしかったりもするんだけど
だんだん
遠目で見られるようになってきます。
ほかの大人にお任せできる安心感というか。
普段あまりに、誰にもお任せできない気持ちで、いるとしたら
全部自分がやらなくても(やれないんだし)、こんなふうに
いろんな大人の手を借りて、子どもらは育ててもらうんだなあ、
というのがすとんと降りてきたりもします。
人、それぞれに収穫があると思います。
きっちり決まったサービスとしてのプログラムではなく
子どもも、大人も、
起きることから学びとりながら過ごす3日間。
あ、大人だけの参加もできます!(女性に限り)
子どもたちのエネルギーを間近に感じながら、ブライト・リスニングを3コマ学ぶ濃い合宿。
締め切りは7/20です!
詳細は、こちらから↓↓↓