最澄を知る32 延暦寺横川エリア
横川中堂
、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。
本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。
本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。
源氏物語宇治十条に「横川の僧都(よかわのそうず)」が出てきます。
これが、横川中堂のお坊さんとして書かれているのです。
匂宮(におうのみや)と薫(かおる)二人の貴公子に愛されだ、ヒロイン「浮舟(うきふね)」は、葛藤の末、宇治川へ入水自殺をはかります。
そこへ通りかかった「横川の僧都」が「浮舟」を助け、のちに彼女の願いをかなえ「浮舟」を出家させたのでした。
横川中堂
横川を代表するお堂で、正式名称は「首楞巌院(しゅりょうげんいん)」という大堂です。
大賛成慈覚大師円仁上人の開創で、ご本尊には聖観音が祀られています。 信長の延暦寺焼き討ち後、秀頼・淀君が再建しました。
延暦寺からは、数多の高僧が出ました。、この横川に縁があるのは、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人などです。命がけの修行の末、独自の境地で、一宗一派を開きました。
舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。
お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
この像は、後世に観音像を作るときにモデルにされた像のひとつです。
「比叡山七不思議」のひとつ、「六道おどり」が語り継がれる場所です。
ある年のお盆、横川中堂前の広場で里人たちが僧たちと盆供養をしていました。
その深夜、観音様が本堂から庭に現れ、印を結んだかと思うや否や、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道の亡者たちがそこへ集ってきました。そして、香や花を供えて盆供養をし、やがて踊りはじめました。
地獄の亡者たちは地獄での責め苦を踊り表し、修羅たちは剣の舞を舞うなど夜通し続き、最後に天人が延命の舞を舞い、やがて夜明けと共に消えていったと伝わります。