絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

絵本に関わり、早や40年。
ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
絵本作家しか知らない、絵本の創り方、絵の技法、親子で作るキッズアート大公開
描いて、読んで、親子で絵本を10倍楽しもう♪

私の絵本は こんな絵本です
「読み手と子どもが お話ししながら読む絵本」

覚えていないような 幼いころ
たくさん愛情をもらった 深い記憶
それが その子の一生を守る力に きっとなる

そんな絵本を作っていきたい…

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伊勢参拝~天孫降臨神話19 

ニニキネの晩年・ホツマツタヱ編


古事記では、ニニギの息子、山幸彦がのぞいてはいけないと言われていたトヨタマヒメの本性、ワニの姿での出産を見てしまったため、トヨタマヒメは海に帰り、かわりに差し出した妹の玉依姫を妻にした、というお話になっています。

 が、ホツマツタエでは、産屋でのしどけない姿を見られて恥じたトヨタマヒメは実家に帰っていたけれど、ニニキネのとりなしによって、二人はまた結ばれています。ニニキネの義父としての優しさが分かるお話です。

 


ニニキネとトヨタマヒメ


ニニキネは、は諸臣を召して話をしました。


「私は田畑のためにハラミ山の開拓を成し、30万の民を治めた。またアマツヒツギを受け継いで、ワケイカツチノカミとなった。
31万年の間統治したが、年老いてしまったため、アマツヒツギをウツキネ(ヒコホオテミ=山幸彦)に譲ろうと思う」

 ホオテミ(山幸彦)は足の速い船でミツホ宮に帰ると、天君(ニニキネ)も臣も喜びました。

 そのころ、身ごもっていたトヨタマヒメは、遅い出発の船で来ましたが船が壊れて、海に投げ出されました。溺れそうになった姫は子どもを思って猛き心で泳いで磯につきました。

 そして、産屋ができてないうちに出産しました。泳いだ疲れもあって、しどけない姿で寝ていたところ、見てはならないと言われていたヒコホオテミ(山幸彦)がのぞき、あられもない姿を見られてしまったのを恥じた姫は御子を置いて、ミツハメの社に籠りました。

迎えに来た使いに、妹の玉依姫を差し出したので、ヒコホオテミもこれを娶って妻としました。
ニニキネは、アマツヒツギをホオテミに授け、三種宝を継承させ、ホオテミは大嘗祭を行って、万民は君を拝みました。


 一方、トヨタマヒメは何度呼び出してもミツハメ社から出てきませんでしたが、翌年ニニキネが迎えに行くと、さすがに社から出てきました。

ニニキネに、「あなたは世を捨てて道を外れるのか?」と問われた姫は、「外れたくありませんが、渚を泳ぐ嘲りに腹這いの恥を重ねた身では内宮は務まらないでしょう」と答えます。
 
ニニキネは、言いました。
「しかと聞きなさい。子を産んだ後は営みを断つものだ。
ホオテミは忠告されていたにもかかわらず覗いてしまった。これはホオテミの恥なのだ。
竜の子は、海と山と里に千年住み、そのミイキを悟って君となる。
あなたは、海を泳いでお種を守ったことで地の気を悟り、内宮になることで天の気を悟り、妹背を得れば、人気を知る。この3つを知れば、タツキミの如くなれる」

 ニニキネの心ある共感を得た姫は、ニニキネのおばミホツヒメに付き添われて、ホオテミのもとに戻りました。

懸案の事が解決したニニキネはホオテミの元に戻り、遺言を残しました。
「天に日月が照ると人や草が喜ぶように、地の君も暗くなれば民は枯れてしまう。コヤネ・コモリとともに政をとりなさい。宮内はミホツヒメに任せなさい」

そして、ニニキネは船で鹿児島に向かい、タカチホの峰にて神となりました。ワケイカツチのスヘラカミと称されました。

妻のアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)は、浅間の峰に入り神となり、アサカノカミ、またはコヤスカミと言われています。


ニニギの深い人間性がホツマツタエでは見ることができます。
天孫降臨シリーズこれで終了です。


 

 

 

 

伊勢参拝~天孫降臨神話18 コノハナサクヤヒメの名の由来・ホツマツタエ編


 富士山(ハラミヤマ)の眼下に広がる広大な裾野を見たニニキネは、水の豊かなこの地に田を開こうと決意して、都をツクバからこの地に遷すことを決定します。

 その頃ホツマ国(ハラミ山を中心にした東海・関東地方)の政庁であったサカオリ宮(現・浅間神社)に入りました。

 宮では、国守護(くにしゅご)のオオヤマズミ(大山祇)が歓迎食事会を開きます。この宴席で、ニニキネのおそばに侍って給仕をしたのが、みめ美しく心優しいオオヤマズミの末娘のアシツ姫でした。
 ニニキネはそのたおやめぶりが一目で好きになられてしまい、その夜姫を召されて愛のちぎりを結ばれました。

 翌朝早くツクバに発ったニニキネは、大嘗祭(だいじょうさい)を執り行い、アマテル神から三種の神器を譲り受けたことを天にご報告しました。晴れてアマキミ(天皇)となッたニニキネでしたが、どうしても忘れられないアシツ姫への恋心は日に日につのるばかりです。


 ついにニハリの宮を左大臣のアメノコヤネに任せて、伊勢に行きました。今度も、オオヤマズミはニニキネをお迎えして御饗をしました。

 

再びアシツ姫が君に給仕しながら、顔を赤らめて「私は妊娠しました」とそっと打ち明けます。
 これを聞いて喜んだニニキネは、明日にも一緒に祖父のアマテル神に報告に行こうと話され、アシツのために旅支度を整えます。

 その時です。前触れもなくアシツの母が姉を連れて訪れました。
 「実は妹のアシツより美しい姉を連れてまいりましたのでお召し下さい」
つい、ニニキネは、姉のイワナガ姫をお召しになります。と、どうでしょう。身体はゴツゴツしていかつく、顔はあまりにも醜く、びっくりした君は肝を潰して奥に引っ込んでしまいます。

 やや落ち着いた君は、以前にも増してアシツへの思いが募り、
 「やはりアシツ」と、言ったのです。

 これを聞き知った父オオヤマズミは驚いて、母を厳しく叱責しました。
この事を逆恨みした母と姉は、
 「アシツが浮気してできた他の男の種です」と、君に告げさせました。

  思えば、たった一夜のちぎりで子供ができてしまったことの疑いが生じて、旅宿に姫を置き去りにして、帰ってしまいます。
途方に暮れたヒメは、自分を陥れたのが母だと知ると不安入りも毅然とした思いで、1本の桜の木に近いを立てます。

 昔、ひいおじいさんの名をサクラウチといい、アマテル神の左大臣だった頃、イセの道(伊勢は妹背の略・男女の相性)を占う桜を大内宮に植えて、今では左近の桜となっています。

「桜よ、さくら、心あらば、私に降りかかった恥をしのいでください。
もしお腹の子がニニギの子なら桜よ咲け。」

   日が満ちて六月一日、無事三つ子を出産します。
 不思議なことに、その胞衣(えな)に美しい文様が浮かび上がり、最初梅、次に桜、最後に卯の花が写し出されたのです。


 瑞祥(ずいしょう)ではないかと、早速イセに居る君に伝えますが、何の返事もありません。自分の疑いが晴れていないのを改めて知らされて、失意の底へと落ち込み苦しみ
そのあげく、我と我が子の無実を明かそうと自殺を決めました。

  出入り口の無い住居を造り、まわりを柴垣で囲み、母と三人の子は最後の誓いを立てて中に入ります。
 「本当にニニキネの子でないならば、一緒に死のう」

 火を付け焼けば、子供達は熱さにもがいて這い出ようとします。
これを知ったハラミ山のコノシロイケ(子代池)の竜が、助けに現われ、水を吹きかけ雨を降らせて、御子を一人一人導き這い出させます。

 家臣も驚いてやってきて、火を消してアシツ姫を引きい出し、イセに一部始終を告げます。

 実はこの頃ニニキネは、姫が子を生んだ日か桜が咲き続けて絶えないのを知って、はやる心で、姫に会いに来ます。


が、今だ閉じたままの姫の心は、素直に君に会う力も無く、かたくなにふとんをかぶったまま身動き一つしません。


 ニニキネは和歌を短冊にしたためて、今度はオキヒコを正式の勅使として、この歌を姫に届けさせます。
 

沖つ藻(も)は  辺(へ)には寄れども  清寝床(さねどこ)も
あたわぬかもよ  浜つ千鳥よ



 姫はこの歌を読んで、今までの恨みも消え、君に会いたさの一心から、裸足のまま裾野を走りに走ってオキツ浜に待つ君のふところに飛び込みました。
 君も、心から姫との再会を喜んで、二人は御輿を仲良く並べてサカオリ宮に向かいました。

 宮に着くと間もなく、君は諸神、諸民を前にこう宣言されました。
 「最初に炎の中から這い出した子はホノアカリ、真名(いみな)をムメヒト(梅仁)としよう。次の子の名をホノススミとし、真名をサクラギ(桜杵)とする。末に這いだした子は正に火の子、ヒコ・ホホデミ(彦炎出見尊)とし、真名(いみな)をウツキネ(卯杵)としよう。

 又、姫には子供を生んだ日から桜花がずっと咲いているので、コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)という、美しい名を贈ろう」


ホツマツタエでは、とても詳細にニニギとコノハナサクヤヒメの心の動きが書かれています。

 

伊勢参拝17~天孫降臨神話 ニニギノミコトは上賀茂神社のご祭神?

 人口が増えたため、稲作を広げて飢えることがないようにするのは、最重要課題でした。そのために懸命に働いたニニキネにをアマテルカミはねぎらい、讃え名を与えました。

それが、「ワカイカヅチ」です。これは、上賀茂神社のご祭神の名前ですね。

ニニキネは京都盆地開発に当たって雷雨の害から民衆を守り、

これを逆に活用するために、水の神を貴船神社に祀り、

火の神を愛宕神社に祀って  自然を治めました。

アマテルカミが「火の神と水の神を分けた」功績を讃えてつけた名前だったのです。


 斎宮制度という皇室の姫君が神様にお仕えする巫女姫として奉仕するのは、伊勢神宮と上賀茂神社だけです。

古代から、それほど重要視された神社であったのは、天照大神の直系の孫であり、地上の統治を任されたニニギノミコトが主祭神だったからだとすると、納得できます。

上賀茂神社の盛り土は謎とされているのですが、ニニキネは田んぼに水を引くために池をたくさん掘っているので、その盛り土の山を表しているのかもしれません。また天と繋がるアンテナにも見えます。

池と言っても規模が大きくて、タジカラヲに命じて、富士山の周りに、
八湖(やうみ:ヤマナカ・アス・カワグチ・モトス・ニシノウミ・シビレ・スド)を掘らせたとも書かれています。
この八湖は、富士山の噴火によって3つが埋まり、今は富士五湖といわれているのだとか。

 ホツマツタヱでは滋賀県の三上山も、、ニニキネが岳山(だけやま)と鏡山(かがみやま)の土を盛って造った山だと書かれています。