ポケモンGOについて 一言 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

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絵本に関わり、早や40年。
ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
絵本作家しか知らない、絵本の創り方、絵の技法、親子で作るキッズアート大公開
描いて、読んで、親子で絵本を10倍楽しもう♪

こんにちは

絵本作家ふじもとのりこです。

 

ポケモンGOについて 一言

 

私は、神社参拝が好きなんですが、

ポケモンGOが開始された日、小さな道端のお稲荷さんのところで、

お母さんと子どもが、社の前でずっと携帯をいじっているのを見ました。

 

その時は、「何してるんやろう?」と思ったのですが、

後で聞くと、神社がバトル場になっていて、ポケモンや神社の陣地を

取り合いするとか。

 

なんという罰あたりなゲームやねん!

 

「本当に取り合うわけじゃなし、架空のことやから」と言われたのですが

そもそも、神様ごとは、見えない世界のことを大事にする心です。

実際に占領するよりも、むしろ直接的に穢しているのでは?

 

「人が来てくれるから」と歓迎する神社もあるようですが

神社に向けて、ピッとしただけで、神気が吹き飛ぶとも聞きました。

長年、神社の結界の中で蓄積された祈りの神気が奪われるとしたら。

その神社は,神様が降りることができない場所になるでしょう。

 

 

それは、すごく大きな罪(カルマ)にならないでしょうか。

神話というのは、民族の集合無意識に雛形があります。

ポケモンGOは、知らずに民族の基を穢しているかもしれません。

 

このゲームは、絶対やらないほうがいいと思う。

 

そもそもゲームとして、

「長い時間やったもん勝ち」であり、命の時間を惜しみます。

物語性もないので、心の元型にアクセスすることもない。

思考力を鍛えることもない。

 

少なくとも、神社を初めとするすべての信仰の対象は、

ターゲットから外してほしいと願っています。

 

見えない世界だからこそ、意識をしないといけないのでは

ないでしょうか?

 

 

 

世界中のこどもたちに 大きな何かに

手を合わせる気持ちを持ってほしい。

 

そうでないと、人はすぐ傲慢になってしまうから。