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FC2に移転しました(線路巡礼)

ヤフーブログ→アメブロ→FC2の3社直通乗り入れ計画?

やることのない週末はスキャナー大会
鉄道ピクトリアル(1990年頃)が
50冊くらいあるので
がんばって一気に(汗)

やっと終わりました~

さて
今回のスキャナーで気づいたこと

1990年5月号「最近の車両新製」特集号

表紙をめくると・・・

イメージ 1

当時も
新しい車両を運ぶのは機関車の仕事だったのですねぇ
(そのころの私は本当に線路しか興味がなかったので、あまり関心がなく、汗)

そして
大きな見出し

甲種回送

やっぱり響きのいい言葉です

最近流行の
こうしゅゆそう
そんな軟弱な言葉では表現できません(笑)

他の号をざっと目を通しても
やっぱり甲種回送という表記

甲種回送輸送
なんていう半端な表現もありましたが(笑)

最近はどうなんだか知りませんが
鉄道ピクトリアルという雑誌は
他の雑誌に比べて
かなり権威(?)のある雑誌だったのです

そんな権威のある雑誌が
堂々と
甲種回送と書いているのですから
きっとそうなんでしょう


もちろん
雑誌になんて書いてあろうが
呼び名は私の勝手です
私のブログの中ではね(笑)


さて
どんなに権威があっても
この雑誌には線路の写真がほとんどないのです。致命的です。
ということで残念ながら処分対象です
(これは全部貰い物なので思い入れもないし)


午後
雨が止んだので
自転車に積めるだけ積んで
古本屋さんへGO

38冊分
いったいいくらでしょうか~?


200円でした
(1冊5円で。10円おまけ?)

まぁ
こんなものでしょう

ヤフオクで高く売れるという話をよく聞きますが
ホント?
手間を考えると、ちょっとね。。。
母親から
携帯電話失くした~と電話(泣)

仕方ないから
奥さん連れて探しに行こうと
駅まで来ると

今度は奥さんが
定期券持ってくるの忘れた~(泣)

取りに帰すと
その間、母親から私の携帯に電話があったのですが
私は気がつかず
耳が遠くなったの?(泣)

結局
母親の携帯電話は布団の中にあったそうです
だから鳴らしても聞こえなかった?

まぁ
行かずに済んだのですが
みんなダメダメちゃん


結局
行く準備してしまったので
私だけで自転車で実家へ


超老犬ビーさんを久しぶりに洗濯
じゃなくて、お洗い。

最近はほとんど
家の中の特等席で一日中寝ているそうです。

起こして
風呂場に連れてって

イメージ 1
こんな感じ
首輪がないとオオカミみたいに見える?

その後
玄関の外に出たがるのです
だけど
体が乾くまでは家の中に居なさい!

と注意したら

家の中で
オシッコされました(泣)

だから外に出たかったのね。ごめんチャイ。
困ったチャンだらけですぅ



昼食は
奥さんが水団(すいとん)作ると張り切って
なぜかカボチャも入ったので
ホウトウと区別がつかない(?)
でも美味しい

しっかり飲んだので
午後は完全熟睡です



今日も
線路のない一日になってしまいました

イシハラ都知事が辞めるそうです
大歓迎!
これでオリンピックもなくなるでしょう(笑)
1986年8月
初めての能登半島の続き

蛸島駅から穴水駅まで戻って
今度は
輪島駅行きに乗ります

穴水駅13:44→輪島駅14:22(急行)能登路51号

輪島駅に早く着きたくて、
急行列車を奮発してしまいました

峠越えです
こんな半島でも峠越えの線路があるのですね

終点の輪島駅

イメージ 2
終点の雰囲気満載

イメージ 3
終端側からホームを見たところ
側線が2本
昔は貨物取り扱いもあったそうです

イメージ 4
線路はそのままのびていきます
いい感じ

イメージ 5
引き上げ線の雑草の「生え方」が見事!
美しい・・・


さて
輪島駅で列車を一本見送って
町も見学してから
駅から海まで歩いてみました。
10分くらい

砂浜です

私は
ちょっと砂浜を歩いてみましたが

そのとき、波がざざっと(泣)


でも
これが
生まれて初めての日本海の水に入った経験かも?(爆)

輪島駅から金沢駅へ直行列車
車内で濡れた靴下を乾かしてました~(笑)

さて
今回は国鉄七尾線の話です

決して
輪島線なんていう名前ではありません

イメージ 1
ところが
廃止対象にもならず
JR後も安泰だった七尾線ですが

途中の和倉温泉駅までを電化してあげるという取引で
七尾線の一部区間
つまり和倉温泉~輪島駅は第○セクターに転落

廃止対象でもないのに移管
輪島の人は怒らなかったのですかね?
そんな馬鹿なことをしたおかげで、
その後わずか10年足らずで廃止

ちなみに
同じ第○セクターになった能登線よりも先に廃止という情けなさ
まさか
輪島駅の路線が
もともと廃止対象の能登線より先に廃止の憂き目に遭うとは思わなかったでしょうね(泣)

イメージ 6
(参考)小学館国鉄全線全駅⑦より

おまけ1
輪島駅の駅表示板に
この先が「シベリア」と書いてあったというネタが有名です
私はそのときにそれを見た記憶が薄いのですが
歴史的知識があれば
輪島の先はシベリアじゃなくて
渤海国じゃないかしら(?)


おまけ2
雑草の駅(TVドキュメント)
穴水駅~輪島駅にあった能登三井駅
第○セクター廃止後も
駅前のおじさんが集まって
残ったレールとモータカーを使って
線路祭りを繰り広げます
だけど
とうとうレールも撤去されてしまいました(悲)
という悲しい話
http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/14290648.html
私のブログ黎明期の作品記事でした(懐)



◆線路メモ◆
七尾線(津幡駅~輪島駅)
和倉温泉駅~輪島駅は1991年8月31日で移管
さらに
穴水駅~輪島駅(20.4キロ)は2001年3月31日廃止
一昨日、本日と
母親の「物忘れ」検査に付き添い

一昨日は奥さんが付き合ってくれました(午前中)
①MRI検査
②精神神経科

本日は私が付き合い(午後)
③SPECT撮影
④リハビリ科受診
⑤神経心理学的検査
⑥脳外科(結果説明)

ものすごい過密スケジュールですねぇ

SPECTというのは核医学検査のこと

なんでも
微量の放射能を体内に注射して
その画像で脳内の血流の動きを見るのだとか

健康に問題があるとかないとか騒いでいる連中には
信じられない検査でしょうね(笑)


結論から言うと
うつ病の兆候はなし
検査の画像解析からはほとんど問題なし
さらに生活上の支障は全くなし

ただし
やっぱり「簡易テスト」の結果が
合格点以下とのこと

付き添いの私に
今後どうしますか?と話を振られたので

私はその「テスト」に立ち会ってない
テストの内容を開示してくれないと評価の仕様がない!と逆に医者を問い詰めると

一枚のメモをくれました

改訂 長谷川式簡易知能評価スケール

30点満点
ウチの母親は22点
23点以上でないと認知症の疑いありだとか・・・

でも
この設問
かなり難しいですよ
少なくとも
TVの馬鹿芸能人用のクイズ番組より難しい(笑)

ようするに
「早く飲めば認知症の進行を抑えられる薬」を飲めということなんです
通院は4ヶ月毎くらいでいいのなら
安心料と思えば

だって今回の検査が総額で1万円くらい

この検査を受けないと
薬は買えないのです(薬は市販されていない)

いまさら
治療薬なんかいらない、というのも勿体無いでしょ(苦笑)

結局
治療薬を飲むことに。。。


終わったのは17時過ぎ
またも奥さんを呼んで
今度は「餃子の王将」で打ち上げしましたとさ


帰宅後
改訂 長谷川式簡易知能評価スケール
を調べてみました

その筋では結構有名な検査らしいです

あれ
20点以上なら合格ジャン!

騙された?
まぁいいです

ようするに
絶対に認知症でない人はいないのです。
いちど医者に疑われたらオシマイ。

大量生産される予感。。。
1986年8月
東北北陸大巡礼の続き

金沢駅前に泊まって
初めての能登半島侵攻です!

金沢駅5:37→蛸島駅10:31

能登半島直通列車!
輪島行きと蛸島行きが併結
国鉄時代は
これが当たり前の運用だったのですよね~

イメージ 1
穴水駅で分割です
今回は「能登線行き」に乗っています

ここから
線路巡礼:能登線

乗客はまばらですが
車両は優秀
七尾線能登線は全列車が急行型のタイプだったらしいです
ローカル線のくせに冷房率100%!

でも
おかげで窓を開けることができず
せっかくの車窓が。海がきれいなのにぃ・・・

途中の能登鵜飼駅から
軍艦島見えました
見所満載!


終点の蛸島駅

イメージ 2
どうみても中間駅の雰囲気

イメージ 3
でも
ここでお終いなんですよね。残念。


さて
国鉄能登線のその後ですが
JR西日本に無事に移管されたのですが
転換交付金欲しさに
第○セクターに転落


再度
乗りに行った思い出があります
すでに金沢からの直通列車はナシ(泣)

それでも
終点の蛸島駅の線路の雰囲気が
国鉄時代と全く変わっていなかったことだけが救いでした

あの線路配線じゃ
変わりようがなかったのかも?(爆)


その後
第○セクター能登線は
無責任にあっさりと廃止されましたとさ(怒)



◆線路メモ◆
国鉄能登線61.0キロ(穴水駅~蛸島駅)
1988年3月24日廃止
2005年3月31日また廃止