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FC2に移転しました(線路巡礼)

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1995年2月
福知山線で尼崎駅にやって来ました

乗り損ねてしまった
福知山線の支線(尼崎港線)の跡を求めて

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(1980年時刻表より)
福知山線というのは
もともと尼崎港が起点だったらしいのですが、
東海道本線尼崎駅と塚口駅の連絡線を後から作ったことから
塚口駅-尼崎港駅は支線に格下げ

尼崎港線として
東海道本線を跨ぐ鉄橋の南側の土手に小さなホームが出来ました
それも尼崎駅という名前
東海道本線尼崎駅とは300mも離れていました


尼崎駅の南口から歩くと
土手があります

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土手をよじ登ると線路跡がはっきり残ります
これは南側(尼崎港駅)方面

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立っているあたりにホームがあったみたいで
この先で東海道本線を跨いでいました

踏切を北側に渡ります

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当時は踏切がありました
福知山線の上り電車(たぶん大阪行)が来ました

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これは
北側の土手をよじ登ったところ

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とても貴重な当時の街の看板
まだ尼崎港線の線路が残っています(感涙)
こういう風に見ると
あとから出来た福知山線の上り連絡線が急カーブなのがよく分かりますが
尼崎港線も、
この上り連絡線も、いまはもうありません

JR東西線が出来た時
上下線で分かれていた福知山線の連絡線(もう本線ですけど)は
下り線側に複線でまとめられてしまいました

連絡線の上り急カーブは解消されたのですが
新しい複線区間の塚口駅寄りに新たに急カーブが出来てしまったなんて
なんという線路の皮肉でしょう…


尼崎港線は
1981年に突然旅客営業廃止
私は乗り損ねました
1日2本だけでしたが、乗れない路線じゃなかったのに

1984年には貨物営業も廃止
名実ともに廃止されてしまいました

ようやくここに来た時には線路も撤去済み
もっと早く来れば良かったです


久々に書きますが、
私の線路巡礼人生の3大乗り損ねは
別府鉄道
鹿島臨海鉄道
そしてこの尼崎港線です

改めて無念…
1995年2月
阪神大震災の現場を歩いた翌日

能勢電鉄を巡礼
(地震とは全然関係ありませんけど)

あまり馴染みのない線路なので
まずは路線図を確認

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(1980年の時刻表から。ここが重要)

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川西能勢口駅
ちょうど高架工事中
この時は阪急電車だけが高架になった状態

工事前は地上駅で
阪急と能勢電鉄の線路はつながっていたと思いますが
この時は断絶状態

能勢電鉄妙見線電車(妙見口駅行)に乗って見ます

途中の山下駅

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見事に二股に分かれます
複線平面分岐で
ダブルスリップというのは
日本ではかなり珍しい(と思う)

右の線路を進むと

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妙見線の終点、妙見口駅

山下駅まで戻って
今度は日生線

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日生線の終点、日生中央駅
線路終端の先に留置線があります

ここは日本生命が造ったニュータウン用の路線
生保会社の名前が付いている路線は全国でココだけ?


川西能勢口駅まで戻って

次は廃止路線跡を歩いてみます

妙見線の起点は
ここから少しは離れた
川西国鉄前駅でした(すでに廃止)

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駅のすぐ先に
とても分かりやすい廃線跡

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後ろ(川西能勢口駅)を見たところ

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廃線跡は
阪急電車の高架下をものすごい急カーブで進んでいきます

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線路で戯れるのは誰でしょう?
実は
今回の出張は同行者が一人いたのです
ちょいと鉄道が好きみたいで
ここまで一緒

福知山線の川西池田駅に出ました
駅前再開発のおかげで、
能勢電鉄の川西国鉄前駅の痕跡は全くありませんでした…

この短い区間が廃止されたのは1981年
乗るチャンスはあったのに
残念


同行者とはここで別れて
福知山線で尼崎駅へ
もうひとつの廃線跡が気になります

(続く)


あれから
能勢電鉄も高架化されて
阪急と線路もまたつながりました。メデタシ。
今では阪急梅田駅から日生中央駅まで直通列車が走っているそうです
川西能勢口駅でスイッチバックするわけですね
これは興味津々。乗ってみたいです
1995年1月17日
その日は朝からTVニュースに釘付けでした

阪神淡路大震災

それからちょうど1か月後
会社が大阪で所有するビルの被害状況を調査するという名目で
大阪に出張することに

関空から大阪へ

大阪は
全くいつも通りでした
肝心のビルはひび割れが少し見つかっただけでした
(わざわざ行かなくても報告受けていましたけど)

大阪はいつも通りで、
すぐ隣りが大震災のすごい被災地
全国からボランティアが押し寄せている、というのは
なんかピンと来ないのですが

とにかく
ここまで来たのですから、神戸の状況も見ておきましょう

大阪と神戸の間の鉄道はJRも私鉄もまだ不通のまま

動いている鉄道と代行バスを使って神戸へ進みます

阪神電車で
梅田駅から御影駅まで
ここから代行バスで三ノ宮駅へ

途中
横倒しになった高速道路のそばを通ります

三ノ宮到着

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駅前には解体中の大きな被災ビルが

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こちらは途中階がつぶれた神戸市庁舎

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阪急三宮駅は駅ビルごと潰れてしまいました

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柏井(かしわい)ビル跡
地震当日、ビルが傾きだして駅前の道を塞いでしまった、という衝撃映像がありましたそのビルがあった場所
もうきれいに片づけられていました

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目に付くのは
被害を受けたビルと無傷のビルの差が激しいこと

そもそもビルが倒壊するというのがあまり前例がないことですが
施工責任があるのかないのか
どこのゼネコンなのか
業界関係者の間では話題になりましたが…
結局うやむやのまま


三宮駅から高速神戸駅までの区間は早期に復旧していました

神戸駅からは
JRでさらに西へ(JRは住吉駅-神戸駅間が不通)

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車窓から
地震火災の跡…


鷹取駅

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JR鷹取工場も被害を受けたようですが
当時の私は車両工場にあまり興味がなかったみたいで

ここから新長田駅まで
火災被害が大きかった長田地区を線路沿いに歩いてみます

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実際に現地を見て体験した
地震火災の怖さ
すでにか月経っていたのですが
まだこの惨状でした

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新長田駅前から
代行バスを乗り継いで西宮北口駅へ

ちょうど通勤帰宅ラッシュに重なってしまいました
鉄道が不通でも会社は休みじゃないんですよね

大阪に戻ってしまうと、
またいつも通り
このギャップがとても気になりました
そんなものなのかな

大阪に泊まります
翌日はフリー
こんな状況でもしっかり大阪の線路巡礼をした後で
もう一度、
戻って被災地の線路を見てきました

(被災線路編に続きます)


ビルが倒れているというのが衝撃的でした
この少し前のロサンゼルス地震のとき
アメリカの高速道路がパタパタ倒れて
それを見た日本のマスコミは
日本ならそんなことあり得ない、と公言していましたけど


今でも
一番記憶に残っているのは

焼け跡に立っていた

「がんばろう神戸」

じゃなくて

「ここで人が死にました。立小便をするな」の看板でした

生の記憶を語り継いでおきます
ウチの実家のガラスが割れていまして
(これで2度目)

修理依頼先を探すのを頼まれて
仕方ないから
ネットで調べて某社に問い合わせると
13,000円くらいとのこと
近くの契約業者を手配してもらいます

心配だから
奥さんもに行ってもらったのですが

業者が来て
倍のサイズの大きなガラスを使わないといけないので
32,000円かかります

なんだそりゃ?
ちゃんとガラスのサイズは伝えてあるのに

おまけに
見積もりだけ貰うと
見積もり代がかかるそうです

納得できないので
お引き取り願いました

無料

奥さんによると
会社名も名前も名乗らず、名刺も出さなかったそうです
うさん臭い

認知症の母親はその辺のことは全く理解できず(悲)

でも
そのあとで
近所のガラス屋に自分で行くと言い張るので
心配だから奥さんに付いて行ってもらいましたが

結局
その店は見つからず(悲悲)

もう
とりあえずいいや


ところが

その後で母親から連絡があり
ガラス屋さんにちょうど逢って
頼んだらすぐに来てくれて
直りました

5,000円で済んだそうです


え?

認知症のやることはよく分かりません(汗)


おまけ

ふるさと納税の特典第9弾が届きました
甲州市のシャインマスカット

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大きいじゃないですが
おまけに美味しい!

いつぞや
イベントでシャインマスカットが当たってしまい
その時から奥さんがファンなんです
介護疲れを癒してください
ふぅ
大網駅短絡線

昔はスイッチバックだった大網駅の線路配線を変更した時に
東金線と外房線新茂原駅方面を結ぶ線路を
そのまま残したもの(単線)

1995年
房総半島横断のついでに
大原駅→大網駅→成東駅と旅した車窓から

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大網駅手前で
外房線から右に線路が分岐してまっすぐのびています
これが大網短絡線

大網駅で東金線に乗換

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左から
さきほどの大網短絡線が近づいてきます

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ここに旧大網駅のホームがあったようです
線路が東金線と合流

当時は
こんなに見事に
デルタ線路が現役でした
素晴らしい

でも、
1997年に新茂原の貨物取り扱いが無くなると
この短絡線も廃止されてしまいました

この線路を貨物列車が走るところを見てみたかったですね。残念



そして
19年後の今年の夏
外房線電車で大網駅を通った時、
ホーム(高架)から
あの短絡線の分岐部分らしきモノが見えることに気がつきました

気になって仕方ないので
先週末
わざわざそれだけを見に行って来ました(笑)

大網駅外房線下り
高架で右に大きく曲がったホーム
この先端の方から
素晴らしい線路光景を見ることが出来るのです!

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旧大網駅(東金線)
左:現大網駅ホーム
右:大網駅短絡線の跡
ここに立つと大網デルタ線路の全貌が蘇ってきます(ホント)

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最大望遠
残された線路は保線用に使われていることも分かります
バックの山もいい感じ

ここで
向こうから東金線の電車が走ってきたら
またそれはいい感じなんでしょうが

私は電車に乗って線路を見る方が好きなので
次の東金線電車に乗ってしまいます

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左の大網短絡線は踏切の手前で切られています
右の線路は蘇我駅方面からの直通電車が走る線路

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旧大網駅ホーム跡
もうホームがどこにあったのかも分からなくなってしまいました


線路はなくなってしまいましたが、
楽しい大網デルタ線路の伝説を語り継ぎましょう

大網駅短絡線と旧ホーム跡の保線基地線はこちらでも記事にしていますのでどうぞ


一方、
新茂原駅の貨物線線路は
貨物駅建物と共に
いまだに取り残されたまま完全放置状態です
何ででしょ?