1995年1月17日
その日は朝からTVニュースに釘付けでした
その日は朝からTVニュースに釘付けでした
阪神淡路大震災
それからちょうど1か月後
会社が大阪で所有するビルの被害状況を調査するという名目で
大阪に出張することに
会社が大阪で所有するビルの被害状況を調査するという名目で
大阪に出張することに
関空から大阪へ
大阪は
全くいつも通りでした
肝心のビルはひび割れが少し見つかっただけでした
(わざわざ行かなくても報告受けていましたけど)
全くいつも通りでした
肝心のビルはひび割れが少し見つかっただけでした
(わざわざ行かなくても報告受けていましたけど)
大阪はいつも通りで、
すぐ隣りが大震災のすごい被災地
全国からボランティアが押し寄せている、というのは
なんかピンと来ないのですが
すぐ隣りが大震災のすごい被災地
全国からボランティアが押し寄せている、というのは
なんかピンと来ないのですが
とにかく
ここまで来たのですから、神戸の状況も見ておきましょう
ここまで来たのですから、神戸の状況も見ておきましょう
大阪と神戸の間の鉄道はJRも私鉄もまだ不通のまま
動いている鉄道と代行バスを使って神戸へ進みます
阪神電車で
梅田駅から御影駅まで
ここから代行バスで三ノ宮駅へ
梅田駅から御影駅まで
ここから代行バスで三ノ宮駅へ
途中
横倒しになった高速道路のそばを通ります
横倒しになった高速道路のそばを通ります
三ノ宮到着
駅前には解体中の大きな被災ビルが
こちらは途中階がつぶれた神戸市庁舎
阪急三宮駅は駅ビルごと潰れてしまいました
柏井(かしわい)ビル跡
地震当日、ビルが傾きだして駅前の道を塞いでしまった、という衝撃映像がありましたそのビルがあった場所
もうきれいに片づけられていました
目に付くのは
被害を受けたビルと無傷のビルの差が激しいこと
そもそもビルが倒壊するというのがあまり前例がないことですが
施工責任があるのかないのか
どこのゼネコンなのか
業界関係者の間では話題になりましたが…
結局うやむやのまま
施工責任があるのかないのか
どこのゼネコンなのか
業界関係者の間では話題になりましたが…
結局うやむやのまま
三宮駅から高速神戸駅までの区間は早期に復旧していました
神戸駅からは
JRでさらに西へ(JRは住吉駅-神戸駅間が不通)
JRでさらに西へ(JRは住吉駅-神戸駅間が不通)
車窓から
地震火災の跡…
鷹取駅
JR鷹取工場も被害を受けたようですが
当時の私は車両工場にあまり興味がなかったみたいで
ここから新長田駅まで
火災被害が大きかった長田地区を線路沿いに歩いてみます
火災被害が大きかった長田地区を線路沿いに歩いてみます

実際に現地を見て体験した
地震火災の怖さ
すでにか月経っていたのですが
まだこの惨状でした
新長田駅前から
代行バスを乗り継いで西宮北口駅へ
ちょうど通勤帰宅ラッシュに重なってしまいました
鉄道が不通でも会社は休みじゃないんですよね
鉄道が不通でも会社は休みじゃないんですよね
大阪に戻ってしまうと、
またいつも通り
このギャップがとても気になりました
そんなものなのかな
またいつも通り
このギャップがとても気になりました
そんなものなのかな
大阪に泊まります
翌日はフリー
こんな状況でもしっかり大阪の線路巡礼をした後で
もう一度、
戻って被災地の線路を見てきました
翌日はフリー
こんな状況でもしっかり大阪の線路巡礼をした後で
もう一度、
戻って被災地の線路を見てきました
(被災線路編に続きます)
ビルが倒れているというのが衝撃的でした
この少し前のロサンゼルス地震のとき
アメリカの高速道路がパタパタ倒れて
それを見た日本のマスコミは
日本ならそんなことあり得ない、と公言していましたけど
この少し前のロサンゼルス地震のとき
アメリカの高速道路がパタパタ倒れて
それを見た日本のマスコミは
日本ならそんなことあり得ない、と公言していましたけど
今でも
一番記憶に残っているのは
一番記憶に残っているのは
焼け跡に立っていた
「がんばろう神戸」
じゃなくて
「ここで人が死にました。立小便をするな」の看板でした
生の記憶を語り継いでおきます