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FC2に移転しました(線路巡礼)

ヤフーブログ→アメブロ→FC2の3社直通乗り入れ計画?

1988年8月
和歌山のローカル線に乗った後は
大阪環状線とその周辺の線路巡礼

桜島線

西九条駅から桜島駅まで
(当時は環状線からの直通運転はなかったみたい)
工場地帯を走ります

終点の桜島駅

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三角の屋根がステキな駅舎

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1面2線のホーム
隣りには貨物側線

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ホーム終端の先
貨物側線は続いています

鶴見線扇町駅とよく似た線路シーン

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貨物線が残っていたのはこの辺りまで

すでに貨物取扱いは廃止されていましたが
現役の頃はどんな光景だったのでしょうね

西九条駅に戻ります

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途中
こんな素敵な可動橋があります
そういえば鶴見線にも変な可動橋がありましたね


あれから数年後
USJ建設のため、桜島線の先端は大幅な線路変更

桜島駅は移転され
当時の駅舎も線路もすべて葬られて、USJの敷地の一部になったらしいです

桜島線の途中の
安治川口駅の貨物取扱いが引き続き健在だったことだけが救いです

USJ開業後は
環状線からの直通運転も復活、線路的に少しは面白くなりました

桜島線は安泰です
でも悲しいのは
桜島線という線路名称がすっかり使われず、
臭い愛称ばかりだということ

桜島線と言っても
鹿児島県の路線じゃないんですけど(苦笑)


2008年
USJに行って新しい桜島駅まで歩いた時の話はこちら
1988年8月
一日で和歌山県5大ローカル私鉄線巡礼の最後

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最後にして
一番乗りにくい
南海電鉄和歌山港線の先端のひと駅区間
和歌山港駅-水軒駅

一日たったの2往復
(その当時、たぶん日本で一番本数が少なかったんじゃないかしら?)

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水軒行き電車は
和歌山市駅の専用ホーム?から出発

ちなみに
途中の和歌山港駅までは電車はそれなりに走っています
でも
水軒行きはたったの2本

和歌山市駅15:24→水軒駅15:34

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あっという間に着きました

水軒駅

周囲は民家はなく
港湾地区の工場地帯という感じ

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なんとなく貨物用に機廻りも出来る配線
もともと
この地域の木材輸送用に建設されたみたいなのですが
実際には
貨物扱いはほとんどなかったみたい

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お約束の線路終端から
何もない場所ですねぇ

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通勤に使われていたのかな?

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和歌山市駅方を見たところ

折り返しで帰ります
水軒駅15:40→和歌山市駅15:50
これを逃したらタイヘン、終電ですから(笑)
(ちなみに始発は9時台の1往復)

当時のメモには
磯の香りがする良い線路、と書いてありました
リゾート路線だったのかしら?(爆)


◇線路メモ
和歌山港駅-水軒駅2.6キロ
路線は和歌山県が木材輸送用に作ったもの
2002年5月25日廃止
廃車回送(南武線)も
甲種回送(石巻線仕様)も走るステキな日ですが

会社に着いて
朝のミーティングが終わると

奥さんから電話

実家の母親
ヘルパーさんが行っても応答ないらしい…

悪夢の始まり

奥さんが実家まで見に行ってくれましたが

右ひざが痛くて全く動けない状態
昨夜から
トイレも行けないから修羅場状態

おまけに
痛がって全く動かせない

私も
会社は急遽休みにして
実家に急行しましたが

やはり
どうにもならないので
止むを得ず救急車要請

行きつけの整形外科は救急搬送お断りなので
仕方なく近くの大学病院へ
(痴呆症で通院しているので診察券があった)

病院でも2時間近く待って
診察して
膝の「水」を注射器で抜いて、
骨折はないから
様子をみて、また来週来てね、とのこと

だけど
本人の痛みは全く治まらず
相変わらず全く歩けない
(医者はもう歩けるというのですが)

病院の車イスから立てない

立たないと家に帰れないよといくら言ってもダメ

クララは全く歩きません(アルプスの少女ハイジより)


このまま
介護タクシーを使って無理やり戻しても
とてもじゃないけど家では面倒見られない
トイレはどうするんだ

悩んだ末
医者に頼むと
入院扱いにしてくれました

でも
入院手続きもタイヘン(汗)

実家に戻して修羅場と
どっちが良かったのか分かりませんが

疲れ切って自宅に戻って
いつものように夫婦で夕食出来ました(昼飯は二人とも食べられず)
こうしてのんびりブログも書ける幸せ


廃車回送も甲種回送も
それどころじゃなくなってしまいましたが

問題は
来週後半からのウチの予定
どうする?(泣)


暗い記事なので
せっかくですから
続けて線路巡礼記事も書いて気晴らし(苦笑)
1988年8月
関西のローカル私鉄の旅
書き漏れがたくさんありました

奈良シルクロード博というのがあって
貨物線を使った臨時列車に乗った翌日、
(その記事はこちら

和歌山市駅をスタートして
たった一日で、和歌山県下のローカル私鉄5路線を巡礼しました
これは難しい(笑)

紀州鉄道有田鉄道野上電鉄の順番に乗って、
次が
南海貴志線
これが今回の記事

和歌山駅9番線

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このホームと電車が南海貴志線
JR線の山側の外れにあります

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線路の起点
JRと一体で地下道から上がって来ます

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出発した電車最後尾から和歌山駅を見たところ
線路が分岐してJR紀勢本線とつながっていました

和歌山駅13:13→貴志駅13:43

電車の本数は意外と多くて
巡礼するのは簡単
乗客も多い

この路線の前に乗った凄い3路線に比べると
車窓の面白みには欠けますけど(苦笑)


終点の貴志駅

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いい感じですね

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電車の色に合った木の柱がグッド

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駅の全景
ホーム1面1線+側線1本です(和歌山駅と同じですね)

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お約束の線路終端からの光景

貴志線は他の南海の路線から離れていました
JR線を介して車両のやり取りをしていたのでしょうか?
見てみたかったですね…


その後
運転本数も乗客も多そうだった南海貴志線ですが
突然の廃止宣告を受けました
どういう経緯か知りませんが
今は別の会社が経営
ネコをダシに使った電車になり果てました
公共交通は大切ですけど
ヨイショは好きじゃないので

水間鉄道みたいにグルメ杵屋さまが運営してくれれば応援するのですが(笑)


貴志線の後は
ローカル私鉄5路線の中で最大の難関
和歌山港線水軒駅に続きます
南海電鉄の話
少し話は遡ります

1983年
TDA(東亜国内航空)の試乗会で大阪に来て
阪急電鉄の西宮北口駅のクロスを見た後、
南海電鉄乗り歩きをしました

南海の難波駅

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今では見られない面白い電車
ズームカーという愛称?

岸ノ里駅
和歌山線(じゃなくて南海本線)と高野線がクロスする駅

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汐見橋支線と一時分断される前の線路の姿
残念ながらどういう線路配線だったのか思い出せません
写真から想像して下さい
1993年工事中の岸ノ里駅の記事はこちら


この時の南海電鉄巡礼の目玉は急行「きのくに」号に乗ること

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急行きのくに14号
南海線経由、
国社直通で紀勢本線白浜行です
非電化路線を走るのでディーゼルカーですね
当時はこんな素晴らしい直通列車が走っていました

難波駅13:05→和歌山市駅14:07

あれ?

せっかくの直通列車なのに
和歌山市駅で降りちゃ意味がないじゃん(泣)

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でも
南海の電気機関車を見ることが出来ました
カッコイイ


電車を乗り換えて
さらに和歌山港駅へ

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南海和歌山港線の線路終端

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でも
駅名表を良く見てください
当時はさらに先に「すいけん」という駅がありました
終端は2番線
1番線はその先へ

この時は
この和歌山港駅で折り返しでしたが
数年後
ちゃんと巡礼に来ましたよ


わざわざ難波駅まで戻って
今度は高野線に乗って、ちゃんと高野山駅まで往復
(この時も高野山駅まで行っていました)

これだったら
国社直通急行「きのくに」号で
せめて和歌山駅まで行けばよかったのに…


この時は同行者がいて
関西の民鉄線に乗る、
というのがルールだったのかな(泣)

同行者がいたおかげで
線路の写真のあちこちに「私」が変なポーズで写りこんでいます(笑)


先日
1996年南海高野線の記事を書いていたら
それより以前の南海電鉄の線路記事を書いていないことが発覚
大手私鉄の線路記事は後回しのつもりでしたが
南海は面白いので、ちょっと続けます