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FC2に移転しました(線路巡礼)

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18切符の季節が来てしまいました
日の長い夏が一番
遅い時間まで線路がよく見えます!(大事なこと)

昨日
奥さんが買ってきてくれました
諸般の事情で
JRの駅以外で買っているのです
レアでしょ?(笑)

明日
使う予定だったのですが
なんか微妙
どうしましょ

今日は「酔い」ですぅ


⇒お出かけなくなりました(泣)
20世紀というのは
2000年が最後の年でした
1999年に恐怖の大王が降ってくるので
その年が世紀末かと思いきや、違いました

2000年は節目の年
社宅を追い出されそうで
年頭にマンションを購入

イメージ 1
この1年をかけて工事中
しばしば工事現場を見学に行きました
(手抜き工事しないように見張らないと?)

その年の夏
海外旅行(ギリシャ)から戻った矢先、
父親が入院してしまいます
疲れくらいの認識で、それほど大事ではなかったはずなのですが、
その入院先から緊急連絡
点滴していたら様子がおかしい

もはやそこの病院では手が付けられず
大学病院へ緊急搬送されることに
(大学病院で言われたのは、本来なら点滴してはいけない症状だったらしいとのこと。今となっては真実は分かりませんが)
救急車で移動する前に駆けつけて
父親と一言二言話しましたが、、、
大学病院へ搬送入院後
意識は回復することなく、そのまま
8月末に死去
その間1か月くらいのことでした

パチンコ、魚釣り(多摩川で釣って逃がすだけ)、タバコ
だけが趣味の人でしたが
どれも私に遺伝しなくて良かった(笑)

十数年前に、くも膜下出血で緊急手術しています
その後、後遺症もなく奇跡的に生還
もともとのんびりした性格が、ますますのんびりした感じになっただけ
ボケてはいない
享年73歳
まだ早いと言われましたが
くも膜下出血の時にもうダメと思っていたので
余生を楽しめた方なんじゃないかと、勝手に納得しています
ボケなくて良かったね(苦笑)

さてお葬式
もちろん主催は初めての経験なのですが
当時の葬式は
会社の関係者が仕切りたがるのです
まるで社葬
それも故人が属していた会社じゃなくて
その子供の勤め先の会社なんです
私は当時、とあるポストについていました
訃報を聞いた庶務担当が
会社内だけじゃなくて
あろうことか全ての取引先に情報開示してしまいました
(良かれと思ってしてくれたのでしょうけど)
ということで
とんでもなく盛大な葬式に!
参列者の8割方(もっとかな)は故人のことは全く知らず
香典も半端なく集まってしまい
葬儀費用をすべて入れても収支決算で黒字だったかも
返礼はその場で額に関係なく品物を押し付け、おかげで後がとても楽でした
(葬儀の写真もあるのですが、今さら見たくもないので…)

葬儀も済んで一段落した後、
父親が最初に入院した病院から請求書が来ました
ビックリ
医療過誤の可能性があるのに
母親は争いは望んでいないので放置していたのですが
まさか医療費を請求してくるとは
それでも
面倒くさいので結局支払うことに
福住医院という病院です
今でも営業しています
最近
母親があの病院はおかしいと思っていたのよ
などと言い出したのには苦笑ですけど

その後
母親は実家に一人で住み続け
(なまじ父親が半身不随で戻ってきたら、どうなっていたことやら)
一人暮らしが定着して今に至ります
だけど長生きし過ぎてしまい
立派なボケ老人(認知症)になりました
人に迷惑をかけない生き方というのは難しい

さて
新居のマンション工事の方は予定通り進み
(父親が亡くなる前に決めておいて良かった、ホント)

11月に内見会
初めて二人で部屋に入りました

初めてみるリビングからの光景
おお~
という当時の雄叫び(?)は今でも変わらず、おめでたい

内見会には
当時仕事で付き合いのあった建設会社の方にも個人的に立ち会ってもらい
いくつかダメ工事を指摘してもらいます
手抜き工事じゃないよね?
(内装はともかく、躯体は分かりませんけどね)
謝礼はビール券でお返し

年末に引き渡しがあったのですが
新居への引っ越しは年が明けてから
ということで
お家の話は新世紀編(今頃この言葉を使うのは恥ずかしいけど)に続きます
「書庫」を新しく作る予定
いいタイトルがないかしら

線路的には
私鉄の線路の隣に住む生活から
国鉄(JR)の線路の近くに住む生活の始まり
線路幅は同じです(笑)

自分の伝記を書くプロジェクト
20世紀が終わりました(お疲れ)

マンション探しの旅の記事はこちら
2000年の年末
1泊2日で伊豆に温泉旅行

河津大滝温泉「天城荘」というイイ旅館
諸般の事情で無料招待券を頂くことに
もちろん
遠慮しないで行かせていただきました(笑)

伊豆急のリゾート21に乗ります
まだ20世紀は4日間ほど残っていましたけど
豪華な車両に乗車券だけで乗れちゃいます
登場から現在に至るまで日本最強の普通列車だと思います

河津駅から
ホテルバスで天城荘へ
さっそく温泉

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五右衛門風呂

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温泉プール
平泳ぎ中です
頭上に見えるのがループ橋(鉄道じゃないのが残念)

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滝をみながら露天風呂

他に洞窟風呂とかあって
お風呂三昧
ご招待ありがとうございます~
(いちおう当たったことになっています)

翌日は
伊豆急下田駅まで行って、
路線バスに乗って

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爪木崎まで

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柱状節理(こういうの意外とあちこちにあるんですね)

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爪木埼灯台

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ここまで来た目的は水仙です
ちょいと有名な群生地
水仙まつり中でした

ちゃんと観光もしたぞ~(自慢)

帰りもリゾート21です
イメージ 8
海に向いた座席で
カップヌードルを食べてしまったのはナイショです
想像するだけで楽しい(列車は空いていたので許してください)

この明後日は大晦日
ついに20世紀も最後を迎えようとしていました

これにて
2000年の話も終わりそうですが
この年は
大きな出来事が2つありましたので、
まだ続きます
三連休は
引っ掛けシーリングで終わってしまいました

実家の母親(認知症のおバカさん)から
台所の照明が付かない、とのこと
放置しておくと
電気屋を呼んで何を注文するか分からないので
土曜日に行ってみると

ネオン管の交換じゃ済まなくて
機器そのものがもうダメ

ここで問題なのが
古い家屋なので
照明の受け側がちょっと変
引っ掛けシーリングがちゃんと固定されていないのです
(通常は天井に固定されていて、照明の交換取替も簡単なのですが)

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天井に固定されていません
おまけに前の重たい照明器具を固定していた円盤みたいなのがずっしりと

引っ掛けシーリングを交換して天井に固定しないとダメ

とりあえず
2階の使っていない部屋の照明を持って来て
無理やり天井から吊るしてみましたが
これで済むとも思えず
イメージ 2
天井のシミが丸見え
当事者はこれでいいと言っているけど、
言ったことを10分後には忘れてますので

その日は自宅に戻って
照明の引っ掛けシーリングの交換について調べまくり
簡単そうなんですけど
結局は電気工事士の資格が必要、ということになってしまいます
なんか悔しいなぁ

翌日(日曜日)
この日も実家で介護
ついでに近くの電気屋で工事について尋ねてみると
なんと
明日(祝日)でも大丈夫とのこと
一番安い照明を即決で購入(もうLEDしか売っていませんが意外と安い)

その日の夕方
工事業者から電話
明日の工事は朝の7時でお願いできませんか、とのこと

朝の7時?

何度も聞きなおしましたが
今はクーラーの設置工事が忙しくて、、、

ということで
本日(意味のない祝日)
早朝からまた実家へ

想像通り
作業は簡単に終了

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これが新しい引っ掛けシーリング
LED照明器具6,000円
作業費3,000円
さらに当日の追加として
新しい引っ掛けシーリングの費用2,200円

イメージ 4
高いのか安いのか分かりませんが
これにて終了
ムダに明るくなりました(笑)
まぁ素人工事で火事になっても困りますからね

3日がかりの引っ掛けシーリング交換だけで
3連休は終わってしまいました
人生を棒に振っています
でも
ホントは何の予定もなかったのですけど(苦笑)

予報はハズレて
3日間ともほぼ晴天で暑かった
出かけようと思えば行けたのですが、
結局、
朝昼夜とベランダでリゾート
最終日の今日は
さらに弾けました

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生ビールゴッコ!(中身はいつもの発泡酒)

さらに
台湾の味
マンゴーかき氷の再現

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マンゴージュースを凍らせて実現、本物のマンゴーもゲット、美味しい
先月食べて忘れられない台湾のアイスモンスターに負けない(かな?)

線路とは全く無縁の三連休でしたが
ベランダでマッタリ~
定年後ってこんな感じなのでしょうか?(苦笑)

あと
備忘録的に

土曜日
実家から自宅に帰る途中
頭上で爆音が

ジェット戦闘機が6機も編隊飛行~

一瞬の事でした(写真撮れず)
後で調べたら、
みなとみらいでブルーインパルスのショーがあったらしいので
その帰り道だったみたい(事前に知っていれば見に行ったのに残念)
真下から見ると
なんか灰色の練習機みたいで
どこがブルーだったのやら?

日曜日
奥さんと買い物に行く途中
南武線踏切の手前で
突然大きな音
両脇の建物から?

地震です
地面が揺れている
電線がしなっている

建物の外で
地震を感じたのは生まれて初めて

こわーい

でも
南武線はいつも通り走っているので
たいしたことはないと判断
震源は茨城県で神奈川県東部で震度4
そんなもんですか

そして今日は
ちょいと二子玉川に遊びに(涼みに?)

帰り
駅の改札口に
大きなローズマリーの枝が落ちていました?

おそらく
途中で折れてしまったものと思われます

カワイソウだから拾ってお持ち帰り
(こんなの拾得物にならないでしょ?)

とても匂います
ベランダで植えてみました
根がつくかな
また小さな楽しみが(笑)
2000年11月
武蔵境駅から西武鉄道多摩川線

中央線の車窓から
武蔵境駅の楽しい線路はいつも見ていましたが
下車したのは初めてかも

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中央線下り線とホームを共用しています
JRが乗り入れ以外で私鉄とホームを共用
これは当時でもとても珍しい光景
もっと注目しておくべきでした

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多摩川線の終端
ゴチャゴチャしていますけど
側線も健在で機廻りが出来る配線
連絡貨物輸送の面影が残ります

是政行きに乗ります
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JR線との連絡線が美しい

終点の是政駅

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ど逆光(苦笑)

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駅前に
廃線跡のような空き地
貨物取扱いの跡でしょうか(砂利線?)

是政駅から
多摩川の向う側の南武線南多摩駅まで歩くのも一興でしたが
この日は
多摩川線で車両基地のある北多磨駅まで戻ります
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(北多磨駅はその後改称して今の白糸台駅)

北多磨駅から京王線多磨霊園駅まで徒歩連絡(武蔵野台駅だったかな?どちらも近い)
ちょいと
京王線競馬場線で府中競馬正門前駅へ
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この路線も初めてだったかも
再び京王線でご帰宅


その後
中央線高架工事が始まり
JRとの連絡線もしばらく廃止
中央線武蔵境駅が高架駅になると
隣りで多摩川線も立派な高架駅に昇格
高架駅どおしで連絡線も復活
でも、
あの駅裏の美しい機廻り線路や側線は永遠に失われてしまいました(哀)

西武多摩川線(武蔵境駅-是政駅)
他の西武線とつながっていない孤独な線路ですが
むしろこれがいいところ(笑)
JR線路を介しての多摩川線車両の甲種回送は多摩地域の線路の名物です

東急目蒲線が分断されて
東急多摩川線(多摩川駅-蒲田駅)が誕生しましたけど
「多摩川線」の名前の本家はこちら
でも
紛らわしいから西武多摩川線と呼ばさせていただきます