20世紀の終わりは、お葬式とマンション購入 | FC2に移転しました(線路巡礼)

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20世紀というのは
2000年が最後の年でした
1999年に恐怖の大王が降ってくるので
その年が世紀末かと思いきや、違いました

2000年は節目の年
社宅を追い出されそうで
年頭にマンションを購入

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この1年をかけて工事中
しばしば工事現場を見学に行きました
(手抜き工事しないように見張らないと?)

その年の夏
海外旅行(ギリシャ)から戻った矢先、
父親が入院してしまいます
疲れくらいの認識で、それほど大事ではなかったはずなのですが、
その入院先から緊急連絡
点滴していたら様子がおかしい

もはやそこの病院では手が付けられず
大学病院へ緊急搬送されることに
(大学病院で言われたのは、本来なら点滴してはいけない症状だったらしいとのこと。今となっては真実は分かりませんが)
救急車で移動する前に駆けつけて
父親と一言二言話しましたが、、、
大学病院へ搬送入院後
意識は回復することなく、そのまま
8月末に死去
その間1か月くらいのことでした

パチンコ、魚釣り(多摩川で釣って逃がすだけ)、タバコ
だけが趣味の人でしたが
どれも私に遺伝しなくて良かった(笑)

十数年前に、くも膜下出血で緊急手術しています
その後、後遺症もなく奇跡的に生還
もともとのんびりした性格が、ますますのんびりした感じになっただけ
ボケてはいない
享年73歳
まだ早いと言われましたが
くも膜下出血の時にもうダメと思っていたので
余生を楽しめた方なんじゃないかと、勝手に納得しています
ボケなくて良かったね(苦笑)

さてお葬式
もちろん主催は初めての経験なのですが
当時の葬式は
会社の関係者が仕切りたがるのです
まるで社葬
それも故人が属していた会社じゃなくて
その子供の勤め先の会社なんです
私は当時、とあるポストについていました
訃報を聞いた庶務担当が
会社内だけじゃなくて
あろうことか全ての取引先に情報開示してしまいました
(良かれと思ってしてくれたのでしょうけど)
ということで
とんでもなく盛大な葬式に!
参列者の8割方(もっとかな)は故人のことは全く知らず
香典も半端なく集まってしまい
葬儀費用をすべて入れても収支決算で黒字だったかも
返礼はその場で額に関係なく品物を押し付け、おかげで後がとても楽でした
(葬儀の写真もあるのですが、今さら見たくもないので…)

葬儀も済んで一段落した後、
父親が最初に入院した病院から請求書が来ました
ビックリ
医療過誤の可能性があるのに
母親は争いは望んでいないので放置していたのですが
まさか医療費を請求してくるとは
それでも
面倒くさいので結局支払うことに
福住医院という病院です
今でも営業しています
最近
母親があの病院はおかしいと思っていたのよ
などと言い出したのには苦笑ですけど

その後
母親は実家に一人で住み続け
(なまじ父親が半身不随で戻ってきたら、どうなっていたことやら)
一人暮らしが定着して今に至ります
だけど長生きし過ぎてしまい
立派なボケ老人(認知症)になりました
人に迷惑をかけない生き方というのは難しい

さて
新居のマンション工事の方は予定通り進み
(父親が亡くなる前に決めておいて良かった、ホント)

11月に内見会
初めて二人で部屋に入りました

初めてみるリビングからの光景
おお~
という当時の雄叫び(?)は今でも変わらず、おめでたい

内見会には
当時仕事で付き合いのあった建設会社の方にも個人的に立ち会ってもらい
いくつかダメ工事を指摘してもらいます
手抜き工事じゃないよね?
(内装はともかく、躯体は分かりませんけどね)
謝礼はビール券でお返し

年末に引き渡しがあったのですが
新居への引っ越しは年が明けてから
ということで
お家の話は新世紀編(今頃この言葉を使うのは恥ずかしいけど)に続きます
「書庫」を新しく作る予定
いいタイトルがないかしら

線路的には
私鉄の線路の隣に住む生活から
国鉄(JR)の線路の近くに住む生活の始まり
線路幅は同じです(笑)

自分の伝記を書くプロジェクト
20世紀が終わりました(お疲れ)

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