2/15に読み始めた「洟をたらした神」、読み終わりました。

 

 

収録されている16篇の作品は大正から昭和にかけての話ですが、書き始めたのは70歳を過ぎてから(1970年代)とのこと。もしかして当時から日記をつけていたのではないか?と読んでいて思いました。その疑問の答えがわかるような作品も収録されています。

 

16篇の作品は発表された順番に収録されているのかわかりませんが、後ろにいくに従って表現が詩的になり、技巧的になっていきます。とても強く心に響いてくる時もあれば、難解で理解することをあきらめてしまう時もありました。読み手との相性もあるでしょう。

伴侶である三野混沌が詩集「阿武隈の雲」を出版した時、「知らずしてとび出している方語、好んで用いた方言、熟語の誤り、また造語などから読者の難渋を予想します」と言ったそうですが、やはり夫婦は似るものなのか?と思いました。

 

もう少しよく読んでみたいと思うのですが、100冊読書の後がつかえているので、いずれ文庫本を買って、いつでも気軽に手に取れるようにしておきたい、と思いました。

 

余談ですが単行本が出版された時、私はまだ小学生でした。

 
 
 
 

さて、アマゾンで吉野せいと三野混沌を調べていたら、こんな本を見つけました。

このタイトル「土と修羅」は宮沢賢治の「春と修羅」から取ったのかな?100冊読書で読んだ本があちこちで「春と修羅」とつながっていくような気がするのですが、気のせいでしょうか?

↓「春と修羅」とのつながりを書いた記事↓

 

『100冊読書』宣言