たぶん関西人でも通天閣に登ったことのない人はたくさんいると思う。


私もこの年になってはじめて通天閣に登った。

と言っても幼い頃の通天閣は、タワーでビリケンさんがいるだけの場所という話しか覚えていない。


地下鉄出入口すぐからの景色。

こんなに通天閣を間近に見たのは

遠い遠い70年万博よりも前の幼い頃の記憶だ。

それほどにここら辺に来る用事は無いものだ。



今の通天閣は戦前のものも含めれば二代目だという。

一代目の話は通天閣内に展示されていた。


開業当時の新聞記事。

博覧会跡地が天王寺公園などになり、余った土地がルナパークになった。




当時の様子のジオラマ。

こういうのを見ると、日本文化は昔からテーマパーク好き(遊興・演劇・見せ物好き)の文化なのだと思う。

大阪は他にも、博覧会の跡地に作られた大浜にも遊興施設があった。これらの写真資料を見ていると、ノスタルジックな遊園地も良いのじゃないか?と私は思うがいかがなものか。


お土産にお菓子を買った。


ソースかつを模したお菓子。

材料は魚で、薄っぺらい板状のものをフライ風に仕上げてソース味に仕上げた駄菓子である。


食べなくてもたぶん味の想像はつくと思う😁

タラの干物のようなおつまみがあるが

あれが中身なんだろう。

こういう駄菓子は私は嫌いでもないが、もう

好んで買い求める年でもないよ😁


むかしから通天閣界隈にあまり来なかったのは、あまり風紀がよろしくない場所とされていたからだろう。

確かにガラのいい場所でもないが

あまり行ったこともない人が誇張して注意を喚起するのはどうかなあと聞いていた。(なぜか実体験の話は無いんだよね…)。

どんな土地でも暗い場所、特に夜の繁華街やその狭い路地はリスキーなものだ。私はそう思っている。


そう言えば、水島新司の「あぶさん」という漫画に出てくる居酒屋の風景に通天閣があったように覚えている。その風景を思い出して嬉しかった。

(私の読んでいたのは初期のもの、主人公が南海ホークス時代のものだから、そのモデルになった場所があったとしても今はずいぶん変わっているだろう。)


そんな雑多な思いがあれこれよぎる通天閣観光だった。だけど

たぶん通天閣に登る事はもうないかな😌☘️


【コメント返し】

コメントの付け方がわからないので😅

追記で返します。

今回通天閣に行ったのは平日の昼でしたが

他の大阪の街(ミナミとか)と変わりない雰囲気です。

観光客が多いかな?

帰りは美術館の方面へ歩いて天王寺駅まで行きましたけれど

こちらの道は観光客らしい人は少なめでのどかな雰囲気でした。そもそも人があまり歩いていませんでした。

この辺りは天王寺公園が整備される前はラジカセの曲に合わせて歌を歌ったり踊っていたりする和風な人なんかを見かけたものですが

今の姿は、よくある市民公園です。

通天閣界隈は私が歩いた所よりももうちょっと広い範囲を指すと思いますが、(そもそも私は横丁とか飲み屋が多い場所には行っていません)、私が歩いた範囲はこの範囲です。

普通の観光地や繁華街でした。


天王寺の話ですが、ちょっと昔の話を付け加えます。


昭和60年頃、一年だけとても暇な時期があって、天王寺公園の近くの歩道橋で友達とぼーっと話す時がよくありました。公園が整備される前だったので、夕方には歩道橋の下に色々な人が集まっていましたね。そういうのを見たらその場を立ち去る人もいるかもしれませんが、私たちはぼーっと眺めていました。そしてそういう情景は今の天王寺にはないです。

実はその頃に、その近辺の横丁を歩いた話をしたら男の同僚から危ないからやめろと言われたんですよ。そんな血相を変えて言うほどかな?と思いました。

昼間歩いただけなんだけどなあ。人もそこそこ歩いていたから人の流れに沿って歩いていただけなんだけどね。

私は地元の人間ではないので詳しくはないですけど、私の体験を書きました。☘️☘️



島のどうぶつさんたちの休日。



美味しそうに飲み物を飲んでくつろぐ人。



大画面で楽しむ人。

(テレビ画像ですが)。

近くには、ラーメン屋をひやかす(?)羊さんや

体操をしている羊さんの姿も見えます。


そうそう、観光客が来ているのでわかりにくくなっていますが、まだこの島は

狼と羊さんの島です。(ただいま羊さんの方が頭数が多くて優勢です😁)。


のんびりとした休日の風景でした☘️

夜に書く私のブログは少し鬱鬱としているので

そういうのが嫌いな方にはごめんなさい。


⭐︎⭐︎⭐︎


今日の本は宮本常一氏の「忘れられた日本人」から。


この本の最初の方には、対馬の村の寄り合いの話が書かれている。

例えば、「宮本氏に村の古文書を貸すかどうか」という問題が出たとする。

そうした時に、貸すことの良し悪しを直接議論するのではなく

各自がその問題に関連がありそうな経験を順次話していくのだ。(例えば、貸したら返ってこなかった経験とか)。

集まった者がみな時間制限なしに話していくので長時間になる。だから途中で帰って食事をする者もいる。

話が出尽くした時点で年長者やまとめ役(ここでは区長)が結論に導くという仕組みだ。


その話から、私は新美南吉のごんごろ鐘を思い出した。ごんごろ鐘の名前の由来について、ある人は鐘を作った人の名前だと言い、ある人はごんごんという鐘の音が訛ったと言い、村人それぞれが自分の知識や経験を言っていくのだ。しかし

正しいとか間違いという論議ではなく、「私はこういう話を聞いた」、「私はこう思う…」と諸説を並べている様子が見えてくる。


今の人はどうなんだろうか。反対だの賛成だの、正解だの間違いだのと、結論を各自が持っていて、自分が賛成している結論に有利な事を言い、それに反対する意見を論破するというイメージがある。

しかし、宮本の見た対馬の寄り合いや、(恐らく実体験を元にした)新美南吉の童話の中の村人の会話は、現代の議論とは似ているようで違うように思う。

昔の村社会は、最後は長老や偉い人に判断を委ねる(その代わりそうした偉い人が責任を負う)という図式になっているせいもあるだろう。そして時間はかかるが、ひとまず皆が等しく自分の経験や聞き伝えを言いたいだけ言えると言う事もポイントだ。

自分の知っている事を全部話すという事は、合議という意味で大切だ。

人に聞いてもらったという事はカタルシスになるし、話すという作業は自分の話している内容を客観視する一助となる。こうすると、結論は多数決ではなく長老や偉い人が決めるのであっても、もやもやや不満が残りにくいのだろう。そして責任は判断を下した長老や偉い人が負うというのも理にかなっている。


本には他にも、「かつて日本に多く見られたけれど今は失われた」人々の営みが書かれている。

昔の方が良かったとは私は思わない。物事には一長一短があるし、今の世は皆がずる賢くなりすぎて、過去のおおらかな方法はもう通用しないと思う☘️