こんにちは

 

 

 

まっつんですニコニコ

 

 

 

今日は前回の

 

ゆとり教育は失敗?【第二章】

 

の続き

 

最終章です

 

 

 

さて前回

 

北欧4カ国では

ゆとり教育が

成功した

というお話をしました

 

 

前回までのおさらいはこちらから↓



 

 

ではなぜ

日本では一般的に

「失策」

という位置づけに

なってしまったのか

ということについて

考えてみたいと思います

 

 

そもそも

「ゆとり教育」は

悪だったのでしょうか?

 

 

私個人的には

方向性自体は

決して間違ってなかった

と思っています

 

 

でも

 

「導入の仕方」

 

「タイミング」

 

が不味かった

 

 

日本の歴史

文化、伝統、習慣

価値観などを

十分に考慮出来てなかった

 

 

つまり

ローカライズ※に失敗した

と思っています

 

 

特定の地域や国の文化や

言語に適応させるプロセス

 

 

ゆとり教育に

成功した国々と

日本では

明らかに価値観や

文化の基盤が違います

 

 

一方は

 

個々を尊重し

個性を重視し

自由をこよなく愛し

自由を楽しめる

 

という価値観を

持つ人たちです

 

 

一方

日本はどうでしょうか

 

 

 

協調性や同調

幼い頃から求められ

大人になっても

求められ続けます

 

 

 

どちらが良い、悪い

という話ではなく

 

 

ゆとり教育

という制度が

どっちの土壌に合っているか

というと

明らかに前者です

 

 

日本のように

「個」や「自由」という

基盤がない

価値観・文化を持つ国民に

いきなり自由と個性を

求めても

ほぼ誰もついてこれません

 

 

 

(今をときめく

大谷翔平選手なんかとは

相性は良かったと

言えるかもしれませんが)

 

 

そして

これはビジネスにおいても

言えることです

 

 

 

どんな分野でも

その国の価値観や文化に

沿った導入方法があり

 

 

 

いくら憧れのヨーロッパで

成功しているから

と言って

そのまま日本でも通用する

なんてことは

まずありません

 

 

 

特に日本は

このローカライズ

世界で最も難しい国

だと言えます

 

 

なぜなら日本は

成熟した市場であり

ヨーロッパよりも

遥かに歴史が長い国

だからです

 

 

つまりその分

長い歴史の中で築かれた

価値観や習慣が

他の国の比じゃないほど

強固に根差している

ということです

 

 

この難しさは

ヨーロッパのクライアントにも

何度も説明しないと

理解をしてもらえません汗

 

 

また日本人自身も

いかに日本という国が特殊

なのかという

自覚がないので

 

 

すぐに西洋の決めごとや

文化や価値観を

取り入れる傾向にありますが

 

 

まずは

日本という国を

常に客観的に俯瞰するという

作業は必要だと感じています

 

 

 

その上で

 

そもそも導入するのか

 

導入するなら

どういうビジョンで

どういうプロセスで

進めていくのか

 

を慎重に検討することで

 

「失策」

 

ではなく

 

「成功」

 

に導くことが

できると思っています

 

 

だから

ゆとり教育についても

 

個性を重視する教育の大切さ

もっと浸透させてから

導入していたとしたら

 

「失策」として

認識されなかったのでは・・?

 

なんて考えることがあるのです

 

 

 

それではまた明後日バイバイ
 
 
 
まっつん