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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。
僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。
ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。
あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。
ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。
【 今日のトピック:遺言を残す 】
今日も引き続き遺言について書いていきます。
さて、昨日は、遺留分の成り立ちについて書きました。
法律で決まっているのに、わざわざその成り立ちについて知ろうとするのは意味がないようにも思えます。
「法律がこうなっているからこうなんだよ!」でいいような気もしますし、もしかしたら、一般的な弁護士のイメージもこういう感じなのかもしれません。
「法律の条文だけ知っていればよくって、その成り立ちや、その条文が存在する理由なんて知らなくていい」と思っている弁護士もいるかもしれませんが、それは少数派です。
というのも、司法試験では、法律の成り立ちや存在意義を聞かれて(成り立ちが直接問われることはあんまりありません)、そこから論理的に考えて文章化することが求められます。
だから、弁護士や裁判官は、条文の成り立ちや存在意義について考えるのが大好きです。
条文が存在する意義や理由を「趣旨」と呼びますが、この趣旨から解きほぐして、法律を形式的に当てはめた場合の不都合を解消するために、実質論を展開するのが、弁護士や裁判官は大好きなのです。
だって、その実質論をめちゃくちゃ勉強して司法試験に合格したわけですから。
そういうわけで、昨日は、遺留分の成り立ちや存在意義から書いたわけですが、昨日あれだけいろいろと書いたにもかかわらず、僕は、あんまり実質論に傾くのは好きじゃありません。
確かに、実質論ってめちゃくちゃ大切です。
「法律は法律だから」と思考停止になると、いちど作られた法律は変更されないままいつまでも維持されてしまいます。
その結果、らい予防法や優生保護法など、時代にそぐわなくなった法律がいつまでも残り続けるという悪夢が起きたりします。
おかしい法律は、きちんと改正することが大切で、その改正のきっかけとなるのは裁判です。
だから、弁護士は、おかしい法律をちゃんと「おかしい」と思うことが必要なんです。
おかしい法律をおかしいと思えるからこそ、裁判で「そもそもの法律がおかしい」と主張することができ、それが裁判で認められれば、法律が改正され、社会が良い方向に変わります。
だから、弁護士は(そして裁判官も)、法律を鵜呑みにするのではなく、「おかしい」と思える能力が必要で、その「おかしい」と思える能力を鍛えるのが、実質論です。
だから、実質論を考えるのも大切なんですが、ただ、基本的には、法律のとおりに物事は動いていることをわきまえなきゃいけません。
そもそも、法律って、国会の議決によって成立しています。国会の過半数で可決されているわけですから、そのへんのイチ弁護士が掲げる「正義」なんかよりも、法律には何倍も正統性(正義)があります。
イチ弁護士の意見が国会の議決を覆すなんて、それは民主政の否定です。法律を否定するのは、民主政の仕組みに照らして基本的におこがましいです。
こう思っているので、僕は、法の成り立ちや存在意義を考えながらも、きちんと法律に従うことが大切だと思っています。
何かしらの理想を目指して、それに反する法律を全て撤廃するような態度は、僕はキライです。
その理想を目指した結果引き起こされたのがフランス革命で、行き着く先はジャコバン派による独裁、そして国王及びマリアントワネットの処刑です。
こういう風に、理想だけを追い求めるのってコワイです。
コワイとはいえ、「自由」や「平等」を旗印に理想を追い求めるのがリベラルな人たちで、この人たちって、理想を実現する憲法の制定を目指しているはずなんですが、しかし、日本のリベラルは、なぜから憲法の改正に大反対しています。
天皇を日本国の象徴として定めている日本国憲法は、別に天皇を国家元首と明記せずとも、立憲君主制を採用していることは明らかです。
立憲君主制はリベラルな方々が目指すべき目標ではないので、日本国憲法は忌み嫌う存在のはずです。
しかし、日本のリベラルは憲法改正に反対し、「保守」が憲法改正に賛成しています。
うーん、考え方は人それぞれでいいと思いますが、問題は、日弁連も憲法改正に反対していることです。
先ほど書いたように、弁護士は、おかしい法律をきちんとおかしいと思える能力が不可欠です。
日本国憲法は、その制定時の国際情勢と憲法自体の内容を踏まえると、国連安保理による日本国土防衛がきちんと機能することを前提に作られていますが、蓋を開けてみれば、北朝鮮軍がソ連製の武器を持って韓国へ武力侵攻する始末です。
当然、ソ連は国連安保理決議に賛成しません。
米軍も、北朝鮮軍に押されまくってしまう有様です。
これを受けて、武力を放棄したはずの日本で、警察予備隊がかつての日本軍を基礎に作り上げられ、その結果、日本は武力を保持するに至りました。
警察予備隊を起源とする自衛隊が、日本国憲法9条の「武力」に該当することは明らかで、自衛隊が「実力」であるという歴代の政府見解は詭弁でしかありません。
国連安保理による平和という理想は、日本国憲法が公布された1946年から4年後の朝鮮戦争であっという間に崩れ去りましたので、この時、日本は憲法を改正しなきゃいけませんでした。
しかし、憲法改正によって不利益を被るソ連が、日本社会党を使って内政に干渉し、その結果、憲法改正は実現しませんでした。
今は、ソ連の崩壊によって、ソ連の手先たる日本社会党はなくなりましたが、日本が憲法9条を改正することによって不利益を被る諸外国が、憲法改正を阻もうと、今だに躍起になっています。
憲法は金科玉条ではありません。
リベラルな人たちが大好きなフランス革命は、憲法を新たに制定するための革命でした。
憲法は、国益のために改正されなきゃいけません。この意味で、「おかしいものはおかしいと思える能力」は、憲法についても当てはまります。
国防を国連安保理に一任した日本国憲法は、朝鮮戦争によって国連安保理の機能不全が明らかになった瞬間、国益を害する憲法になってしまいました。
「おかしいものをおかしいと思える能力」は、一朝一夕には養えません。
僕だって、毎日少しずつ少しずつ勉強することで、だんだんと身につきました。
なんか今日は歴史の話ばかりになってしまい、皆さんのご期待に添えず申し訳ありません。
この歳になってやっと、日本や世界の歴史を少しは知るようになりました。その知識をブログに書きたくなってしまうんです。
お付き合いくださると嬉しいです。
今日はこのへんにします。
それではまた明日!・・・↓
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